第751話 「耐日」

 聖堂騎士マネシア・リズ・エルンストは部下の聖騎士や王国の騎士達を引き連れて全力で駆けていた。

 向かう先はユルシュルとの国境。

 後少しで到着と言う事で野営の準備をしていたが、目的地である国境の砦に詰めているゼナイドからの救援要請が入った。


 内容は魔導書で武装したユルシュルの者に襲われているとの事。

 彼女は遠目で見ただけだが、その恐ろしさはクリステラから聞いていたので、連絡を受けたと同時に取るものも取り敢えず付いて来れる部下達と国境へ向けて全力で向かう。


 輜重隊等の物資の運搬を担っている者達は後から追いかけて来るようにと指示を出しておいてきた。

 本来なら数日の距離でも魔法による強化を用いればそこまでの時間はかからない。

 凄まじい勢いで風景が流れるが、それを一顧だにせずマネシアは走る。


 日は完全に沈み、夜も更けているので日中に比べれば視界は悪い。

 途中、転倒して脱落した者も居たが構わずに走り続ける。

 

 「どうにか持ち堪えていて下さい……」


 マネシアは祈るような気持ちで小さく呟き、全力で脚を動かす。 

 視線は常に前――目的地の方を見据える。

 近づいて来た国境の方から光が見える。 何だと目を凝らすとそれが砦が炎上している事により発生している物である事に気が付くまで時間はかからなかった。




 「……今日は人生で最悪の日だ」


 ゼナイドは荒い息を吐きながら目の前の変貌した兄へと剣を向けて、小さくそう呟いた。

 

 「ふん。 部下を逃がす為に随分と粘るじゃぁないか。 だが、そろそろ限界だろう? 諦めたらどうだ?」

 「さぁ? どうですかね? 兄上こそ、私一人に時間をかけても良いのですか?」


 そう軽口を返しながらもゼナイドはこれは死ぬかもしれないと、諦めかけていた。

 鎧のあちこちは熱で溶かされ、本来備えている筈の魔法等への防御機構も効果が落ちている。

 それにより熱が彼女自身を焼き、体のあちこちに火傷を刻む。

 

 剣を構えてこそいるが、虚勢に近い。 辺獄でも手強い辺獄種は多かったが、目の前の兄は脅威度で言うならあの時以上だ。 恐らく今の自分では勝てない。

 ゼンドルの剣の技量は高いが、ゼナイドと同じか少し上と言った所だろう。


 両者の戦力を隔てているのは単純に装備の差だった。

 はっきり言って、装備が逆なら勝敗もそのままひっくり返っていただろう。

 それほどまでに魔導書と言う代物は強大な戦闘能力をゼンドルに与えていた。


 「この力は加減が利かなくてな。 さっさと諦めて投降しろ。 父上からお前は生かして捕らえろと言われているのでな」

 

 ――あぁ、それでか。


 ゼンドルの行動に感じていた違和感に納得がいった。

 妙に嬲るような戦い方は殺さないように注意した結果か。 

 恐らく、ゼンドルは魔導書の力を完全に使いこなせていないのだ。 その為に加減が出来ずにこのような戦い方になっているのかと理解する。


 配下を追撃に回しゼナイドと一対一の状況に持って行ったのも殺せないからだろう。

 ユルシュルでは王の命令は絶対。 今までの交渉が長引いていた事に関しては取り返しが付くので、叱責と折檻だけで済んだが、ゼナイドを殺してしまうと取り返しがつかない。


 その為、優位ではあるがゼンドルは少し焦っていたのだ。

 魔導書によって強化された身体能力に悪魔由来の炎による強化。 ゼナイドを殺すだけなら余裕と言ってもいいだろう。 だが、彼に与えられた命令はゼナイドを連れ帰る事。

 

 ゼンドルは父親のユルシュル王を嫌悪していたが、同時に恐れてもいた。

 王の不興を買うと言う事は次の王が自分ではなくなるかもしれないからだ。

 それだけは許容できない。 折角、いままで歯を食いしばって我慢して来たのだ。 本来なら口も利きたくない男に媚びへつらい、ひたすらに都合のいい息子を演じ続けて来たのも次代の王として君臨する為。

 

 将来的に自分の物となるユルシュルを大きくする事にも全力を尽くした。

 だが、オラトリアムに惨敗した事とアイオーン教団の存在により、ウルスラグナに存在する他の勢力に手が出せなくなってしまったのだ。

 

 魔導書が手に入る前まではどちらに攻められても負けるという酷い状況で、ゼンドルは王にどうにかして一時的にでもいいからアイオーン教団への協力を取り付け、王都かオラトリアムのどちらかを何とかさせろと言われていた。

 

 ゼンドルは普段から押さえつけられている反動なのか父親と同様にプライドが非常に高い。

 その為、格下と判断しているゼナイド相手に下手に出ると言う行為に凄まじい抵抗があったのだ。

 結果、交渉は難航(したと本人は思っている)。 不首尾に終わった結果を持ち帰る度に、王は癇癪を起して彼を痛めつけた。

 

 この無能。 それでもユルシュルの長男か。 家の恥さらし。

 そう言われながらゼンドルは何度も理不尽な暴行を受け続けた。 そして自分の若い頃と比較して当て擦るのだ。 自分がお前ぐらいの時はもっと上手くやれたのにお前は何故、こんな簡単な事が出来ないと。

 

 ――じゃあ、お前が行けよと言う言葉は呑み込む。


 言いたい事はいくらでもあるが、口応えはできない。 出来るのは地面を這い蹲って許しを請う事だけ。

そしてその度に吐き出せない怒りはその胸に蓄積していく。 向かう先は当然、言う事を聞かないゼナイドへだ。


 それでも我慢はできた。 何故なら次代の王は長男である自分だからだ。

 

 ――だが、その心の支えにも陰りが見え始めたのだ。


 「お前は後継者に相応しくないかもしれん」


 その一言は彼を恐怖させるのに十分な破壊力を内包していた。

 ユルシュル家はゼンドルとゼナイド、そして下に弟が一人いる。

 その弟に将来の地位が脅かされようとしていた。


 ――自分は王になれない?

 

 それだけは断じて許容できない。 自分が格下と断じている弟の下に付く?

 無理だ。 そうなればゼンドルは自分を保つ事が出来なくなるだろう。

 現在、弟はオラトリアムとの交渉役として活躍していると聞く。 


 これ以上の失態は重ねられない。 ゼンドルは捕えたゼナイドの使い道に関しては大方の予想は付いていたので、可能な限り無傷で連れ帰ろうと考えていたのだが――

 

 ――妹の分際で兄に逆らうとは……


 そろそろ怒りで手元が狂いそうだった。 それに魔導書も無限に使える訳じゃない。

 いい加減に決めてしまわないと不味い。

 彼は欲張るの止める事にした。 最悪、手足を落としてでも強引に連れ帰る。


 対するゼナイドも部下が全員この場を離れた事で自分の役目は終わったと判断。

 伝えるべき事は伝えたので最悪、自分が死んでも問題はないだろう。

 現在、聖女は療養中だが、聖剣は健在。 魔導書がいくら強力と言っても聖剣には及ばない。


 ――せめて手傷ぐらいは……


 彼女も兄と同様に覚悟を決めた。 可能であれば刺し違えてでもと。

 両者は少しの間、無言で向き合い――同時に地を蹴った。

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