第911話 「夢時」

  「それでね! カサイったら私とイヴォンに声をかけられてビクってなったのよ! ビクって!」


 そう言ってモンセラートは愉快そうに笑う。 それを見て僕――ハイディはそうなんだと笑い返す。

 一時は起き上がる事すらできていなかったけど、今は少し持ち直したのかこうして話す事も出来ている。

 その理由は――モンセラートの手に握られている聖剣だ。 正確には鞘は僕の手元から離れていないので、彼女は僕が突き出した聖剣の柄に触れている形となっている。


 こうすれば聖剣の加護が彼女を癒すらしい。 より詳しく言うのなら聖剣の魔力がだ。

 その為、普段は時間が許す限り、僕かクリステラさんが交代で彼女の傍について聖剣に触らせている。

 エルマンさんも必死に治療法を探しているようで、時間を割いて図書館へ向かっている姿をよく見かけた。

 

 モンセラートがこうなったのはエルマンさん曰く、権能の使い過ぎによる衰弱との事。

 権能という技術――いや、モンセラートが言うには祈りか――は魔力を使用して何かしらの現象を起こす魔法の上位互換程度の認識だったけど、こうして衰弱している彼女を見るとその言葉の正しさが良く分かる。


 祈り、つまりは魔力以上に大切な何かを消費して行使しているのだろう。

 少なくとも気軽に使って良い力ではなかった。 それを必要だったとはいえ、便利に使ってしまった事に対して酷い自己嫌悪が胸に渦を巻く。


 聖女だ何だと持て囃され、聖剣を振り回して見せても結局はこれだ。

 自己嫌悪はする。 だが、後悔だけはしてはいけない。 それはモンセラートの覚悟を踏みにじる行為だからだ。 彼女は僕達の為――何よりクリステラさんの為に命を燃やす事を選択した。


 命を削る事自体を肯定する訳じゃない。 だけど、モンセラートが自分で決めた事で、その選択に救われた僕達は彼女を後悔させない努力をするべきなんだ。

 それでもこの掻きむしるような心の痛みは消えてくれそうもない。


 「……まったく、貴女は隠し事が本当に下手ね」


 不意にモンセラートは大人びた苦笑を浮かべつつ小さく息を吐く。

 しまった。 顔に出さないようにしていたのだけど気付かれてしまったか……。


 「私の前だったらいいけど、知らない人の前では兜は外しちゃダメよ?」

 「はは、まいったな。 モンセラートには敵わないなぁ」

 「ハイデヴューネ。 貴女が気に病む事じゃないわ。 私が勝手にやった事なのだから。 後、あんまりエルマンを虐めるものじゃないわよ?」


 不意に出て来たエルマンさんの名前に少し考え――ややあって、小さく目を見開く。

 

 ……確かに前に二人で話を聞いた時の態度は良くなかったかもしれない。


 クリステラさんと二人で責めるような形になってしまっていたと今更ながらに自覚したからだ。

 彼の事は僕もクリステラさんも信頼しているので今更疑うような事はないけど、大きな隠し事をしているのが気になったのでああいった場を設ける事になった。


 「……確かに少し、いや、かなり配慮が足りなかったかもしれないね」

 「エルマンも辛い立場だし、私にばかりかまけてないで偶には労わってあげないと拗ねて何処かに行ってしまうかもしれないわよ?」


 冗談めかしてそう言うとモンセラートはふと何かを思い出したかのような表情を浮かべる。


 「この前にエルマンがお見舞いに来てくれたんだけど、ひっどい顔だったわ! 大丈夫だって言ってるのに泣きそうな子供みたいな顔をしているんだもの。 あんまりおかしいから笑って追い出してやったわ!」

 

 僕は返答に困って曖昧に笑う。

 

 「別にエルマンも意地悪で貴女達に隠し事をしている訳じゃないと思うわ。 ただ、何か言えない理由があるのよ。 だから、待って居てあげなさい。 大丈夫、エルマンだってアイオーン教団を大切に思っているわ。 いつかきっと話してくれるから今は待ちましょう?」


 ……敵わないな。


 心の底からそう思う。 それ程までに今のモンセラートの言葉は尊かったからだ。

 僕の表情で察したのか彼女は大きく胸を張る。


 「ふふん。 これでも元グノーシスの枢機卿だから、説法だけじゃなくお悩み相談も貴女より遥かに上手にできるわ!」

 「はは、だったら僕がもし廃業する事になったら代わりに聖女を頼もうかな?」

 「もしそうなったら代理ぐらいはやってあげるわ! ――とは言っても、貴女の代役をやるにはちょっと身長が足りないからあと何年か待ってもらう必要があるけどね!」


 モンセラートはにっこりと笑みを浮かべる。

 眩しいぐらいにいい笑顔だった。 それだけに信じられない。 彼女がもう長くないなんて事を。 


 ――このまま行けばモンセラートは確実に死ぬ。


 死ぬかもしれないではなく、死ぬとエルマンさんはそう言い切った。

 だからこそ僕達は必死に治療法を探しているけど、望みが薄い事も感じていたのだ。

 グノーシスの司教枢機卿は定期的に入れ替わる。 これはモンセラート自身が言った事だ。


 その理由は今の彼女の様子を見ればよく分かる。

 権能――というよりはその前段階の「託宣」と呼ばれる天使との対話を行わなければならないからだ。

 その状態は維持するだけで消耗するので、頻度は多くないけど定期的にやらされていたらしい。


 話す内容は多岐に渡り、国の運行や今後の運勢、変わった所では天気や農作物の収穫具合と様々だ。

 基本的に天使は聞かれた事に答えはしてくれるけど迂遠な言い回しや、曲解しかねない判断に困るような回答を齎したりもするので、噛み砕いた答えを得る為に場合によっては表現を変えた同じ質問をしたりもするらしい。


 特に携挙に関してはやたらと聞くように催促されるので、何度も質問を重ねたがこれといった回答は得られなかったとの事。


 「……前にクリステラにした話なのだけど、どちらにせよ私はこう・・なっていたと思うわ。 エロヒム・ギボールが本国に持って行かれれば役目を終えた私はフシャクシャスラに送り込まれた。 あそこで何が起こったのかは貴女が一番よく知っているんじゃない?」


 ……確かに辺獄との戦いもそうだけど、その後に現れた謎の勢力の襲撃。


 あんな強力な攻撃を仕掛けて来る相手にグノーシスが勝てたとは考え難い。

 正確な所は分からないけど、あそこに居た人達は皆――あの地で出会い語らった人達の顔が脳裏を過ぎるが、努めて考えないようにする。 今はモンセラートの事を考えていたいからだ。

 

 「仮にそうならなかったとしても本国で託宣をやらされていた筈だから、もしかしたら今頃はもっと酷い状態で放置されていたんじゃないかしら? 表向きは立派に務めを果たしましたねって口だけの上っ面の賛辞を並べて、ね。 ――本国でこうなった時の事を想像したわ。 体が自由に動かなくなって、寝たきりになった私が何もない殺風景な部屋に放り込まれて誰にも見向きもされずに独りぼっちで死んでいくの」


 モンセラートはぼんやりと視線を窓の外へと移す。


 「それでね。 私の役目は孤児院から引き上げた代わりの枢機卿見習いみたいな娘が引き継いで、使えなくなった役立たずは放置。 死んだら信仰に殉じたとか言って適当に処理させるんじゃないかしら? 時折、そんな事を想像して泣き出しそうになったわ。 でもね? アイオーン教団は好きよ? 皆、私の名前を呼んでくれる。 枢機卿じゃない私を見てくれる。 友達だってできたわ! こんなに素敵な事がある? 少なくとも私にとってこの時間は夢のように幸せよ?」


 モンセラートはだから仮に死ぬとしてもグノーシスで使い捨てられるより、価値のある最期だと思うと付け加える。

 そんな彼女の達観したような笑みを見て、何かできる事はないのかと強く拳を握ることしか僕にはできなかった。

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