第687話 「召剣」

 ――最初からこうするべきだった。


 これを使わなかったのは最後まで諦めきれなかったからだ。

 不確定要素こそあったが、勝利はまだできると思いたかった甘さがこれを躊躇わせた。

 白金の聖騎士は正真正銘の切り札を切る。


 本来ならシャダイ・エルカイに対して使うのは禁じ手だが、こうなってしまった以上は使用を躊躇う理由はない。

 彼の左手に巻き付いた鎖が解け螺旋を描く。

 そしてその螺旋の中央に一振りの剣が現れる。


 闇色の憎悪を可視化したかのような濃密な魔力を纏ったそれに聖女は見覚えがあった。


 「――魔剣」


 彼女の言葉は正しかった。 それはこの第九の領域に封じられた魔剣。

 銘を――リリト・キスキルと言う。

 本来なら辺獄種たる彼には触れる事はできても扱う事はできない筈の代物だった。


 だが、腕の鎖で拘束して無理矢理所持者として認識させるという力技だが、こうする事で使用を可能としたのだ。

 彼は魔剣に選ばれた使い手ではない。 そもそも英雄は何があっても魔剣を扱えない。

 何故なら自分で自分の体を持ち上げるような物だからだ。 その為、不正規に使用している者と同様に魔剣の性能をほとんど引き出せないのだ。


 魔力供給、魔力干渉への抵抗はほぼ使用不可。 身体能力強化は最低限。

 唯一使用できるのは不完全な固有能力のみだが、それだけあれば充分だ。

 彼は剣と魔剣の双剣に切り替えて斬りかかる。


 「あの剣に気を付けて! 聖剣と同等かそれ以上の武器です!」

 

 聖女の警告にヤドヴィガは気を引き締め、魔剣の斬撃を聖剣で受けて当然のように次の瞬間に右の剣で腹を裂かれる。


 「あ、ぐぅ、もう何回目だって話だよ!? だけど、これだけ斬られれば――」

 

 いい加減に慣れてと続く言葉は激痛に掻き消された。

 何故なら傷が再生しないのだ。


 「なん、で――」


 思わず膝を付くヤドヴィガととどめを刺そうとする白金の聖騎士の間に水銀の槍が降り注ぐ。

 その隙にヤドヴィガは転がるように距離を取って、聖女の近くまで下がった。

 

 「大丈夫ですか!?」

 「何とか、だけど――これは?」


 答えている最中に傷が再生したヤドヴィガが微かに訝しむ。

 

 「見た感じですけど、聖剣の力を――いや、魔法的な強化を阻害する物と見た方がいいかもしれませんね」

 「――あの剣に近づくと強化を完全に剥がされるってかい?」

 「そう考えた方が無難だと思います」


 それともう一つ、ヤドヴィガは気が付かなかったが聖女は見逃さなかった事があった。

 彼女の聖剣と敵の魔剣がぶつかった時、聖剣に魔剣の闇のような物が絡みついてその刃の一部を黒く染めた事をだ。


 ほんの僅かな事で、今は闇が消滅して聖剣は元の輝きを取り戻しているがあれは一体――?

 鍔迫り合いは危険と言いたかったが、明らかに遠距離戦では分が悪い。

 エロヒム・ツァバオトの水銀の槍は辺獄では消耗が激しいので連発が出来ず、ヤドヴィガのシャダイ・エルカイも似たような事が出来はするが、扱い始めて日が浅い彼女には扱いきれない上、肉体の再生を何度も行っているので消耗が激しい。


 欲を言うなら彼女は下げて休ませてやりたいが、一対一では魔剣なしでも勝てる気がしないので二人で何とかせざるを得ないのだ。

 バラルフラーム戦では聖女自身に加え、聖堂騎士が複数いてようやく拮抗できていた事を考えるともう少し手が欲しいと言うのが彼女の本音だった。


 白金の聖騎士は手札を全て出し切ったと見ていい。

 魔剣に複数の権能。 クリステラと同等かそれ以上の剣技。 厳しい相手だが、その力の底が見えた以上は上回る戦力を揃えるだけなのだが――


 ヤドヴィガは吼えながら斬りかかり、襲いかかる炎を聖剣で斬り裂き果敢に立ち向かう。

 聖女は水銀の槍で援護しながら、周囲に視線を飛ばすがどこも酷い有様だった。

 対英雄を想定していた先鋒はほぼ全滅しており、生き残った面子も自分の身を守るだけで精一杯。


 後ろからの部隊も辺獄の急激な侵食により合流こそできたが、完全に抑え込まれている。

 様子を知ったセンテゴリフンクスに詰めている後詰めに期待したい所と考えていたが、街が襲撃されているのでその後詰めも街に釘づけにされている事を彼女は知らない。


 対する白金の聖騎士も表には出さなかったがかなり焦っていた。

 魔剣を投入した以上、彼にも時間がなかった。 何故なら彼は目的を変えたからだ。

 当初の目的を諦め、最低限の目標を達成する事にシフト。 その為の行動を起こしたのだが……。


 魔剣をまともに扱えないとは理解していたが、想定以上に力が出ないのだ。

 その為、戦況を傾けこそはしたが致命打には至らない。

 

 ――せめて、せめて魔剣に使い手さえいれば――


 悔しさに歯噛みする。 叶わぬ事だとは理解していたが、そう思わずにはいられなかった。

 完全にその力を解放した魔剣を扱える者さえいれば、こんな連中は問題にすらならない。

 その考えは間違いではなかった。


 魔剣リリト・キスキル。

 能力は聖剣殺しと言っても過言ではない程に対聖剣に特化した物で、その真髄は魔力を伴った現象を無効化する事にある。 正確には成立した現象の魔力バランスを崩して、魔法は勿論聖剣の強化ですら不安定にして無効化するのだ。


 その為、この魔剣と相対するには魔力に頼らない純粋な技量か身体能力が必須となるので、聖剣に頼った戦い方の彼女達とは相性が極めて悪かった。

 仮に完全に扱える者が現れれば二対一であったとしても、間違いなく彼女達の命はなかっただろう。

 

 無事なのは鎖を用いて強引に扱っているだけの不正規な使い手だからだ。

 それを自覚しているのか白金の聖騎士は間合いを詰めようと狙って来る。

 接近すればヤドヴィガの再生能力は無効になるので、彼女を仕留めたければとにかく近寄る事が有効だからだ。


 剣の腕には天と地ほどの開きがあるので、再生能力さえ無効にできれば充分に殺せる筈なのだが……。


 「やらせない!」


 それを悉く聖女が阻む。 水銀の槍での援護も見切られ始めたので、彼女も積極的に割り込む。

 何合かの打ち合いで彼女は微かな違和感に気付く。 エロヒム・ツァバオトは魔剣と打ち合っても何故か侵食を受けないのだ。 途中でヤドヴィガも気づいていたみたいだが、シャダイ・エルカイは接触すると魔剣の闇が乗り移ったかのように纏わりつくのだ。


 離れてしばらくすると消えるのでヤドヴィガも努めて気にしないようにはしていたが、嫌な物を感じているのか表情は優れない。

 聖女も訝しむが、余裕がないのでそのまま戦うしかないのだ。

 状況は膠着しつつあるが、何か切っ掛けがあれば容易く傾く。 そんな危うい状態でもあった。

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