第858話 「女狐」

 ユトナナリボから少し離れた神殿では残っていたガドリエルが、産み出した天使兵を次々と送り出しながら自らの能力を使用して兵士を増産。

 産み出した端からユトナナリボへの救援を指示。 ガドリエルの能力は天使兵や武具の作成。


 作成できる物の種類は多いがその分、特化している者に比べればやや劣る。

 以前はΑσαελアサエルと言う天使兵の生産に特化した者が居たが、辺獄での戦いで斃れてしまったので、生産関係の役目を担えるのはガドリエルのみとなっている。


 ガドリエルも生産を担うだけあって戦闘能力は低く、替えが利かないのでこうして神殿の守護に就いているのだ。 ただ、生産というが無尽蔵に作成できる訳ではない。

 触媒は鉱物や石材があればどうにでもなるが、大量の魔力が必要となるので無計画に生み出し続ければガドリエルの力が尽きてしまう。


 その為、聖剣エル・ザドキの支援を受けながらでないとかなりの消耗を強いられるので、この状況での生産は余りいい手ではない。

 それでも実行に移したのは敵襲により、ユトナナリボが襲われている事と主力が不在という事もあり、かなり苦戦しているのが分かったからだ。


 ガドリエルは迷っていた。 送れるだけの増援を送ったが、戦況は思わしくない。

 ヴァーサリイ大陸に侵攻した者達を呼び戻すか否かをだ。 気配から攻めて来たのは混沌の眷属達。

 前回、侵攻した際はバラキエルとバササエルが手傷を負ったものの問題なく勝てる相手と断じていた。


 そんな者達を相手に苦戦を強いられているので、戻ってきて欲しいと助けを求める?

 ガドリエルもそうだが、基本的にグリゴリの天使達は他を見下す傾向にあった。

 格下、見下ろすべき下等な存在。 そのような相手に圧倒されているという事実を認める事に酷く抵抗があった。 だが、彼等の行動指針は合理によって定められる。


 それが囁くのだ。 このままだと負けると。

 ガドリエルはやや迷ったが、現在ユルシュルで戦闘を行っているペネムに連絡を取ろうとして振り返る。 何故なら無数の気配が向かって来ていることが分かったからだ。


 「どうもこんにちは。 グリゴリの天使殿とお見受けします」


 そう言ったのは先頭に現れた女だ。

 身に纏っているのは豪奢なドレスに腰には立派な装飾が施された剣とホルダーに納められた魔導書。

 青みがかった髪に感情を感じさせない薄い笑み。 ファティマだ。


 彼女の周囲には護衛の三人とメイヴィス。

 背後にはアブドーラを筆頭にしたレブナントや改造種の群。

 

 『――混沌の眷属か。 ここは貴様らの様な者が足を踏み入れていい場所ではない。 疾く去るがいい』

 

 ガドリエルは上位者たる態度を崩さず、ファティマ達にそう言い放つ。


 「――ふっ」


 対するファティマは小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 

 「これは失礼。 余りにも頭の悪い事を言う羽虫だと思ってつい――それで? 土足で足を踏み入れた私達にはどんな天罰が降るのでしょう? もしよろしければ後学の為に是非とも拝見させて頂きたいですね?」

 

 『愚かな。 死を以って償うがいい!』


 ガドリエルはそう言い放ちながらペネムに連絡。

 襲撃を受けて居るので即刻戦力を戻すようにと伝えて戦闘に入る。

 魔法を展開。 無数の光の矢を飛ばすが、その全てが途中で軌道を捻じ曲げられてあらぬ方向へと飛んで行く。


 同時に小さな足音が響き、ガドリエルが視線を下げるとファティマが一人でゆっくりと歩き出していた。

 余裕を持った動きで腰の魔導書を抜き放つと展開。

 ガドリエルは構わずに追撃するが、攻撃の悉くが逸らされる。 防御の理由は空間に発生している歪みだ。 魔力を用いて視界を強化。 それにより見えざる物も見通せるようになる。 


 それを発生させているのはファティマの腰から伸びている巨大な尻尾だ。

 形状は狐のそれに近いそれは周囲の空間を歪ませて攻撃の軌道を捻じ曲げる。

 ファティマはガドリエルの攻撃をつまらなさそうに防ぎながら、紡ぐようにそれを口にした


 「<第三パラレル・グリモワール混章:アルス・パウリナ憤怒ラース』>『Τηε ψονσεσりのθενψες結果 οφは、 ανγερ怒り αρε φαρ μορε σεριοθςよりも τηανはる τηεかに ψαθσες重大 οφ ανγερある.』」


 ファティマの背から風切音。 同時にガドリエルの巨体が何かに打ち据えられたかのように吹き飛んだ。

 ガドリエルは咄嗟に体勢を立て直そうとしたが、今度は上からの一撃で地面に叩きつけられる。

 

 「良い格好ですね」


 地面に倒れ伏すガドリエルに向けてファティマは冷たくそう言い放つ。

 同時に背後の空間が歪むと彼女の背から九つの巨大な尻尾が現れた。

 尾はそれぞれが独立した生き物のように動いてガドリエルを威嚇するようにその先端を向ける。


 本来ならファティマは全体の指揮を執らなければならない立場だったが、その全てをヴァレンティーナに押し付けてこの場に立っていた。

 彼女が危険を顧みずにここまで来た理由――それはごくごく個人的な物だったのだ。

 夫を殺そうとした事、その目の前で恥をかかされた事。 この二点。 片方だけならまだ我慢はできただろう。 だが、両方は駄目だった。


 理性は余計な事をするな、冷静になれと囁くが彼女自身の感情がそれを許さない。

 そしてそれに呼応するように魔導書は彼女に力を貸す。

 

 ――権能『Τηε ψονσεσりのθενψες結果 οφは、 ανγερ怒り αρε φαρ μορε σεριοθςよりも τηανはる τηεかに ψαθσες重大 οφ ανγερある.』


 『憤怒』を司る権能だけあってその能力は非常に単純で、力が強くなるだけだ。

 ただ、その強化度合いは対象に対する怒りで決まる。

 ガドリエルは戦闘向きではないとはいえ上位の天使。 その巨体も相まって、殴られた程度で簡単に吹き飛ぶような事にはならないのだが、地面に這い蹲らされている時点で尋常ではない威力を叩きだしていた。


 いつでも飛び出せるように護衛の三人はハラハラとした気持ちで見守っていたが、この様子なら大丈夫かと思いつつも警戒は解かない。


 ――事の始まりは作戦の流れが決まった所だった。


 いきなりファティマが前線に出てグリゴリを直接この手で縊り殺したいと言い出したのが発端となる。


 当然、ヴァレンティーナは止めてくれと頼んだが、珍しくファティマは頑として譲らない。 

 その後は姉妹会議へと突入し、必死に止めるヴァレンティーナ、メイヴィスと好きにさせればいいと無責任に言い放つケイティとグアダルーペ。 シルヴェイラは我関せずと一言も発しない。


 混沌とした会議は平行線を辿り――現状へと落ち着いた。

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