第717話 「取込」

「呼び出すような真似をしてすまない」


 センテゴリフンクスにある砦の一室――マクリアン枢機卿が使用している部屋へと招かれた僕は彼と二人きりで向かい合う。

 エイデンさん達と彼の護衛は外で待っている。

 到着早々、機密事項なので人払いが必要だと言ってこの状況だ。


 彼は盗聴防止の魔法道具を起動した後、ようやく口を開いた。

 

 「構いません。 私を呼んだと言う事は用意していた打開策に目途が立ったと言う事ですか?」

 「それもある。 ――そうだな。 まずは君の懸念から片付けるとしよう」


 マクリアン枢機卿の話によれば、あの闇の柱を消し去れれば人柱が効果を発揮して空の亀裂を塞ぐ事ができるらしい。 その為には準備が必要との事で今まで戦って来たのだけど……。


 「以前にも説明したが、あの闇の柱は亀裂を広げるという特性こそ備えているが本質的には魔力の塊だ。 つまりはより強大な魔力を以って散らすのが有効ではある」

 

 彼の言う通り、以前にも聞いた話だった。  

 問題は聖剣と魔剣に内包されていた魔力がそのまま形を成したであろう闇の柱を構成する魔力の密度だ。

 並の攻撃であんな物をどうにかできるとは思えなかった。 恐らくだけど、半端な物をぶつけても効果がないどころか、状況が悪くなりかねない。


 「そこは安心して貰って構わない。 少々時間はかかったが、確実に問題を解決できるだけの手段を用意した」


 彼の用意したという策は単純な物だった。 本国から追加の増援を呼び出し、人数を揃えた上で魔力を束ね、照射して消し去るといった物だった。

 その為の人員と道具――マクリアン枢機卿曰く、魔力を束ねる為の装置を用意しているとの事。


 確かに彼の言う通り、あの闇の柱が魔力の塊であるならより強大な魔力を以って散らすと言う事も理解できるし、手段も納得のいく物だった。


 ……ただ、それは彼の話がすべて真実であった場合だ。


 彼には悪いけど、僕はグノーシス教団を完全に信用している訳じゃない。

 それはエルマンさんも同じ意見で、裏がないとは言い切れないので信じるのは危険すぎる。

 彼の口振りから察するにその裏の話をこれからするのだろう。 明らかにこの話は前置き、嫌な言い方だけどついでに近い感じがする。


 「話は分かりました。 到着予定は?」

 「十日はかからない筈だ」

 

 それぐらいなら充分に持ちこたえられるだろう。


 「さて、君の懸念が消えた事で本題に入ろう」

 「何でしょう?」


 正直、嫌な予感しかしないので聞きたくないのだけど努めて表に出さずに先を促す。

 

 「まずは確認だ。 君はこの後、どうするつもりかね?」

 「この後と言うのは辺獄の案件が片付いた後と言う事ですか?」

 

 マクリアン枢機卿が無言で頷く。

 

 「当然ですがウルスラグナへ引き上げます。 そもそも私がここにいるのは騒動の解決が目的ですので」

 「――だろうな。 だが、その聖剣は我がグノーシス教団にとって重要な意味を持つ物なのだ。 悪いがこのまま帰す訳にはいかない」

 「ならどうします? 私から奪うつもりですか?」 

 「いやいや、君と事を構えるような真似はしたくはない。 だからこうして話をしているのだよ」


 何を言うつもりかは知らないけど、この時点で彼を信用する気持ちは根こそぎ消え失せた。

 無意識に手が聖剣の柄に乗る。

 マクリアン枢機卿はそれに気付いているのかいないのか、柔和な笑みを浮かべて話を続けた。


 「私としても穏便に事を済ませたいのだよ。 それでどうだろう? 取引をしないかな?」

 「取引?」

 「そう、取引だ。 君にとっても悪い話ではなく、私にとっても間違いなく良い話だろう」


 取引という単語が出た時点で警戒心が限界まで強くなる。


 「どうだろう? 私と裏で手を結ばないか? 何、単純な話だ。 君がグノーシス教団に入信してアイオーン教団と共に傘下に加わってくれればいい。 ――あぁ、分かっているとも、アイオーン教団の起こりに関しては私も把握している」

 

 口を挟もうとする僕を手で制してマクリアン枢機卿の話は続く。


 「仮に君が頷いたとしても君の配下はそうもいかない。 それに離反した者も多い以上は何らかの罰則を受けて貰う事になるだろう。 だから取引だよ。 表向きはアイオーン教団として好きにすると良い。 だが、裏ではグノーシス教団と手を結ぶ。 そうすれば有事の際にお互い助け合えると思わないかね? 私としても聖剣を取り返したと本国に良い報告もできる」

 

 …………。


 「そうだな。 君にだけ話して置こう。 辺獄の一件を片付けた後、我々はここヴェンヴァローカを橋頭保として隣国であるモーザンティニボワールへと宣戦布告を行う」

 「……それは何故ですか?」


 僕は努めて感情を表に出さずに話を促す。 色々と言いたい事はあるけど、話させて情報を引き出す方がいいと考えたからだ。

 並行して彼の言葉の意味を考える。 隣国のモーザンティニボワールは獣人の国で、ヴェンヴァローカとの仲自体はそこまで悪くないと聞いている。


 人間と獣人の仲はお世辞にも良いとは言えないけど、緩衝地帯であるこのヴェンヴァローカの存在がその仲を取り持つ事で危ういが均衡と秩序が保たれていると言うのはここに来る前にジャスミナさんから聞いていた。 そこに宣戦布告?


 マクリアン枢機卿の物言いもおかしい。 明らかに宣戦布告の前に踏むべき段階を飛ばしている。

 これではモーザンティニボワールに一方的に攻撃すると言っているような物だった。

 

 「君はグノーシス教団の教義についてそこまで明るくないようだな。 ならば少し教義について触れるとしよう」


 彼の話はグノーシス教団の教えの一部らしいのだけど、それを聞いた僕は思わず耳を疑った。

 そもそも人間は完全な生命として創造された存在で、獣人や魔物、亜人種などの純粋な人とは異なった種は不完全な物として排斥の対象なのだそうだ。 当然ながらそれを表には出さないけど、ゆくゆくは世界を人の手に取り戻すと言うのがグノーシス教団の目的の一つらしい。


 ……取り戻す? 彼は何を言っているんだ?


 そもそもリブリアム大陸の北部は最初から獣人の物で、人が住んでいたなんて歴史はない。

 辺獄での開戦前の空いた時間にここで大陸の歴史や情勢を調べたのでそこは間違いない筈だ。

 元々、他人の物で在る筈の土地を取り返すと言い切る彼の神経が理解できなかった。

 

 「それにあの汚らわしい獣人共は我等の大地を不当に占拠しているだけでは飽き足らず、教団の至宝とも言える第十の聖剣を秘匿しているのだ。 滅ぼすには充分な理由だろう?」


 何が充分なのかさっぱり分からない。 彼の言っている事が僕には欠片も理解できなかった。

 

 「君が協力してくれれば事は簡単に済む。 辺獄の外である以上、君のエロヒム・ツァバオトは無敵だ。 なに、少し連中に向けて槍の雨を降らせてくれればいい。 それを十数やるだけで連中の心は折れ、我々の前に跪いて悔い改める事になるだろう。 生まれて来て申し訳ありませんでしたとな」 

 

 彼は喋っている内に成功した未来でも幻視したのかやや陶酔したような笑みを浮かべる。


 「君も知っての通り、私は第十司祭枢機卿だ。 本来なら第十の地は我々が導くべき地、それをあの忌々しい獣人共のお陰で役目が果たせなかったのだ。 先代も与えられた役目を全うできずに地位を退いた。 その無念たるや如何ほどだっただろうか――」


 感情を抑えきれないのか、彼は今度は憎しみに目を濁らせ力強く拳を握りしめる。

 

 「だが、この状況に君という存在。 私はこれを天啓と考える」

 「……天啓ですか」

 「そう! 天啓だ。 運命が私に使命を果たせと導いているのだ! 後は君が頷いてくれるだけで私の目的に必要な物が揃う! あぁ、分かっているとも、下々を騙す形になる事に引け目を感じるのだろう? その苦しみは私にも痛い程に理解できる。 だが、ここはグノーシス教団を――いや、この私、第十司祭枢機卿ヘルディナンド・ドゥ・ムエル・マクリアンを信じてくれないか?」

 

 マクリアン枢機卿はさぁと僕に手を伸ばす。

 それを見て僕は生まれて初めて自分で自分を褒めてあげたい気持ちになった。

 目の前の男を力いっぱい殴り飛ばしたいという衝動を我慢した事にだ。


 ……あぁ、本当に兜を被っていてよかった。


 何故なら、きっと今の僕は人には見せられない表情をしているだろうから――

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