第689話 「闇柱」

 その瞬間、白金の聖騎士が変わった。

 堅実に防御と攻撃を繰り返していた動きから己の身を顧みない突進に。

 その変調に聖女達は完全に反応が遅れ、それは狙われたヤドヴィガも同様だった。


 魔剣の刃が彼女の胸の中心を真っ直ぐに貫く。

 

 「――が、は――」


 ヤドヴィガの吐く血を浴びながら白金の聖騎士は魔剣から手を放し、その鎖を解く。

 戒めから解き放たれた魔剣から爆発するように闇が噴き出す。

 憎悪を可視化したかのような闇はまるで生きているかのようにヤドヴィガの全身に広がって行った。


 それが何を意味するか正確に理解していたのは肉体を失った二人の枢機卿と、それを行った白金の聖騎士。 両者の反応は対照的だった。

 前者は驚愕に動きを止め、後者はやり切ったと力なく動きを止める。 


 「『いけない! 早く魔剣を剥がすんだ!』」

 「な、何だってん――」

 

 ローランド枢機卿の鋭い警告が飛ぶが、ヤドヴィガは戸惑いつつも魔剣を抜こうと手を掛けるが、それ以上は言葉にならなかった。

 凄まじい悲鳴が上がる。 数多くの戦いを経験してきたヤドヴィガにとって苦痛は慣れた物だ。

 

 だが、彼女の経験から考えてもその苦痛は異次元の物だった。

 腹を裂かれ手足を切断された苦痛ですらそれに比べれば、大した事のないと言えるだろう。

 たまらずに彼女は喉が潰れんばかりの悲鳴を上げ、魔剣を引き抜く事すらできずに膝を付く。


 聖女は咄嗟に駆け寄ろうとするがヘオドラが腕を掴んで止める。


 「放してください! ヤドヴィガさんが――」

 「『だめです! 行ってはいけません!』」

 「でも――」


 言いかけた聖女の言葉は全身が闇に呑み込まれたヤドヴィガを見て霧散する。

 彼女の聖剣も同様に黒く染まりきり――大きな亀裂が入った。

 

 ――聖剣が!?


 何をやっても破壊は不可能と言われた聖剣に亀裂が広がっていき、彼女の見ている前で砕け散った。

 同様に魔剣も砕ける。 同時に彼女の聖剣から最大級の警告が脳裏に響く。

 聖女はヘオドラを抱えて全力で背後に跳躍。


 「これは一体何が起こっているんですか!?」


 問うのは明らかに事情を知っていそうなローランド達へだ。

 天使と化した彼等は傍目にも分かるぐらいに動揺しており、視線は何故か空に注がれていた。

 話にならないと即座に悟った彼女は何とかヤドヴィガを救おうと視線を下げる。


 ヤドヴィガは闇に包まれ輪郭だけの状態となっており、その手は助けを求めるかのように聖女へと伸ばされ――それが最後だった。  

 爆発するように闇が広がると、巨大な闇の柱となりそのまま天へと伸びて行く。


 「『駄目だ! 穴が開く』」


 ローランドの悲鳴のような叫びと共に闇の柱が天を貫き、同時に辺獄の空に巨大な亀裂が走る。

 その奥から魔剣の闇と似通った黒い何かが蠢いていた。

 

 ――何だあれは?


 見ているだけで不安な気持ちになる。 魔剣の時と同様に聖剣は警告を発し続けているが、聖女にはそれ以上に異様な物をその闇から感じていた。

 その状況を引き起こした白金の聖騎士は静かに空を見上げている。


 展開していた背の羽は消滅しており、明らかに戦闘態勢を解いていた。

 その理由は彼自身が限界を迎えていた事もあったが、もう戦闘を続ける意味がないからだ。

 彼の胸にはただただ虚しさが広がっていた。 目的を何一つ達成できなかったからだ。


 出来た事はやられた事をやり返すという報復のみ。 それだけを寄る辺に存在していた彼が終わりを前にして得た物はぽっかりと胸に空いた空虚だけだった。

 今まで彼を突き動かして来たのは仲間達への罪悪感と彼自身の憤怒。


 それだけを心の支えとして備えて来た。 魔剣が力を蓄えるまで耐え、戦力を増やし、これ以上ないといった万全の布陣で事に臨んだのだ。

 

 ――だが、結果はどうだ?


 ほんの少し紛れ込んだ不確定要素に何もかもがぶち壊された。

 終わってみれば何だったのだといった感想しか出てこないのだ。

 あれだけ胸の内で燃えていた思いは既に何の熱量も感じなくなり、空虚は郷愁へと転じる。


 ――空回った結果がこれか。


 結局、自分はあの時と何も変わらなかったのか。

 あのような事は起こすまいと後悔を重ねたが、何も変わらなかったのだ。

 白金の聖騎士は己を嗤う。 声なき声で嗤い続ける。


 あぁ、愚か。 自分は何という愚か者なのだろう。

 身体の感覚が薄れ始める。 魔剣の消滅と同時に彼自身も存在を維持できなくなったのだ。

 せめて一矢ぐらいは報いてやりたかったが、それすらも叶わない。


 第九の領域たるフシャクシャスラを守っていた白金の聖騎士は何も成す事も出来ず、その胸には悔いだけしか残らないまま、絶望と諦観の中――辺獄の大地に溶けて消えた。

 その先に待ち受けているであろう更なる絶望を受け入れ、仲間達への謝罪を胸に抱きながら――


 残された聖女達は彼の消滅にこそ気付いていたが、そんな事を考えている余裕がない。

 彼女達の意識は空の亀裂へと向かっている。 亀裂はゆっくりと空を侵食し始め、辺獄の空を砕こうとしているようにも見えた。


 「『聖女ハイデヴューネ! 亀裂に関してはこちらで対策は取ってある! もう聖剣使いが貴女しかいない以上、何とか出て来る者達の対処を!』」


 ――出て来る者達?


 明らかに何かを知っている雰囲気だが、今は詮索している場合じゃないと理解して無言で警戒。

 視線は亀裂から外さない。 そして亀裂に変化が起こる。

 粘性を持った闇が雫のようにいくつか亀裂の隙間から落ちて来た。


 雫は地面に落ちると染みのように大きく広がると粘土のように形を変えて人型へと姿を変える。

 表情も何もない転生者が見ればマネキン人形を連想したであろうその姿はギクシャクとした動きで聖女へ顔を向け――その姿が霞む。


 「――っ!?」


 咄嗟に聖剣を持ち上げると同時に聖剣が跳ね上がる。

 人型の闇はいつの間にか聖女の懐に入っており、コンパクトに畳んだ腕で殴りかかって来たのだ。

 独特のフットワークと英雄ほどではないが凄まじい速さの拳によるラッシュ。


 それは拳闘ボクシングと呼ばれる格闘技に用いられる動きに酷似していたが、聖女からすれば見慣れない動きで対応しきれないのだ。

 下がりながら聖剣を盾にするように立てて防ぐ。 一瞬も空かずに小刻みな金属音。

 

 ――速すぎる!?


 凄まじい回転の拳だ。

 左右の拳による交互の打ち込みと執拗に体ごと懐に入ろうとする動き、どれも彼女にとっては初見だった為、戸惑いで反応が遅れる。

 

 ジャリと地面が擦れる音を聖女の耳が拾う。 敵が動きを止めたからだ。

 何をと思う間もなく聖剣が跳ね上がった。 敵が畳んだ腕を下から突き上げてたからだ。

 所謂、アッパーカットに近いそれは聖女の防御を崩す。 聖剣ごと両腕が跳ね上がり、胴体が無防備となる。


 人型の闇はその開いた胴体に捻りを加えた拳を叩き込――

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