第691話 「暗雲」
「そんな!?」
マクリアン枢機卿の言葉に僕――ハイディは驚きの声を漏らす。
前線の被害確認を終えた後、彼に後方――つまりは辺獄の侵食による被害について聞いていた所だったのだけど……。
砦で食い止められていたと思っていたけど侵食はセンテゴリフンクスまで到達しており、街が戦場になったらしい。
僕は慌てて後方に残して来たミナミさん達に連絡を取ったけど――
――僕の耳に入ってきたのは最悪の報告だった。
応答したキタマさんの話では彼等も何とか街を守ろうと防衛戦に参加したのだけれど、その際にミナミさんが辺獄に足を踏み入れて死んでしまったと。
前から異邦人は辺獄に足を踏み入れてはならないという話は聞いていた。
それでもこんなにあっけなく居なくなるなんて……。
キタマさんに詳しい状況を尋ねようとしたけど、彼自身も何が起こったのか良く分かっていないらしく、要領を得ない物言いになってしまっていた。
根気強く質問を重ねてようやく僕にも理解できるように状況を整理できたけど、彼の言う通り良く分からない状況だ。 整理するとまず、ミナミさんは辺獄に足を踏み入れた。
――とは言っても片足がその大地に触れただけだったようだけど――
それは彼等にとっては致命的な事だったらしく、途端に彼女は何かを見たかのように動きを止めてしまい、キタマさんが見た限りでは完全に我を失っていたようだ。
問題はその後だ。 彼曰く、いきなり空間が割れて木の枝の様な物がミナミさんを襲ったとの事。
空間が割れたと言うのは覚えがある。
あの闇の柱が辺獄で行っている事だ。 しかし、時間が合わない。
彼女がその枝に襲われた頃はまだ僕達が敵の英雄との戦闘中だ。 少なくともあの闇の柱は発生していない筈だった。
……彼女を襲った木の枝と辺獄の闇の柱は別?
それも含めてマクリアン枢機卿に尋ねるべきだろう。
「……不幸があったようだな」
「はい。 連れて来たぼ――私の責任です」
慌てていたので話の腰を折る形になってしまい、小さく謝罪して確認に戻る。
「――ともあれ、英雄の撃破がなった事で街への攻勢も散発的な物になった。 遠くない内に退ける事は可能だろう」
それでもかなりの被害が出たようだ。 早い段階で避難を開始出来た事と、後詰めの部隊が街に駐留していた事も幸いしたので、犠牲者は住民の三割で済んだようだ。
――三割。
これが少ないのか多いのか判断できないけど、僕にはとてもじゃないけど少ないとは言えなかった。
防衛に専念したので駐留している戦力の損耗は比較的軽微だったようだ。
「――被害に関して確認した所で早速、次の話に移らせて貰う」
あくまで今までの話は前置きだ。 本題はこの先になる。
「私も伝え聞いただけの話だが、あの人型の闇は『
……最下級!? あれで?
グノーシス教団に伝えられている知識では上にもう二種類の存在が蠢いているらしい。
それぞれ『衛兵』『英雄』と呼称されており、一番下の尖兵であれだったのだ。 衛兵以上となるとどれだけの脅威になるか想像もつかない。
マクリアン枢機卿の話では『英雄』が現れ始めるともうどうにもならないとの事。
「それで、対策は――」
「当面は問題はない。 だが、早い内に処理した方がいいだろう」
詳細は教えてくれなかったけど光の柱は枢機卿が命と引き換えに発生させたもので、別動隊として用意されていた第三と第五の枢機卿は代償に命を落としてしまったようだ。
彼等は最初からこうなった時の為に待機していたとの事。 つまり僕達の戦闘結果によっては――
「彼等の死を悼む必要はない。 貴女と同様に成すべき事を成しただけだ」
「そう、ですか」
僕にはそれ以上は言えなかった。 後悔はあるけど今するべき事じゃない。
「現状、抑え込めては居る。 だが、あくまであの亀裂の拡大を抑え込んでいるだけで根本的な解決にはなっていない」
「解決法は?」
「あの闇の柱を消滅させる。 そうすれば空の亀裂の拡大は止まり、光の柱が消えた第九の代わりに要となる筈だ」
「要?」
聖剣と魔剣は対の存在で、両方が存在する事であの亀裂から世界を守っている。
それこそがこの世界の要。 マクリアン枢機卿の話では魔剣はその役目を忘れた堕ちた聖剣。
在りし日の英雄はそれに操られた過去の亡霊で、生者への憤怒を植え付けられた憐れな存在。 グノーシス教団ではそう定義されている。
「魔剣の目的は聖剣を道連れにしての消滅と?」
「結果的にそうなってはいるが、あれらにそのような知性は残されていない。 ただただ、生者への妬みと憎しみで動いている残骸共だ」
マクリアン枢機卿は憐れな者共だと忌々し気に吐き捨てるようにそう言った。
「……あぁ、すまない。 話を戻そう。 聖剣シャダイ・エルカイと魔剣リリト・キスキルが消滅した場合は代わりが必要になるのは目に見えていたからな。 その為の人柱だ。 だが、塞ぐにはあの柱が邪魔になると言う訳だ」
「方法は?」
「……一番分かり易いのはあの柱を強力な魔法か何かで消し去る事だが――」
あの柱は本質的には強大な魔力の塊なので単純な話、より規模の大きな魔力で吹き散らすのが良いとの事だけど……。
「お話は分かりましたが、正直厳しいと思います」
方法こそ単純だけど、実際に実行できるかと言うと難しいと言わざるを得ない。
見たからこそ僕にはわかる。 あれは聖剣と魔剣に内包された魔力が解放された物だ。
それをどうにかするなんて――ちらりと聖剣に視線を落とす。
考えるけど無理だと思う。 辺獄の外でなら行けるかもしれない。
ただ、辺獄の中では厳しいだろう。 ヤドヴィガさんとシャダイ・エルカイが健在ならもしかしたらとも思うけど――
マクリアン枢機卿は理解しているのか大きく頷く。
「手段はこちらで用意する。 ――とは言っても準備に時間が必要となるので、聖女ハイデヴューネ。 貴女にはその間の防衛を頼む事になるだろう」
「その手段で何とかなるのですか?」
彼が確信を持って言っているのは分かるけど、俄かには信じ難かった。
アレはそんな並大抵な事ではどうにもならない。 そう思える程に悍ましく巨大だったからだ。
……とは言っても今の僕に打開策を用意できない以上、乗るしかないのか……。
ここであの状況を放置すればヤドヴィガ達の犠牲が無駄になってしまう。 それは許容できない。
流されているという自覚はあったけど、何とかしなければならない事も理解していたので――
「――分かりました。 引き続き協力します」
そう答える事しかできなかった。
でも、この胸に釈然としない違和感――いや、これは不安に近い物かもしれない。
何故か嫌な予感が止まらなかった。
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