第849話 「身売」
あちこちで声が上がり作業を行う者達が行き交う。
それを眺めながら俺――エルマンは各部署に指示を出す。
今いる場所はユルシュルの首都、少し前までユルシュル王が本拠として使用していた都市だ。
現在は王国から借りた兵とアイオーン教団でかき集めた聖騎士、聖殿騎士達が作業を行っている。
具体的に何をしているのかと言うと、使えるかの確認作業だ。
幸いにもユルシュルとの決戦時には連中が立て籠もらずに出撃したので、戦闘の余波を受けての損傷以外は目立った破損は確認できなかったので使う分には問題ないだろう。
……確かに防備だけで言えば王国では最大規模だろうよ。
何せあのユルシュル王が後先考えずに金を突っ込みまくった要塞都市だ。
大抵の相手ならかなりの期間、粘れる自信があったが今回の相手に限って言うのなら勝てるかどうかは非常に怪しい。
問題は相手が並ではないと言う事だろう。
グリゴリ。 あの厄介な天使共の前にはここの防備ですら頼りなく思えてしまう。
「……あぁ、クソッ。 厄介なのは理解してるが、どうやれば勝てるのかがさっぱり分からねぇ」
ガシガシと八つ当たりのように頭を掻く。
取り巻きに関してはどうにでもなるが、厄介なのはあの大型天使だ。
あれと同格の連中に自由に動かれると確実に詰む。 聖剣なしで仕留めるのははっきり言って無理だ。
それを補うべく色々と小細工を準備しているがいい所、時間稼ぎが限界だろう。
……どうすれば良い? どうすれば……。
考えても考えても着地点が見えない思考を続け、胃はキリキリと悲鳴を上げる。
治癒魔法をかけて誤魔化しているが頻度が上がったので、胃袋を取り出して投げ捨てたくなるぐらい苦しい。 もうこの理不尽な現実に気が狂いそうだ。
何故だ! 何故、グノーシスよりも先にあんな訳の分からん連中がいきなり湧いて来てこっちに攻めて来る? あぁ、畜生、分かっているよ。 聖剣と魔剣があるからだろう。
もう原因がどうのとか言っても意味がないのだ。 無駄な思考だと理解はしていても、考えずにいられない。
理性の一部は全てを放り出して逃げ出せば楽になれるぞと囁くが、そんな事が出来るならとっくにやっているんだよこの馬鹿がと思考を切り捨てる。 状況は最悪だが、完全に手詰まりと言う訳でもない。
禿げて生え際が後退する程、考えたのだ。 一応は突破口――と言うには余りにか細い物ではあるが、手がない訳ではない。
……というより、この状況ではあの女に縋るしかないのだ。
本音を言えば心底からやりたくない事だが、聖女やクリステラに大丈夫と言ってしまった手前、もう後には引けない。
俺は部下達に一通りの指示を出し終えると懐から通信魔石を取り出す。
――対象は言うまでもない。 俺が
魔力を通すと異様に早く応答された。
――はい。
――エルマンです。 ちょいとご相談がありましてね。
――なんでしょう?
相変わらずの白々しい口調でそう聞き返してくる。
この女は全てを見透かしたかのようにさっさと言えと促しているのだ。
間違いなく俺が何を口にするかを理解した上で言わせようとしている。
……これは聖女達には漏らせないな。
そう考えながら俺は本題を切り出す。
余裕も時間もないのでいきなり本題からだ。
――俺はあんたらオラトリアムが何をしようと一切、関知しない。 どこで何をしようが、何も知らないし知る気もない。
俺が口にしたのは自身を売り飛ばす事実上の全面降伏だ。
ファティマは何も答えない。 だが、通信魔石の向こうでどんな表情をしているのかは簡単に想像できる。 間違いなく予想通りとほくそ笑んでいるのだろう。
――ではこちらの指示に従うと?
――できる範囲でなら、そちらの意向に従う。
そう言ったのはせめてもの抵抗だ。 ファティマは楽し気に小さく笑う。
――では、可能な限りグリゴリを引き付けて頂きましょうか。
俺の反応に満足したのか、声から感情が消えていつもの事務的な口調に戻る。
明らかにこの話をするつもりだったのか、言葉に淀みが一切ない。
いつもの事だが、この女の恐ろしい点の一つだ。 人を食ったような口調の下には理解不能な激情が渦巻いている癖に、それを一切表に出さないのだ。 俺にはそれが恐ろしくて仕方がない。 表面上の思考は何となく読めるし理解も出来るが、腹の底では何を考えているのか全く分からないからだ。 会話をしているだけで頭がおかしくなりそうになる。
――……つまり時間を稼げと?
内心の恐怖心や動揺を抑え付けて努めて平静にそう返す。
時間を稼げと言う事はグリゴリの本拠を特定して攻め入る態勢が整った?
だが、連中の総力を相手にするのは厳しいので、こちらに一部だけでも引き離せと言った所か?
――それでは不十分ですね。 まず、前提の話をしましょうか? グリゴリは高い確率でそちらに攻め入る。
……それは俺も良く分かっていた。
というより逆の立場なら真っ先にこちらを襲う。 それも総力でだ。
目的が聖剣と魔剣である以上、連中にはそれを運用する用意があると言う事。
なら数が多い上、戦力的にオラトリアムに劣っているこちらを狙うのは間違いない。
聖剣使いには聖剣使いをぶつければいいだけの話だ。 あの上位個体らしき天使に数が居るなら、はっきりいって問題なく勝てると判断するだろう。 実際、俺自身がまともにやって勝てると思っていないからだ。
――問題はその後となります。 グリゴリがそちらに仕掛ける瞬間に同期して本拠で戦闘が発生するでしょう。
……だろうな。
そんな事だろうと思ったぜ。 もう、敵の拠点の場所を把握しているか、当たりを付けていると言った所か。 ただ、総力戦は危険と判断して戦力を分散したいと。
そこまで言われると俺達に何を求めてるのかが見えて来る。
――つまり、事が始まれば連中はこっちに構っていられなくなるから、引き上げようとするのを邪魔しろと?
――結構、理解が早くて助かります。 出来れば聖剣使いは片方だけでも抑えて頂けると非常にありがたいのですが?
暗に聖剣使いを抑えろと言っているような物だ。
裏を返せば聖剣使いさえいなければ充分に勝てると判断しているのだろう。
あの天使をどうにかできるとか冗談だろうと言いたい所だが、もうオラトリアムがどんな戦力を隠し持っていても驚かないしどうでもいい。
下手に将来の事を警戒するより直近の脅威をどうにかする方が先だ。
寧ろグリゴリを潰して適度に消耗してくれとしか思えない。
だが、難易度が極端に落ちたのは紛れもない事実。
終わりの見えない防衛戦ではなく、明確な勝ち筋のある戦いとなったからだ。
俺はその後もファティマからの細かい指示を聞きながら、脳裏でどう戦うのかを組み立て始めた。
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