第790話 「波音」

 波が寄せては返す音が響く。

 それに混じって木を切り倒す音やガリガリと建材を削る音があちこちから聞こえて来る。

 木陰でぼんやりと海を眺めている女が居た。


 彼女の名はベレンガリアマルキア・ヴェロニク・ラエティティア。

 オラトリアムの傘下に入った結果、こんな所に飛ばされる結果となった。

 さて、ここはどこかと言うと、リブリアム大陸の少し北に存在している大きめの無人島だ。


 否、無人島だった場所と言うべきだろう。

 現在はオラトリアムによる開拓作業が急ピッチで進められていた。

 トロールがドカドカと木を切り倒し、整地用のドーザーブレードを装備したフューリーが凄まじい勢いで周囲を平坦にしていく。

 

 そして平坦になった大地にドワーフが作成したらしい図面を片手にゴブリンに指示を出していた。

 指示を受けたゴブリン達は指定された場所に印をつけ、オークがそこに杭を打つ。

 

 「お嬢! ここに居たか。 そろそろいい時間だし飯にしようぜ」


 ぼんやりとしているベレンガリアへ声をかける者達が近寄って来る。 彼女の部下である転生者の柘植と両角だ。 二人は釣竿と魔石を内蔵したクーラーボックスを肩に下げていた。

 

 「……あぁ、お前等か」

 

 ベレンガリアの反応は薄い。

 柘植はその気の抜けた態度は気にせず、彼女を連れ出す。

 

 「ここはいい所だな! 魚は釣れるし、支給される飯は美味い!」


 彼は努めて明るい声を出し、両角は追随するように頷く。

 あの後――ファティマによる命のかかった質問に対してベレンガリアが行った返答は「できる事なら何でもする」だった。


 それを聞いたファティマは結構と頷き、今後は自分の指示に従うようにと言った後に逆らったら処分しますと付け加えて去って行ったのだ。

 彼女の笑顔が相当に恐ろしかったのかベレンガリアは数日程、恐怖に震えていた。


 柘植と両角もファティマの恐ろしさは肌で感じていたので、逆らおうという気は欠片も起こさない。

 そもそも逆らえるのかという前提を立てる時点で怪しいのだ。

 あの場に居たのはファティマとその護衛の四人。 笑顔で刀をカチカチ鳴らしていた女は見るからにヤバいと柘植は確信していたが、他の三人も明らかに隙がなかった。


 兜を被って表情が分からないのも居たが、残りの二人は明らかに柘植達の動きに警戒していたので、妙な動きをしたら即座に襲いかかってきただろう。

 勝てるかと自問するが即座に無理と結論を出す。 解放を使ってもまず殺されるだろうと考えていた。


 ――だが、あの中で一番危険なのはファティマ本人だろうと柘植は思う。


 恐らくあの面子とは誰と戦っても勝てないだろうが、ファティマと対峙すれば絶対に殺されるといった奇妙な予感があったのだ。

 だからこそベレンガリアが無事にあの場を切り抜けた事に心底安堵していた。


 その後は儀式用の生贄の調達で散々荒らしたソドニーイェベリが凄まじい速度で片付けられているのを見つめながら待機の日々となる。

 ローを筆頭にヤバそうな連中は残らず消えたからだ。 聞けば全員でヴェンヴァローカに殴り込みに行くとの事。 情報ではグノーシス教団の大軍勢が居るとの事だったが、始まってそうかからずに殲滅したといった結果だけが彼等に伝わった。


 その少し後だろうか? ベレンガリアの役目が決まったのは。

 内容は魔導書の量産工場で生産の管理を行う事。 最初聞いた時、柘植は言っている意味が分からなかった。 工場? サンプルを引き渡してそんなに経っていないのにもう工場?


 それも無人島に建造するのでそこで生活するようにと付け加えられた。

 こうして柘植達三人はこの無人島に送り込まれたのだったのだが――

 島での生活は意外な事に悪くなかった。 工場の稼働は始まっていないので、柘植達の出番はなく暇を持て余す事となる。


 ベレンガリアはこの先どうなるのかといった不安の所為で塞ぎ込んでいたが、柘植は積極的に動いて情報を集める事にした。

 現在、開拓中なので大した物はないが、急造の港に船がいくつか。 中には漁船のような物もあり、何をやっているのか定期的に大量の肉を満載して海に撒いているのを見たが、それがどういった意味を持っているかの詳細は不明だ。 恐らく、魚でも養殖しているのだろうと考えてはいたが、本当にただの魚なのだろうかと不安な気持ちで見ていたが、怖くて質問は止めておいた。


 後は現在、建造中の工場と転移施設。

 そう、転移施設だ。 柘植にとって最も驚いたのは転移だった。

 ホルトゥナにもごく少数だが転移魔石は出回ってはいたのだが、こんな大規模な転移が出来る程の設備はまず用意できない。


 どれだけの資金を投入すればこんな施設を気軽に生み出せるのかもわからなかったが、技術の出所もさっぱり分からないのだ。

 当然、下手な事を聞けば消されかねないので探りを入れる事はできないが。


 ――ともあれ、現状は首の皮一枚で繋がって居る状態なので、工場が完成次第ベレンガリアには頑張って貰わないと不味いと柘植は考える。


 その為に努めて明るく振舞い、食事を用意したりと甲斐甲斐しく面倒を見ていた。

 釣ってきた魚を焼いて三人でもそもそと食べる。

 オラトリアムから握り飯も支給されるので魚を喰いながら齧っていた。


 柘植は食生活に関して、大いに満足している。

 特に転生者の彼にとっては米が日常的に食べられる環境は故郷を思い出させてくれる為、とても懐かしい気持ちにさせてくれるのだ。


 両角もそれは同様だったようで美味そうにおにぎりを食べていた。

 塩を振っただけの簡単な味付けだったが、彼等にとってはとても美味く感じられたのだ。

 しばらくの間、黙って食べていたが、柘植はそろそろ切り出すべきと口を開く。


 「お嬢、不安なのは分かるが、表面上だけでもやる気は見せておいた方がいい」

 「あ、あぁ、分かってはいる。 いるんだが……」


 彼女自身も理解はしている。 自分がとっくに当主争いに負けた事も、ベレンガリアを名乗る資格がない事も、そしてオラトリアムという正体不明の勢力に生殺与奪を握られている事も。

 理解はしているが、彼女の心は未だに現実を受け入れていないのだ。


 当主となり真にベレンガリアの名を継ぐ。

 それこそが彼女の命題だったというのに、一番軽視していた末の妹にその座を持って行かれたと聞いて、どうすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。


 いや、やるべき事は分かってはいるのだ。

 それでも手を付けようという気力が湧き上がらない。

 本人は真面目に返答しているつもりなのだが、どうしても生返事になってしまう。


 柘植はこれは重傷だと思いつつ、工場の稼働までにどうにかしないと不味いなと考え――溜息を吐いた。

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