第757話 「褒美」

 ユルシュル王は長かったと目を閉じて今までの事を思い返す。

 雌伏の時。 本当に長い屈辱の時間だった。

 魔導書の力は強力無比。 使用すれば雑兵ですら熟練の騎士を凌駕する戦闘能力が手に入るが、最も優れた点は一度登録すると本人にしか使用できないと言う点だ。


 その為、仮に奪われたとしても敵に再利用されないので、この力を一方的に振るえるのは素晴らしい。

 ベレンガリア曰く、他所の大陸でも極一部でしか出回っていない最新技術の結晶なので、まずこのウルスラグナでは出回っていないとの事。

 

 つまりこの技術による恩恵はユルシュルのみが受けられるのだ。

 これさえあれば数の差を圧倒的な質で押し潰せる。

 そう考えて彼は目を開いた。 目を閉じていた時間は僅かだったが、その時間は彼の積年の思いが乗った重い物だ。


 「ベレンガリアよ。 この日を迎える事が出来たのはお前が持ち込んだ魔導書のお陰だ。 事が済めばその功績に見合った褒美を取らせよう」

 「いえ、私はほんの少しお手伝いをさせて頂いただけです。 全ては王が元来からお持ちの王者の資質がこの瞬間を手繰り寄せたといっても過言ではないでしょう」


 さっきまで他の騎士達と同様に跪いていた女が立ち上がり、そう言ってユルシュル王を持ち上げる。

 彼女こそがユルシュルに魔導書を齎し、ユルシュル王に戦に臨む最後の一押しを行った者。

 ホルトゥナの真の当主であり、ユルシュル最大の支援者――ベレンガリア・マルゼラ・ラエティティアだ。


 彼女は慈しみの混ざった尊敬の眼差しをユルシュル王に向け、恭しく頭を下げる。

 ベレンガリアの媚びている訳ではないが、相手を立てようとする態度は彼にとっては非常に心地の良い物だった。

 

 「今の内に望みを聞いておこうか? これ程の物を持ち込んだのだ。 お前は我がユルシュルに何を望む?」

 「多くは望みません。 ただ、もし叶うのならば三つほど願いがあります」 

 「ほぅ、言ってみよ」

 

 ユルシュル王に促されるままベレンガリアは願いを口にする。


 「まず一つ。 これは可能であればで構いません。 聖剣と魔剣を借り受ける許可を頂きたく思います」

 「寄越せとは言わんのか?」

 「はい、我等ホルトゥナは学問の徒。 聖剣と魔剣には世界の叡智が詰まっております。 それを一部なりとも解き明かし、この世界の根源的な謎へと手を伸ばしたいのです」

 「聖剣と魔剣を調べればそれが分かると?」

 「分かるかもしれませんし、そうでないかもしれません。 それを私は知りたいのです」


 ユルシュル王にはベレンガリアの言葉の意味が良く理解できなかったが、聖剣と魔剣には彼女に必要な物の手掛かりがあると言う事と解釈した。

 

 「……考えておこう。 残りの二つは?」

 「ありがとうございます。 願いを口にする前に一つ確認を。 王都ウルスラグナを攻める際に防衛に参加するであろうアイオーン教団へはどう対処なさるおつもりですか?」

 「知れた事。 向かって来るならば粉砕するのみだ」


 ユルシュル王の返答に満足したのかベレンガリアは笑みを深くする。


 「流石は勇猛と名高いユルシュル王。 ならば王都ウルスラグナの一角にあるアイオーン教団自治区、そこに身を寄せているであろう私の姉の身柄を頂きたく思います」

 「姉だと? アイオーン教団へ協力しているのか?」


 だとしたら不味いのではないかとユルシュル王は考える。

 もしホルトゥナの関係者が王国側に居ると言うのなら魔導書を一方的に使えるといったアドバンテージが揺らぐからだ。

 

 それを聞いたベレンガリアは安心して欲しいと言わんばかりに小さく頷く。


 「はい、ですがご安心ください。 あの姉は魔導書の現物を保有はしていますが、初期状態イニシャライズ前の現物は持っていませんし、そもそも製法を知らないので仕入れる方法がありません」


 彼女の姉であるジャスミナは組織運営――要は人を動かす事で派閥を形成して組織内で地位を築こうとしていたので技術関係にはかなり疎い。

 特に魔導書は製法が特殊なので本来なら長姉しか持っていなかったが、ベレンガリアはグノーシス教団の力を借りて解析。 時間はかかったが複製と量産に成功していた。


 その為、ジャスミナが魔導書をアイオーン教団に供給する事は非常に難しい。

 

 「もしかしたら隠し持っているのかもしれませんが、精々数冊――それも第一か第二位階までの平均的な代物でしょう」


 魔導書には使用機能に上限が設けられており、それぞれ位階と呼称している。 基本の第一位階<第一レメゲトン:小鍵ゴエティア>は悪魔との肉体同化による身体能力の増強と特殊能力の限定的な付与となる。

 最大五までの使用段階があるが、そこまで扱える者がいない。 使えても第三、儀式などでブーストすれば辛うじて第四までは行けるが第五位階を扱える者を彼女は知らない。


 当然ながら使えない機能など実装するだけ無駄な上、無理に使っても暴走や反動で死ぬ事もあって製造コストを落とす意味でも機能を制限して量産している。

 ユルシュル王はなるほどと頷く。


 「ふん、数冊程度なら脅威とならん、か」

 「はい、仮に何らかの手段で量産に成功したとしてもアイオーン教団が悪魔を扱う事は教義的にも難しいでしょう」


 アイオーン教団の教義はグノーシス教団時代のそれを踏襲している部分が多いので、悪魔関係の技術が採用されるとは考え難い。

 使って来たならその点を盛大に突いてやればいいとベレンガリアは付け加えた。

 聖女は悪魔を使役して皆を騙したとでも悪評を撒いて民との不和も招けるかもしれない。

 

 「なるほど。 そう言った意味でも気にする必要はないと言う事か」

 

 ユルシュル王が納得したように頷き、最後の三つ目は?と最後の要求を言えと促す。


 「オラトリアムです。 あの地は非常に興味深い。 発展した経緯も不明な点が多いので、調査の許可を。 そして何かが見つかればそれに関する権利を主張させてほしいのです」

 

 ベレンガリアの要求にユルシュル王はこの要求が本命かと目を細める。

 オラトリアムの発展スピードはユルシュル王もおかしいと思っていたのだ。

 当初は少し羽振りがいい程度の認識だったが、見れば見る程おかしい点が見えて来る。


 元々、あそこはウルスラグナ北端にある小さな領で、野菜や果物と言った農作物を近隣に売って細々と運営していたような場所だ。 実際、ユルシュル王も台頭してくるまでは名前すら知らなかった。

 それがある時期を境に急激に作物の生産量と質が爆発的に向上。 飛ぶように売れ始め、気が付けば商人と専属契約を結んだかと思えば買収したのか吸収して商会を立ち上げるまでに至っている。


 その後は商売の手を広げ、武具や魔石に果ては魔法道具まで扱い始めた。

 今やオラトリアムはウルスラグナで最大の資金力を誇る大勢力と化している。

 王都で起こった事件でユルシュルと同様に勢力としての名乗りを上げ、近隣領を取り込んだ所までは同じだったが、生活水準を落とさないどころか向上させるのだ。


 その手腕はユルシュル王も認めざるを得ない。

 

 「……確かにあの地には何かがあるのだろう」

 

 もしかしたら無尽蔵に金を産み出す何かがあるのかもしれない。

 そう考えると独占しておきたいが、ベレンガリアの貢献を考えるならここで渋るのは狭量と映るかもしれないと考えて内心では渋々、表面上は鷹揚に頷く。


 「良いだろう。 調査を許可する」

 「ありがとうございます。 寛大な王よ」


 ベレンガリアの言葉にユルシュル王はうむと大きく頷いた。

 ただ、彼は気付かなかった。 彼女の口元が嘲笑するように歪んでいる事に。

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