第772話 「応答」
「まずは君達に魔導書を提供した者について聞かせてくれないかい?」
ゼンドルが素直に話し始めた所でヴァレンティーナは事前に用意していた質問を口にする。
実の所、彼女にはゼンドルを最初から殺す気はなかった。 明らかにユルシュルの内情を知っていそうだったので、殺すにしても最低限の事情は吐かせてからだ。
本来ならこの後に拷問室送りの予定だったが、心が折れているのか瞳には諦観が浮かんでいた。 これなら嘘を吐く可能性は低いと尋問に切り替えのだ。
「ホルトゥナのベレンガリアと名乗る女からだ」
「……ベレンガリア?」
ヴァレンティーナはその名前に聞き覚えがあった。 噂の珍獣女と同じ名前だ。
ホルトゥナの関与は魔導書を持ち出した時点で察していたので驚きはないが――
「そのベレンガリアという女の特徴は?」
ゼンドルが口にしたベレンガリアの特徴はヴァレンティーナがファティマから聞いていた特徴と一致しない。 そもそも、ユルシュルに取り入って嗾けると言う時点で彼女の聞いているベレンガリアという人物像とかなりの隔たりがある。
聞いた話では腹芸が不可能で、下品で馬鹿な単細胞と言うのがファティマの所見だった。
あの姉にここまで言わせるのかと、驚いた事は記憶に新しい。
そもそもこちらで捕獲した珍獣の所在は把握しているので、間違いなく別人――ホルトゥナは襲名制と聞いたので、勝った気になっている妹の方だろうとヴァレンティーナは確信。
「経緯に関しては獣人が売り込みに来たといった感じかな?」
彼女が先回りしてそう言うとゼンドルは小さく目を見開き、何かを悟ったのかはははと笑い始める。
「は、はは、そう言う事か。 つまりはそちらにも行っていたと言う訳か」
「そうだね。 対応した者の話だと貴方達だけにお得な話があるとか非常に胡散臭かったそうだよ?」
「こちらも似たような物だったと聞いている。 試しにと魔導書の試供品を受け取ってそのまま登用となった」
後の流れは実に分かり易かった。 ベレンガリアはそのままユルシュルのお抱え技術者として雇われ、徐々に中枢に食い込み、気が付けばそれなり以上の発言権を得るに至ったようだ。
「ふむ、ではそのベレンガリア氏は今はユルシュルに?」
「あぁ、少なくとも俺達がユルシュルを出る時には居た」
それを聞いてヴァレンティーナは考えを巡らせながら質問を続ける。
「魔導書はユルシュルで作られた?」
「いや、あの女が何処からともなく持って来た代物だ」
「持ち込みの手段は転移?」
「そうだ」
「彼女は部下をどれぐらい連れている?」
「それなりに多い。 俺も正確な数は把握していないが最低でも百人は居たはずだ」
「部下は人間? 獣人?」
「殆ど獣人で、人間はかなり少ない。 その為、ユルシュルでは酷く目立つ」
「彼女は対価に何を求めた?」
「ユルシュルの内部に私的に利用できる施設と、活動の支援を要求して来た」
「……なるほど。 彼女は魔導書の仕組みに詳しかった?」
「分からん。 ただ、俺が詳しい説明を受けたのはあの女の部下だ」
「そのベレンガリア氏が保有している戦力は連れている部下だけ?」
「……そう――いや、少し前に妙な連中を引っ張り込んでいたな。 客将足り得る器の持ち主だか何だか言っていたが……」
ゼンドルの答えは歯切れが悪い。
ヴァレンティーナはその反応に少し目を細めて質問を変えた。
「君はそれを直接見た?」
「あ、あぁ、遠目でだが少しだけ」
「容姿に特徴は?」
「……少なくとも普通の人間の形はしていなかった」
「もうちょっと具体的に分からないかな?」
「あ、あぁ――全員ではないが羽に触覚の様な物があって……そう、虫を大きくしたらあんな感じかもしれん」
ふむふむとヴァレンティーナはゼンドルの話を脳裏で纏め、一先ず聞きたい事は聞けたと質問を打ち切る。
何かを察したのかゼンドルは小さく目を伏せた。
「俺は用済みか?」
「そうだね。 聞きたい事は一通り聞けたかな?」
「……殺すならせめて苦痛が少なくなるように頼む。 俺なりに誠意を見せたつもりだが?」
暗に正直に話したのだからそれぐらいは聞いてくれと言っているのだろう。
ヴァレンティーナは掌をゼンドルに向けるが――ややあって下ろす。
「確かゼンドル君だったかな? 諦めている所に水を差すようで悪いけど、助かりたいとは思わないかい?」
「……何?」
彼女の発言が意外だったのかゼンドルは目を丸くする。
「ちょっと試したい事があってね。 簡単に言うと実験台になって欲しいんだ。 それなり以上に痛い思いはすると思うけど、上手く生き残れば
「何をする気だ?」
「それはここでは言えないかな? 君の答えは「はい」か「いいえ」のどちらかだ。 「はい」なら別室に案内する事になり、「いいえ」ならここで終わり」
ヴァレンティーナはさぁどうする?と微笑んだ後に選べと選択肢を突き付ける。
ゼンドルの思考はここに来て混沌の坩堝に叩き落された。
さっきまではどうせ死ぬのだろうと諦めていたからこそ心は凪いでいたが、不意に落とされた生存と言う名の道に激しく動揺したのだ。
生きたいか死にたいかで聞かれると、当然ながら生きたいとゼンドルは答えるだろう。
だが、頷いて良い物かとも思うのだ。
少しの間しか話していないが、このヴァレンティーナという女は見た目以上に恐ろしい存在だ。
彼と彼の率いた軍勢を薙ぎ払った戦闘能力もそうだが、最も恐ろしいと感じたのはその目。
冷酷とも冷静とも違う落ち着き払ったその目だ。 ゼンドルの事を蔑むような色はない。
ただ、対等に見ていない事も同時に理解できた。 これを何に例えるべきかと思いを巡らせて――ややあって理解が広がる。
ヴァレンティーナがゼンドルに向ける感情は虫や小動物か何かに向けるような好奇心に近いそれだった。
それ故に理解できたのだ。 彼女はゼンドルに決して嘘を吐いていないと。
要は嘘を吐く必要があるのか?と高い位置から言っているのだ。
事ここに至っては特に屈辱を感じない。 普段なら激高の一つもしたかもしれないが、圧倒的な力の差を見せつけられた現状では「まぁ、そうだろうな」と言った感情しか湧かない。
だからこそ彼女の言葉は額面通り、酷い苦痛を伴う実験を潜り抜ければ助かるかもしれないというのは本当だろう。
ただ、苦痛を伴うのは確実で、助かるかは明言されていない。
理性は警鐘を鳴らす。 この提案を呑むのは危険だと。 だが、断れば待っているのは死だ。
いや、断った瞬間に死は現実のものとなるだろう。
「お、俺は――」
ヴァレンティーナはゼンドルの葛藤を味わうように見つめ続け、彼の答えを急かさずに待ち続ける。
部下の片づけはまだまだかかりそうだからだ。
――さぁ、たっぷりと悩んで答えを出したまえよ。
彼女にとって、答えはどちらでもいい。
その葛藤の表情は実にいいとヴァレンティーナは笑みを浮かべながらゼンドルを見つめ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます