第889話 「稼働」

 あちこちで様々な機械が稼働する音が鳴り響く。

 そんな中ベレンガリアマルキアは必死に目の前に積まれた作業を片付けていた。

 つい先日に本格稼働した魔導書の製造工場での勤務となったが、基本的に製本までの過程はほぼオートメーション化しているので彼女自身が何かをする必要はない。


 第二位階まで扱える量産型はこの過程で作成しているので、見ているだけで山のように完成していく。

 

 「……私の今までの苦労は何だったんだ?」


 ベレンガリアがホルトゥナで開発し、部下に使用させた魔導書は全て手作業で作成した代物だったので、どこからともなく用意された印刷機械が勝手に次々と作成していく様を見せつけられた時は思わず呆然と天を仰ぐ。


 さて、ならば彼女の仕事は何か? 答えは第三位階以上を扱える魔導書の作成だ。

 第三位階以上は需要が低く、大量生産したとしても余るのが目に見えているのでこうして彼女が直接製作に当たっている。


 ただ、オラトリアム側としても一定以上の在庫は欲しいとの事なのでベレンガリアに依頼されたノルマはそれなり以上に多い。

 しかも嫌がらせのように天使のみ扱えるタイプ、悪魔のみ扱えるタイプ、両方扱えるタイプと数まで細かく指定されており、ベレンガリアは寝る間も惜しんで作業を続けていた。


 「クソッ! 全然終わらないぞ! あの女め! 一体私に何の恨みがあってこんな事を……」

 「いやぁ、お嬢の自業自得じゃないか?」


 ぶつぶつと零れている愚痴に作業を手伝っている柘植が小さくそう呟いた。

 ベレンガリアが文句を言って居る対象はこの仕事を振ったファティマだが、今までの彼女に対する発言や態度を考えると冷遇されても文句は言えないのではないだろうかと思っていたので、とばっちりを受けている彼と相棒の両角は小さく肩を落とす。


 柘植の目線で見てもファティマという女は冷酷ではあるが、理不尽ではない。

 仕事を振るにしても出来もしない無茶振りはしないのだ。


 ……にもかかわらず、ここまでギリギリの仕事を振って来ると言う事は相当に嫌われているのだろう。


 それでもベレンガリアの能力なら辛うじて達成できるノルマを課してくる辺りに恐ろしさを感じる。

 未だに理不尽だなんだと文句を垂れ流しながらも作業を続けているベレンガリアを見て柘植は溜息を吐く。

 彼女は空気が読めない馬鹿――ではなく、直情傾向にはあるがやればできるのだ。 だが何故、対人関係ではここまで駄目なのか……。


 柘植や両角も何とか矯正しようと努力はしたのだが、何度言い聞かせてもダメだった。

 ここ最近は力尽くで軌道修正する形で難を逃れているが、どうすれば良いんだと途方に暮れてしまっている有様だ。


 オラトリアムは成果重視ではあるが、上の機嫌は可能な限り取っておくに越したことはない。

 ベレンガリアはその点を理解できていないのでこうなってはいるのだが、苛立っている理由は他にもあった。


 エゼルベルトの存在だ。 参入したのが後にもかかわらず、明らかにベレンガリアよりも優遇されているのでそれが面白くないのだろう。

 実際、少し前にあった集まり――会議か何かと後で聞かされた催しにはエゼルベルトは呼ばれたのにベレンガリアは呼ばれなかったのだ。 その直後のベレンガリアの機嫌の悪さは酷く、柘植達も宥めるのに随分と苦労した。


 そして最大の違いはエゼルベルトはオラトリアムの本拠に出入りできているという点だ。

 エゼルベルトの主な拠点はこの島となっている。 その理由は彼が連れて来た転生者達だ。

 元々、この島は魔導書の製造工場という役目もあるが、それとは別にこの島では漁を行っている。


 要は船を出しての漁業だ。 当初はオークやトロールなどの亜人種が不慣れながらも行っていたが、海棲の転生者達は段違いに効率の良い成果を叩きだしたので、そのまま任されると言った事となった。

 今では新鮮な魚をオラトリアムに届ける仕事を割り振られている。


 それにより彼等はこのオラトリアムで市民権を獲得。 責任者であるエゼルベルトは本来ならこの島から動かなくてもいい筈なのだが、どう言う訳かオラトリアムに呼び出されて別の仕事を任されている。

 こうしてエゼルベルトはオラトリアム内でも一定の地位を獲得し、島と本拠であるオラトリアムを自由に行き来できる許可も得たのだった。


 そんな調子で順調に出世していくエゼルベルトにベレンガリアは妬みとも怒りともとれる複雑な感情を抱いていたのだ。 だが、露骨な妨害に走らない所は彼女の数少ない美点であるかもしれない。

 ベレンガリアは空気も読めない上、考えなしに思っている事を直ぐに口に出す性格ではある。


 だが、仕事には決して手を抜かない。

 彼女はぶつくさと文句を言いながらも手掛けている魔導書を一ページ一ページ丁寧に確認しつつ仕上げて行く。 柘植と両角の仕事は彼女が作成したページを綴じる仕上げ作業だ。


 ベレンガリアのブツブツと言った文句を聞きながら残りの二人は黙々と作業を片付ける。

 期限が近いので朝から晩までこの作業を続けてノルマの達成を目指す。

 そして――


 「終わったぁぁぁぁ!」


 ――何とかではあるがノルマを達成する事が出来、ベレンガリアは最後のチェックを済ませるとそのまま作業スペースで突っ伏した。

 

 「お疲れ、お嬢。 納品はこっちでやっとくから部屋で寝てな」

 「あぁ、悪いが頼む。 あー、体の節々が痛い……」


 ベレンガリアは肩をグリグリと回しながら部屋へと帰って行った。

 柘植と両角は出来上がった魔導書をしっかりと梱包すると箱に入れて担ぐ。

 向かう先は工場の近くに存在する転移施設だ。 二人もオラトリアム行きは許可されていないので、警備のレブナントに事情を話して取りに来て貰うと言った面倒な手続きを踏む必要がある。


 しばらく待つとヴァレンティーナがあらわれた。

 ファティマに似た顔立だが、どこか中性的な印象を受ける。 正直、柘植はファティマと顔が似ているこの女の事が苦手だった。 美しいとは思うが、からかうような眼差しに混ざる嗜虐性は隠しきれていない。 柘植は本能的にだが察しており、それが苦手意識として刷り込まれているのだ。


 「やぁ、ご苦労様。 思ったより早く片付いたみたいだね?」

 「頑張らせて貰いやした。 さ、中身の確認をお願いしやす」


 箱を開けて見せる柘植にヴァレンティーナはふむと中身を検める。

 

 「……うん。 後で細かくチェックはするけど見た感じ問題なさそうだね。 お疲れ様、ゆっくり休んでくれていいよ」

 「へぇ、ありがとうございやす」


 柘植はそう返しながらも迷う。 このタイミングなら多少は意見を言っても許されるのではないだろうか?と。

 ヴァレンティーナの地位は高い。 その為、こうしてチェックに現れる機会は少ないので、話をするなら今しかないのだ。

 

 「あの、ちょいとよろしいですかね?」

 「ん? 何かな? ……うーん、当ててみようか? 大方、ベレンガリア嬢の待遇改善と言った所かな?」

 

 ヴァレンティーナに言おうとした事を見事にいい当てられ柘植は思わず言葉に詰まる。

 せめてオラトリアムへの限定的な出入りだけでも許可して貰えないかと頼むつもりだったのだ。


 「気持ちは分からなくもないけど、ちょっと難しいかな? 別に今更、彼女を信用できないとは言わないし、意地悪で言っている訳じゃないんだ」


 柘植は無言でどういう事だと思いつつ続く言葉を待つ。

 ヴァレンティーナは小さく肩を竦める。


 「ベレンガリア嬢は性格面では問題ありだが、知識面では有用と考えてはいるよ? ただ、下手に行動範囲を広げて、また姉上の前でおいた・・・をすると庇うのがちょっと難しくなるかな? その辺の不安要素が消えない限りは止めておいた方がいいんじゃないかな?」


 否定のしようがない正論だったので、柘植は諦めるように俯く。


 「……分かりやした。 すんません、余計な事を言いやした」

 「ま、聞かなかった事にしておくよ。 用がないなら今日はこれで終了だ。 君達も休むといい」


 柘植が頷くとヴァレンティーナは連れている部下に荷物を持たせるとそのまま引き上げて行った。

 姿が見えなくなった所で肩の力を抜く。


 「……はぁ、やっぱりお嬢の矯正が先か……」


 ベレンガリアが自由にオラトリアムを出歩ける日は遠そうだ。

 そして柘植達の苦労もまだまだ続きそうだった。

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