第750話 「本力」
「状況は!?」
ゼナイドは素早く部下に声をかける。
他の櫓からも接近する者は確認できたようで完全武装の聖騎士や騎士達が集まっていた。
「ユルシュルの者と思われる一団が接近中です。 数はそう多くありませんが、隠れるつもりがないのか正面から来ています」
「……どういうつもりだ?」
他の櫓で監視していた部下から連絡が入る。 どうやらいつもの面子で固めているようだが、今回は様子が違っていた。
いや、そもそもこんな時間に先触れもなしに来る時点で非常識だ。
「どうしますか?」
「……私と何人かで先に出る。 念の為、こちらに向かっているエルンスト聖堂騎士と王都のエルマン聖堂騎士に連絡を」
ゼナイドは指示を出しつつ内心で嫌な予感がしていた。
こんな時間に正面から来る。 明らかに何か良くない物を持ち出して来たと考えられるからだ。
対応したくないなと思いつつ部下を連れて外に出る。 背後で門が閉まる音を聞きながら、ゼナイドは近づいて来る者達の方へと向かう。
日は完全に沈んでいるが月が顔を出しており、雲も少ないので向かって来る者達の姿が良く見えた。
先頭を進むのはゼナイドと似た顔立をした男。 彼女の兄であるゼンドル・ウィル・ユルシュルだ。
――何かあるのは確定か。
根拠はゼンドルの表情だ。 ここ最近の焦燥感に突き動かされている様な感じが消えており、余裕すら浮かんでいるように見える。
ユルシュルの男は力押し一辺倒の馬鹿しかいないので、こういう顔をしている場合、高い確率で殴って言う事を聞かせる腹積もりだろう。
ある程度近づいた所でゼンドルとその部下達が足を止める。
「……兄上、こちらに来るといった話は聞いていませんが?」
ゼナイドが一応と言った口調でそう咎めるが、ゼンドルはふんと鼻で笑う。
「ゼナイドか。 わざわざ出て来るとは出迎えご苦労。 さて、今までは聖剣の威光を笠に着て、兄に向かって無礼を働いていたが、今回はそうはいかんぞ! 今一度、お前に命ずる。 ユルシュルに戻り、我等の為に聖剣を手に入れてくるのだ。 そしてあの忌々しいオラトリアムを滅ぼす為に共に戦え」
――この物言いである。
ゼナイドは重い溜息を吐く。 この馬鹿は定期的にそんな世迷言を垂れ流しに現れるのだ。
一応、ちゃんと手順を踏んで面会と言う形で現れているので、いちいち相手をしなければならなかった彼女はもういい加減にうんざりしていた。
「貴方の耳と頭が悪い事は知って居ますが、いい加減に理解して頂けませんか? そんな真似はできませんし出来たとしてもする気は欠片もありません。 分かったのならさっさと帰って頂けませんか? そもそも来るのなら事前に先触れを出すのが常識と思いますが?」
そう言いながらゼナイドは腰の剣に手を掛ける。
いつもならそう言われるとぐぬぬと悔し気な顔で睨みつけるだけだったが、今回は余裕の表情を崩さない。
「ふんっ、そう言うだろうと思ったぞ。 今までは見逃してやっていたが、寛容な俺もいい加減に我慢の限界だ。 愚かな妹を躾けるのも兄の務め、少し痛い目に遭って貰うとしようか」
ゼンドルはそう言うと手を背に回す。 どうやら剣とは別に何かを腰にマウントしていたようだ。
取り出したのは本。 それを見てゼナイドは小さく眉を顰める。
エルマンから存在については聞かされていたので、どう言う物かはある程度理解はしていた。
「魔導書――つまり、ユルシュルはホルトゥナと手を組んだと言う事ですか」
「ほう、あの連中の事を知っているとはな。 胡散臭い奴らだったが、手土産にと持って来た物は中々に使えるぞ?」
ゼンドルは余程自信があるのか、見せびらかすように魔導書を開く。
「最後だ。 ユルシュルに戻り、我等に従え」
「お断りします」
ゼナイドは即答して剣を抜く。 彼女の部下達も各々、武器を構える。
「愚かな。 ならば新たに得た我が力を目に焼き付けるがいい! <
同時にゼンドルの全身が炎に包まれた。
ゼナイドは一瞬、自滅かとも思ったが違うようだ。 ゼンドルを包んだ炎は形を変えて鎧の様な形状に変化。 いつの間にか抜いていた剣にも炎が纏わりつく。
その姿は人間のそれではなくなり――
「……悪魔」
ゼナイドがそう呟く。
――そう、悪魔のそれに近い物へと変化していた。
「愚かな妹よ。 痛みを以って己の愚かさを悔いるがいい!」
そう言ってゼンドルが斬りかかって来る。
ゼナイドは咄嗟に横に跳んで回避、同時に自分の居た場所を炎の刃が通り過ぎ、地面を切り裂く。
炎を纏っているのは伊達ではないらしい。 地面に刻まれた傷は焼け焦げている。
即座に反撃しようとしたが、次の瞬間にはゼンドルは一気に間合いを詰めていた。
速い。 明らかに人間の出せる身体能力の域を越えている。
それに加えて言動こそ小物臭いが、ゼンドルはユルシュルの長男。 剣の腕だけで言うのなら聖堂騎士の水準に充分届く程の物だ。
魔導書の力で底上げされたその戦闘能力は極めて高いと判断せざるを得なかった。
「ゼナイド聖堂騎士!」
彼女の部下達が危機を察知して助けに入ろうとするが、ユルシュルの兵達がそれを許さない。
――これは無理だ。
ゼナイドは即座に勝ち目がないと理解。 指揮官として最善の策を取るべく指示を出す。
「撤退! 砦は放棄します。 皆、逃げて生き残りなさい!」
降伏は選ばない。 いや、選べないと言い替えてもいいだろう。
ゼナイドは兄の性格をよく理解していた。 捕えた自分達にどんな無体な真似をするかは火を見るよりも明らかだ。 つまり捕まれば高確率で殺される。
部下達は彼女の命令を即座に理解し、砦の裏門を開き撤退。
ゼナイド達も戦いながら後退。 ユルシュルの兵はゼンドルに比べるとかなり格が落ちるが、強化されているので聖殿騎士では勝つのは厳しい。
そもそも、打ち合う事すら避けた方がいいだろう。
彼女の視界の端で聖殿騎士が何度か攻撃を受けただけで武器を破壊されて、そのまま鎧ごと斬り倒されたのが見える。
「ははは、さっきまでの威勢はどうした!? 散々、偉そうな事を言っておきながら逃げるのかこの臆病者め! やはりお前は出来損ないだ! この後、俺が直々に教育してやろう!」
部下を助けに行きたいが、彼女自身も逃げ回るだけで精一杯だった。
ゼンドルの動きは大口を叩くだけあって鋭く、聖堂騎士であるゼナイドですら回避に専念しなければ即殺されかねない状態だったからだ。
魔導書。
ゼナイドがエルマンから聞いた話では悪魔を自身の身に取り込んで、能力を大幅に強化する代物と言う事しか聞いていなかったが、なるほどと理解する。
自信満々になれる訳だ。 はっきり言って今のゼンドルに彼女が勝てる可能性は低い。
事前に聞いておいて本当に良かったと彼女は思う。
そうでもなければこんなに早く撤退の判断はできなかった。 彼女は別にただ単に勝てないから逃げろといった訳ではない。
援軍としてこちらに向かっているマネシアとその部下が近くまで来ている筈だ。
何とか合流さえできれば、追い払うぐらいは可能だろう。
それにゼンドルはわざわざ目の前で魔導書を起動して見せた事も、逃げ切れると考えた根拠の一つだ。
恐らくあれはいつまでも使っていられない。 何らかの制限があるのか消費が激しいのかは不明だが、無限に扱えるのならゼンドルの性格上、事前に起動してから問答無用で襲いかかって来るからだ。
それをしなかったと言う事は、余り使いたくない理由があるとゼナイドは判断。
全力で逃げに徹すれば振り切れるはずだ。
ゼナイドは自身と部下が可能な限り生き残れるように全力を尽くす。
――後は――
この兄をどこまで抑えられるかにかかっているだろう。
そこだけは少し自信がなかった。
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