第854話 「海落」

 グリゴリの天使達が出撃し、ユトナナリボはいつもの日常を取り戻した。

 次に変化があるとしたら戦いを終えて帰って来た天使達の凱旋を迎える時だろうとエルフ達は信じていた――否、当然の結果として欠片も疑っていなかったのだ。


 ――その日、自分達の身に何が起こるかも知らずに――

 

 最初に変化に気が付いたのは海辺で釣りに勤しんでいる釣り人達だ。

 ここ最近、海辺での失踪事件が多発していたので、複数人が固まって釣りをしている最中にそれは起こった。

 小さな地鳴りのような物が足元から響く。 地震かと咄嗟に釣り道具や釣果を納める箱を守ろうとするが、目の前で展開された光景に思わず硬直する。


 海が大きく隆起しているのだ。 見ていた者達は巨大な何かが現れようとしていると考えたが、違うと気が付く。 巨大な水の柱が立ち上がり天高く聳え立つ。

 余りに巨大なその柱の発生に伴い周囲の水位が一気に下がる。


 「な、何なんだ一体……」


 変化はそれだけに留まらない。 その柱の中を巨大な魚影が昇って行くのだ。

 信じられない大きさで、距離があるにも関わらず全長が掴み切れなかった。

 影はゆっくりとだが確実に柱の中を泳ぎ、その頂へと向かう。


 「お、おい! 誰か通信魔石を! 知らせ――」


 余りの光景に言葉を失っていた彼等だったが、ややあって思い出したかのように緊急事態をユトナナリボへと伝えようとしたが――それは叶わなかった。

 一瞬の事だった。 海から飛び出した無数の触手のような物に絡め取られそのまま海に引き摺り込まれ、その姿が掻き消える。


 ――後に残されたのは散らばった釣り道具だけだった。




 巨大な水の柱はその大きさ故に早い段階でユトナナリボでも観測された。

 木々に遮られているにもかかわらず、はっきり見えている時点で、彼等にも途方もない大きさだと分かる。 余りの光景にエルフ達も呆然と空を仰ぐ事しかできなかった。


 変化は終わらない。 巨大な水の柱の頂が弾け飛ぶように広がる。

 正確には柱の頂上を起点に海から汲み上げた海水が空に広がっているのだ。

 瞬く間に空に海が広がる異様な光景がユトナナリボの上空に展開される。


 海が完全にユトナナリボの上空に被さった所で広がりが止まった。

  

 ――何も起こらない?


 異様な光景の前に完全に思考が停止しているエルフ達。

 何故こうなったのか? それ以前にこの状況の意味すら分からない者が大半を占め、まともに思考できる者はそう多くなかった。


 最初に動けたのは一人のハイ・エルフだ。 彼がそれに気付けたのは偶然だった。

 彼は空から雫が一滴落ち、それが地面に当たるのを偶々見かけたのだ。 何て事のない些細な事だが、この異常な状況と併せればこの後に何が起こるのかが見えて来る。


 ――恐ろしい未来が。


 「ぼ、防御魔法を! 急げ!」


 即座にユトナナリボの周囲に敷設された多種多様の防御魔法が起動。

 グリゴリの手も入った強固な障壁が全周に展開。

 同時に状況が動く。 空に広がった水が落ちて来た・・・・・のだ。


 その圧倒的な質量が音もなく落下し、展開された障壁に接触。

 凄まじい轟音と共にユトナナリボとその周辺にあった物に襲いかかった。

 海水は障壁に防がれて都市には入らなかったが、その周囲にあった物の大半を洗い流す。


 障壁の範囲外にあった建物、樹木、そして活動していたエルフの民達。

 海水はその全てを平等に洗い流す。 落ちて来た全ての海水が流れ、大量の水煙が上がった後に残されたのはユトナナリボとほぼ更地と化した森だ。


 エルフ達は何とか無傷ではあったが空を見て驚愕する。

 海水がまだ空に広がったままなのだ。

 もう一度アレが来るのかと恐怖に慄くが、次に起こったのはそんな生易しい物ではなかった。


 ユトナナリボの上空に信じられない程の巨大な魚影が見えるのだ。

 シルエットから魚と言う事は分かるが、異常なほどの大きさだった。

 それはかつて獣人の国を襲った大怪魚――ディープ・ワンと呼称された存在。


 水面越しでもその存在が眼下のユトナナリボを睨んでいるのは住民の大半が理解できた。

 だが、恐れることはないと自らを鼓舞する。 何故ならこの都市は偉大なる存在であるグリゴリの天使の加護に守られているからだ。

 

 ――が、その希望は儚くも砕け散る。


 仕掛けを施した巨木のあちこちで爆発が発生し、障壁が消滅。

 周囲の木々が洗い流された事により、視線が良く通るので街の外縁に居た者には理由がすぐに分かった。

 いつの間にかユトナナリボを包囲するように巨大な金属の異形――魔導外骨格が立ち並んでおり、装備している武器で障壁の発生源らしき場所を集中砲火。


 この都市を守っている障壁は樹木に細工を施す事によって大地から魔力を供給し、複数を並行起動する事によって強度を大幅に上げていたのだが、その反面、一角でも崩れると連鎖で他も崩壊するという欠点もあった。 それにより都市を守る障壁は崩れ、上空の巨大怪魚が待ってましたとばかりに水面から僅かに腹を出す。


 すると水面から出た部分が割けるように開き。 中から巨大な二つの影が落下。

 片方は巨大な悪魔――アクィエル。 もう片方は改修が完了したサイコウォード。

 両者が着地したと同時に後続に大量のコンガマトーとそれに跨る改造種達が怪魚の腹から姿を現す。


 コンガマトー達は挨拶代わりと言わんばかりに火球を吐きながら急降下。

 充分に高度を落とした所で僅かに体勢を傾けると跨っていた者達は次々と飛び降りる。

 最初に着地した者――ハリシャはユトナナリボの地に降り立ったと同時に刀を抜き放ち、そのまま一閃。 手近に居たエルフ達の手足を斬り飛ばした。


 「はははははははは! またこんな好機に巡り合えるとは素晴らしい! さぁ、敵はここですよエルフの方々! さぁさぁ、かかって来てください!」


 彼女に続くように次々とレブナントや改造種達が降り立って周囲に攻撃を仕掛けつつ、開けた場所――安全な降下地点の確保に動き始めた。


 『き、貴様等! ここが何処か分かって――』


 怒りの声を上げたエルフの首が刎ね飛ばされる。


 「申し訳ありません。 エルフの言葉には疎いので人間の言葉で話して頂けますか? ――できないなら、剣か魔法でお願いしますよ!」


 ハリシャは幸せと言わんばかりの満面の笑みで刀を振るい続け、老若男女を問わず視界に入った者達の手足を斬り飛ばす。


 『止め――』


 既に背の六腕を展開して手の付けられない状態になっているハリシャを止めようとハイ・エルフが魔法攻撃を行おうとしたがその腹に風穴が開く。

  

 『――え??』


 自分に何が起こったのか理解できずにハイ・エルフは崩れ落ちた。

 

 「分かってると思うが殺しすぎるなよ」


 そうハリシャに声をかけたのは銃杖を構えたイフェアスだ。

 背後からハイ・エルフの腹に風穴を開けた彼は銃撃した対象の生死を確認。 辛うじて生きている事を確認後、部下に運び出せと顎で指示を出す。


 「えぇ、勿論」


 笑顔で頷くハリシャに一抹の不安を感じながら、イフェアスは一つ頷く。


 「ならいい。 よし、こちらは例の天使兵とやらが出てくる前に例の像を潰して回る。 急げ!」


 楽し気に刀を振るうハリシャを尻目にイフェアスは副官として下に付いているライリーを筆頭としたシュリガーラ達を引き連れて街の各地にある憑依の触媒に使用される像の破壊に向かった。

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