第668話 「気遣」
ジョシュア・マヒューズ。
このセンテゴリフンクスに住む少年だ。 手酷く痛めつけられていたので三波はジョシュアに肩を貸そうとして――体格差があるので無理だったので肩に担ぎ、家まで送っている途中だった。
最初は意地を張って暴れていたが三波は無視して「家はどこだ?」と聞いたので諦めてされるがままだ。
ジョシュアも家への道を指示しながらも間が持たないとでも考えたのか、身の上話を始めた。
このヴェンヴァローカは複数の種族が混在している事もあって、種族の違いによる軋轢が少なからず存在する。
特に獣人は能力がフィジカルに偏っている所為で、力を価値基準とする事が多い。
その為、腕力に劣る人間を軽視する傾向にある。 特に子供はそれが顕著で、弱そうな者を見ればああやって攻撃する事によって幼い優越感を得ているようだ。
ジョシュアは人間で余り体格に恵まれなかった事から普段から同年代の獣人の攻撃対象になっているとの事。
「お、俺は絶対にあいつ等を見返してやるんだ!」
「そうか……」
悔しいのか震える声でそう言っているジョシュアを三波は冷めた感情で見つめる。
虐めか。 何処にでもあるのだろうな。 感想としてはそんな物だった。
少なくとも彼女の歩んできた人生で似たような場面には何度か出くわした事もある。
人は残酷な生き物だ。 特に大手を振って虐げられる相手には無慈悲に攻撃を行うだろう。
三波にとってそう言った行動は唾棄すべき行いで、嫌悪の対象であった。
彼女自身がターゲットになった事はなかったが、子供の頃に度が過ぎた虐めの様子を見た事がある。
今でこそ嫌悪の対象となっていたが、当時に感じた物は恐怖であった。
自分が迫害され続けている彼ないし彼女の立場になればと考えると、身が竦んで心が怯えに震える。
それ故に彼女は思った。
――あんな連中、消えてなくなればいいのに。
これこそが彼女の思想の原点。 恐怖を排除する事により、安寧を得ようとする防衛行動。
それが彼女の掲げる正義の正体だった。
悪い人間は生きて居る限り、周囲に害を及ぼす。 さながら性質の悪い病巣のように。
それを排除する事は正しい事だ。 少なくとも彼女は少し前まで本気でそう思っていた。
だが――教団の裏の事情が明らかになった時、それは崩れ去る。
何故なら、グノーシス教団が正義を成す存在から明確な加害者へと変じたからだ。
――結局、何が正しかったのだろうか?
彼女はここに来てようやく絶対の成否、オセロの石のように白黒が明確に分けられる事はないのだと理解したのだ。
さて、ここで疑問が生まれる。 三波 灯と言う女は転生者だ。
当然ながらその記憶には日本という国の倫理観がしっかりと根付いている。
――にもかかわらずこの体たらくは何故なのだろうか?
異世界とは読んで字のごとく異なる世界だ。 当然ながら言葉も違えば倫理も違う。
そんな中、彼女はどうして絶対の正義を信じられたのだろうか?
結論から先に行ってしまうと周りがそう言っていたから、異世界だからそうなのだろうと思考を放棄したのだ。 身も蓋もないが、この世界を舐めていたと言い換えてもいい。
日本ほど法整備も成されていない何百年も前の文化水準の世界と侮った。
その結果が、現状を招いたと言えるだろう。
三波 灯は正義の騎士ではなく、勘違いをしていた道化。 本当に笑えると彼女は自嘲。
「……姉ちゃん? 何か元気ないな? オレで良かったら話聞くけど?」
不意に担いでいるジョシュアが三波の態度に違和感を覚えたのかそんな事を言っている。
それを聞いて、いい子じゃないかと少し微笑ましい気持ちになった。
「ありがとう。 確かに私は悩んでいるが、これは自分で解決しなければならない事なんでな。 気を遣わせておいて悪いが気にしないでくれ」
「そ、そっか、ところで姉ちゃんってグノーシス教団の聖騎士なんだろ? やっぱり強いのか?」
三波がそう言うとジョシュアは空気を読んだのか話題を変える。
それに内心でありがたく思いながらも小さく肩を竦めた。
「どうかな? 少し前は自分が強者と自惚れていたが、それも少し怪しくなってきてな」
アイオーン教団の事はどこまで言って良いのか迷ったので、そちらははぐらかす。
「でもさっきの連中よりは強いんじゃないのか?」
「そうかもしれんな」
「……強いのに悩む事があるのか?」
「あるさ、悩む事ばかりだ」
歩きながら三波は自嘲気味にそう答える。 もう少し話すのに難儀する物かとも思ったが、どうやら彼女は自分で思う以上に会話に飢えていたのだろうかと苦笑。
「な、なぁ、どうやったら強くなれるんだ?」
「……漠然とし過ぎているな。 質問を返すようで悪いが、君はどう強くなりたいんだ?」
強いと言っても一口に語れない。
何故なら人によって強さの定義が違うからだ。 単純な腕力? それとも魔法を扱う技術?
見方によっては人を率いるカリスマ性も強さと定義できるかもしれない。
三波はそう言いながらもジョシュアの求める強さに関しては察していた。
彼は分かり易い力――明らかに腕力を求めており、そしてそれは今の彼女にはあまり価値の見いだせない代物だ。
「お、オレはあいつらに馬鹿にされないぐらい強くなりたい!」
予想通りの答えが返って来たので、内心で苦笑。
「そう言う事なら体を鍛える所から始めたらどうだ?」
「そんなんじゃ強くなれないだろ! 誰でもできる事じゃだめだ!」
それを聞いて思わず小さく笑う。
「な、何がおかしいんだよ!」
「いや、済まない。 馬鹿にしているつもりはないんだが、な」
気持ちは良く分かる。 ただ、安易に結果だけを求める人間は傍から見るとこう見えるのかと、彼女は思っただけだ。 三波はジョシュアと言う少年を通して自分の視野の狭さを笑う。
「君の言う通り、誰にでもできる事だけでは望む結果へはすぐに辿り着けないだろう。 だが、近づく事は出来る。 一つ聞こう、その誰でもできる事をしなくても君は強くなれるのか?」
「…………姉ちゃんも俺が人間だから、才能がないからって馬鹿にするのかよ!」
「少し違う。 何をするにもまず必要なのは己を知る事だ」
ジョシュアは意味が分からず沈黙。 三波は話を聞いてくれると判断してそのまま続ける。
「自分の現状を正しく理解し、何が出来て、何が出来ないのかが分かれば漠然とした目標より、手近な目標が見えて来るんじゃないか?」
その手近な目標すら見えていない奴が何を言っているんだろうなと苦笑しながらそんな事を話す。
「……それが体を鍛えろって事なのかよ」
「少し違う。 鍛えておけば体力が付く、体力が付けば長く戦える。 長く戦えれば相手を倒せるかもしれない。 そうやって小さい目標を用意して積み上げて行けば、君の目標としていた場所かは知らんが何処かへは辿り着けるんじゃないか?」
何だったら鎧か何かを装着して一定の距離を走破できるとかでもいい。
己の体は立派な資本。 この殺伐とした世界では尚更だろう。
少なくともフィジカルや魔力に恵まれた転生者の三波にはその価値は良く分かっていた。
何せ何も持たない状態であっという間に聖堂騎士だ。
それが資本でなくて何だと言うのだと彼女は考えていた。
「……」
ジョシュアは理解しているのかいないのか黙ったまま言葉を発しない。
こればかりは人に言われてどうなる物でもないので、三波はそれ以上は言い募らずに歩き、やがてジョシュアの家へと到着。
迎えた彼の父親は息子を担いだ三波を見て驚いていたが、事情を話すと何度も礼を言っていた。
三波は特に何も言わずにその場を後にして、砦へと戻る。
人と話した所為か、誰も傷つけずに彼の助けになる事が出来た所為かは分からなかったが、彼女の足取りは砦を出た時よりも少しだけ軽くなっていた。
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