第875話 「蟲害」
ブロスダンは信じられない光景を目の当たりにする事となった。
「<
ローがそう口にした途端、聖剣から過去にない程の警告が伝わったからだ。 もはやそれは警告の域を超え、全力で逃げろと叫んでいるかのようだった。 だが、それはもう遅い。
――何故ならそれは成立してしまったのだから――
ブロスダンが最初に気が付いた変化は聴覚だ。 耳が異音を拾う。
それはブブブという羽虫が飛行する際に発生する音に近い。 そしてそれは徐々に大きくなり、瞬く間に無視できない規模の大音響へと変わる。
そしてローの足元から黒い闇のような何かが柱のように立ち昇り、空へと広がって行く。
さながら小さな器に入った水に大量の染料をぶちまけたかのように空が黒く黒く染まる。
それに比例して耳障りな羽音もその数を増す。
ブロスダンは魔法で視力を強化。 空を汚染していく闇へと目を凝らす。
『――っ!?』
結果、闇の正体は分かったがブロスダンは知ってしまった事を心底から後悔した。
それ程までに悍ましい物だったからだ。 アレは闇じゃない。
数が多すぎて闇に見えただけだ。 彼が闇と思っていた物は
羽の生えた細長い虫。 黒い装甲じみた甲殻を持った蟲――百足に似た生き物が羽音を鳴らし、塊を成して空を覆っているのだ。 余りの光景に吐き気すら込み上げる。
そして羽音に混ざってギチギチと口腔を鳴らす音がブロスダンの嫌悪感を加速させ、生理的な嫌悪感と圧倒的な物量は彼の心に恐怖心という名の楔を抉るように打ち付けた。
気が付けば彼は恐怖の余り体が震えていたのだ。 アレが襲って来る。
数秒後に現実になる未来を考え、彼の脳裏からは復讐心ですら一瞬消え失せた。
アザゼルでさえも不味いと判断。 魔剣の能力で辺獄からの撤退を試みようとしたが、ローの魔剣に妨害されて失敗に終わる。
――そして空を埋め尽くす蟲達が停止。
一斉に獲物――ブロスダンへと狙いを定める。 アザゼルは即座に全ての武器を展開。
剣などの近接武器が盾や弓矢に変化。 迎撃する構えではあるが、選択肢がそれしか存在しないのでそうせざるを得ない。 同時にブロスダンにも対処を促す。
我に返ったブロスダンは全力で聖剣の力を解放。 限界まで銅のキューブを生み出す。
どんな困難な状況も覆す聖剣の力がこれほどまでに頼りないと思ったのは彼にとって初めての経験だった。 そして彼の脳裏には――
――無理だ。
そんな言葉が浮かんでいた。
必死に目を背けていたが、彼の心の一部はこれは防げるような規模じゃないと諦観を囁く。
だが、それでも彼の歩んで来た道程と復讐心がそれを許さない。
『うぉぉぉぁぁぁ!』
自らの恐怖を捻じ伏せる為に咆哮。
そして無数の羽音と共に空が落ちて来た。 そうとしか形容できない光景だったのだ。
アザゼルの弓矢が魔力の矢を発射。 魔力によって編まれたそれは弓とは思えない連射速度を誇り、並の軍勢なら容易く薙ぎ払う事が出来るだろう。
――が、それは数える事すら馬鹿々々しい数の蟲の群れの前には無力だった。
命中し、確かに削っているだろうが、総数が多すぎて攻撃が吸い込まれているようにしか見えないのだ。 闇の層が分厚過ぎて減っているのかすら分からない。
少し遅れてブロスダンも銅のキューブを連続発射。 その攻撃の全ては闇に吸い込まれ消失。
本当に消えたのではない。 消えたと錯覚する程の早さで食いつくされたのだ。
それこそ文字通りの一瞬で。 そして落ちて来る速度は一切変わらない。 視界が瞬く間に闇に埋め尽くされる。
『――おのれ!』
アザゼルは諦めずに無数の盾を前面に展開し、魔剣から魔力を引き出して強度を全力で強化。
同時に魔力による障壁を展開。 ブロスダンも同様に防御行動。
いくら聖剣アドナイ・ツァバオトの持つ加護が強力だったとしても、躱しようがない攻撃に関してはどうしようもない。
空を覆いつくした蟲の群れは瞬時にブロスダンを呑み込んで爆発のような衝撃を発生させ、その破壊力を遺憾なく発揮した。
「……これは凄い」
俺は自分がやったにもかかわらず目の前で起こった惨状を目の当たりにして小さく目を見開いた。
もう使い方すら思い出せんが、これが極伝――轆轤技術の到達点と言う事は理解できている。
聖剣使いですら問題にならない圧倒的な物量による攻撃。
英雄の領域に至った者が振るう力、か。
こんなレベルの攻撃を気軽に撃ち込んで来る連中だ。 英雄の全盛期がどれ程の物だったのかが察せられるな。 ヒントは得たが、物に出来るかは俺次第か。
……まぁ、今後の課題は置いといて、まともに喰らったブロスダンはどうなった?
跡形も残っていなかったとしても驚かんぞ。
流石に聖剣は残っているだろうから回収を――おや? 蟲達が消滅した先には人影が存在した。
原形を保っているとは随分と頑張って防いだんだな。 正直、立場が逆だったら生き残る自信がないな。
『お、おぉぉ!』
呻き声のような物を上げてブロスダンは一歩を踏み出すが、凄まじい有様だった。
全身を蟲に食い荒らされ、生きているのが不思議なぐらいだ。 腹は空洞、手足は骨が剥き出し、顔面に至ってはもう原型を留めていない有様だった。 それでも生きているのは心臓や脳と言った重要器官を守りきったからだろう。
聖剣が光り、奴と一体化したアザゼルが保有している魔剣から魔力を吸収して傷の再生を図っているが、そんな有様では無理だろうな。
ブロスダンに近づくと俺の魔剣が脈打つように光を放つ。 するとブロスダンの胸から闇色の球が飛び出し、こちらに飛んでくる。
球は魔剣に接触するとそのまま吸収された。 さて、これで頼みの綱の魔剣も消えたな。
逆にこちらは四本になったので魔力の供給効率が上がって調子が良いぞ。
やはりナヘマ・ネヘモスと同様に中身が――いや、これは微かにあるのか? 消えかけのか細い物だが、何かを感じるな。 これならうるさくないし俺としても都合がいい。
手足が壊滅状態にもかかわらず、倒れていないのは意地か何かだろうか?
良く分からんが、動けないようだしさっさと始末するとしよう。
ブロスダンはこちらを睨みつけているが、動けないのは分かっているので構わず魔剣を第一形態に変形。 無言で振り上げる。
いくら聖剣使いがしぶとくても腰から上を挽き肉に変えられれば死ぬだろう。 というよりこの後、他が残っていたら掃討する必要があるので、忙しいから早い所、死んでくれ。
魔剣を一閃しようした所で不意に何かが割り込んで来る。 青い光が魔剣の一撃を受け止めていた。
『この人をやらせない!』
目の間に居たのはハイ・エルフの女。 手には聖剣。
見た所、もう一人の聖剣使いだな。 アイオーン教団の連中に足止めさせていると聞いていたが、突破して来たのか。
思った以上に使えない連中だなと思いながら、俺は標的を目の前の女に切り替えた。
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