第758話 「掌上」

 「……ふぅ、馬鹿は扱い易くて助かるわ」


 王との話が済んだ後、ベレンガリアは宛がわれた一室でうーんと小さく伸びをする。

 彼女は元々この国へは調査の為に訪れており、可能であれば権力者に取り入れればとも考えていたのでこの状況は彼女にとって何かと都合が良かった。


 ウルスラグナ。

 ヴァーサリイ大陸の北端に存在する辺境の地で、中からでないと情報が集めるのが難しい場所だ。

 当初、ベレンガリアはこの地にはあまり興味がなかった。


 立地の問題もあったが、第八の聖剣魔剣の存在以外は行くまでの手間を考えると労力に見合わないと考えていたからだ。 それともう一つ。 元々、この地はテュケ――アメリアの縄張りだったのだが、手を引いたという話は聞いているので嫌な感じがしていた事もあり、二重の意味で余り近寄りたくなかったからだ。

 

 だが、状況が変わった事もあってこうして足を運ぶ事となった。

 まず第一に彼女の姉であるジャスミナが、この地に向かっていたからだ。

 目的は第八の聖剣の担い手たる聖女。 彼女の助力を得て、フシャクシャスラでの戦いで功績を稼ごうと目論んでいた事。


 それにより、楽にウルスラグナへと足を踏み入れる事が出来たからだ。

 ジャスミナが連れていた者達はベレンガリアの息がかかっており、当然ながら転移魔石も所持している。

 貴重な品なので配下に持たせる事には中々勇気が必要だったが、今回は正解だったようだ。


 ベレンガリアは小さく鼻で笑って窓から外の景色を眺める。

 

 ――なんて愚かな姉。


 ベレンガリアには二人の姉がいる。 そしてその二人に対しては侮蔑の念しかない。

 自分が賢いと思い込んでいる無能に、最初に生まれた事を鼻にかけてばかりの馬鹿。

 無能には道化以外の使い道はなかったが、馬鹿は魔導書開発などの功績により利用価値があった事だけは評価していたのだ。 ただ、その魔導書の複製も終わったのでもう用済み。


 本来ならグノーシス教団に始末して貰う予定だったのだが、ここに来て想定外の事態が立て続けに起こったので、何かで補填しなくてはならなくなったのだ。 それこそが彼女自らこの地に出向いた最大の理由だった。 そして最後にジャスミナが生き残っている可能性が高い事もあったからだ。

 ユルシュル王にはああいったが、生きている可能性は半々ぐらいだと彼女は考えていた。


 ――何故、ここに来て想定外ばかりが起こる?


 途中までは上手くいっていたのだ。

 懇意にしている教団の関係者にジャスミナが第八の聖剣の担い手の協力を取り付け、フシャクシャスラへと現れると情報を流した。

 それにより第八のエロヒム・ツァバオト、第九のシャダイ・エルカイと二本の聖剣が手に入り、ついでにフシャクシャスラをどうにかできればヴェンヴァローカとグノーシス教団に大きな貸しを作れる。


 グノーシスとしても二本の聖剣に加え、第十の聖剣たるアドナイ・メレクを手にする為の足掛かりが手に入るのだ。 この好機を逃す手はないと救世主の投入を決意させた所までは良かった。

 加えて送り込んだ兵力も桁外れだったので少々の犠牲は出るだろうが、問題なくフシャクシャスラを陥落させ、第九の魔剣も押さえた後に聖剣を奪い、そのついでにジャスミナを始末すると言った約束も取り付けられたのだが――


 ――結果は惨憺たる有様だった。

 

 フシャクシャスラでの戦闘は勝利こそ収めたが、第九の聖剣魔剣は消滅。

 救世主を筆頭に投入した戦力の大半は死亡し、辺獄の空から出現した「虚無の尖兵」により追加の戦力を投入せざるを得ないと言った事態に発展。


 それでもまだ巻き返せる筈だった。 第八の聖剣は健在で、「虚無の尖兵」さえどうにかできれば当初の予定通りに北部のモーザンティニボワールへ侵攻できたはずだったのだ。

 地形や戦力の情報は大雑把ではあるが集まっていたので、開戦すれば充分に勝てる勝負だった。


 ――筈なのに……。


 それを思い出してベレンガリアは苛立ちに表情を歪める。

 センテゴリフンクスが正体不明の戦力に襲撃され、駐留していた者達からの連絡は全て途絶えた。

 彼女の手勢も残らず音信不通となり、送り込んだ「虚無の尖兵」への対処を担う増援部隊からの連絡も途絶。


 信じられない話だが、全滅したと結論を出さざるを得ない。

 ベレンガリアも連絡要員として増援に手勢を同行させていたが、誰一人として連絡を取れる者がいなくなった事を考えると皆殺しされたとみて間違いないだろう。


 訳が分からない。 質こそ落ちてはいるが、物量だけなら最初に送り込んだ部隊とそう変わらない筈だったのにそれが一人残らず全滅?

 一体どうやって? 現在、ヴェンヴァローカの情報を得ようと斥候を送り込んでいるが、大陸中央部の山脈を越えるか越えないかと言った所で連絡が途絶え、誰一人帰ってこない。


 その為、あの地の情報が一切手に入らないのだ。

 グノーシスでは「衛兵」以上が出て来たのか? 獣人共が侵攻して来たのか?と様々な憶測が飛び交っている。


 だが、その中でもはっきりしている事がいくつかあった。

 ユルシュル経由でアイオーン教団の聖女が帰って来たという情報が入ったからだ。

 少なくとも聖女はあの地から生還したのは間違いない。 どうにか情報を引き出したい所であったが、王都に入れた人員からの連絡も途絶えているので接触する手段がない。 こちらも排除されてしまったと見て間違いないだろう。


 「……魔剣を奪いに行かせたのは早まったか……」

 

 ベレンガリアは自分の采配ミスに悔し気な表情を浮かべた。

 彼等はジャスミナの配下と言う立ち位置ではあったが、実際は彼女に連絡を取る振りをしてベレンガリアに情報を流していたのだ。

 ベレンガリアは彼等に時期を窺って魔剣の強奪を命じたのだが、この様子だと失敗に終わったと見ていいだろう。

 

 こんな事なら使わずに温存すればよかったと後悔したがもう遅い。

 間違いなくアイオーン教団にホルトゥナは敵として認識されてしまったので、やり方を変える必要が出て来た。

 ベレンガリアはウルスラグナへの侵入に成功した時点で、有力者には取り入るつもりではあったので他を嗾ける形でアイオーン教団を制すればいいと考えたのだ。

 

 ユルシュルに取り入るのは簡単だった。 魔導書と言う分かり易い餌を与えれば簡単に食いついたので、後はそのまま有益な情報を与えて中枢まで食い込めた。 ユルシュルに取り入る事に関しては完璧に成功したと言ってもいいだろう。

 ただ、そこまでだった。 王国はアイオーン教団との繋がりが強く手が出せずに、最後のオラトリアムに至っては送り込んだ者からの連絡が途絶えたのだ。


 結果だけ見れば失敗と分かるが、なぜ失敗したのかが不明なので近寄る事すらできなかった。

 定期連絡で簡単な経済状況等の外からでも分かる情報は得ていたので、どう言った場所であるかの概要は掴んではいた。 全てにおいてユルシュルどころか王国よりも勢力として優れていたので、ベレンガリアとしては取り入るには一番良さそうと狙っていたのだが、この様子では難しいと判断せざるを得ない。


 彼女は末の妹だ。 姉二人からの苛烈な虐めを受けた結果、他人の顔色を窺う事には慣れていた。

 そんな日々を送っていた所為か、姉妹の中では身の危険を察知する術――要は保身に関しては最も優れていたのだ。 保身のコツは取り入る強者を見分ける目を持つ事と有益だと言う事を見せつけて気に入られる事。


 この二つを高い水準でこなせれば世渡りは問題なく行える。 

 そうしてグノーシスに取り入り、今の地位を獲得したのだ。


 ――自分は姉とは違う。


 彼女は幼き日の苛烈な虐めの所為で姉達を見下しつつも恐れていたので、自らの内にある恐怖を払拭すると言う意味でもどうにかして殺してやりたいと思っていた。

 少なくとも今の彼女にとって優先するべきは二人の姉を排除して、本当の意味でのベレンガリアとなる事。 その為に打てる手はすべて打ってきた。

 

 だが、ここに来て誤算が重なり上手く行かなくなってきた事に歯がゆさを感じながらも彼女はこれからどう動くかを考えていた。


 ――まずはこの先に待っている開戦の結果次第か。


 出来れば勝って欲しいが、勝敗は彼女にとってはそこまで重要ではない。

 何故ならこの勝負はどちらに転んでも彼女にとって損にならないようになっているからだ。

 ベレンガリアはこの先どうなるのかと思いつつ、勝敗を見守る事にしていた。


 少なくとも今はまだ、全ては自らの掌の上なのだから……。

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