第667話 「反芻」

 こっちは背が高い建物が多い所為でウルスラグナに比べれば空が狭いな。

 そんなどうでもいい事をぼんやりと考えながら三波 灯は空を仰いだ。

 雲一つない快晴で日光は力強く大地に降り注ぎ、この異国の地――センテゴリフンクスの街並みを照らしていた。


 ――こんな所で私は何をやっているのだろうか?


 そんな取り留めのない疑問――そして何度も己に問いかけ、しかし答えの出ない無駄な反芻に近いそれを繰り返す。

 何もかもが虚しかった。 少し前までの彼女は使命感に燃えており、自分は正しく、そしてその正しさはグノーシス教団が保障してくれている。


 その為、彼女は何の疑問も憂いも持たずに教団の正義に乗っかって好き放題やって来たのだ。

 

 ――とは言っても彼女は転生者の中では良識はあったので、そこまでの無茶はしていなかったが、正義を振るって悪を裁くのはとても気分のいい物だった。


 教団も彼女の扱い易さ・・・・と戦闘能力には目をかけていたので、特に強制せず凄い凄いと持ち上げ続け、敢えて調子に乗らせたと言うのもあったが、物事を碌に考えず現状を招いたのは彼女の怠慢と言えるだろう。

 その後、教団が裏でやってきた事が明るみになった際、彼女の薄っぺらな正義は崩壊した。


 非道な人体実験、怪しい組織との取引に癒着。

 次々と証拠が噴出し、否定しようのない事実は現実となって彼女の背に圧し掛かった。

 その結果、三波 灯という女は都合の悪い現実を受け止めるどころか、直視する度量もなかったと言う事実を残し、彼女の栄光の日々は終わりを告げる。


 現実と自身に対する失望が重なった結果、彼女は心を閉ざし、ついでに部屋も閉ざして引き籠る事となった。

 三波は長い時間、部屋の床を見つめながらぼんやりと考える。

 何がいけなかったのだろうかと。


 幼い頃から勧善懲悪を扱った話が好きだった。

 弱きを守り、強きを挫く。 絶対的な正しさを以って正義を遂行する。

 好きな理由は単純明快、何故なら正義という概念が自分を肯定してくれるので、なんの容赦もなく悪を攻撃し、叩き潰す大義名分を得られると言う点だ。


 以前の彼女ならこう考えていただろう。


 ――教団の敵は悪。 だって悪なのだから殺そうがどうしようが何の問題もない。 だって悪ってそう言う物だろう?――と。


 それは彼女なりの現実逃避で、この世界との折り合いをつける為の動機付けだったのかもしれない。

 転生者にとってこの異世界は生き辛い。 優れた身体能力や強大な魔力こそ身に宿しているが、代償と言わんばかりに変異した異形の姿。


 強大な力は個人によってはある種の万能感を与えてくれる。

 それに酔える精神性を持つ者ならまだ生き易かったが、そうでない者には厳しいと言えるだろう。

 三波はどちらかと言うと後者に分類される性格だった。


 それを正義という欺瞞ヴェールで覆う事によって自己を保っていたからこそ、今までやって来れていたのだが……。

 

 「……はぁ」


 一人になったので小さく溜息を吐く。

 自由行動と言われはしたが、彼女にはしたい事も行く当てもない。

 やる事もないのでぶらぶらと街を歩く。 一緒に砦を出た北間は相変わらずの不貞腐れた態度でどこかに消えた。 客観的に見れば北間の態度は問題があるのだろうが、今の三波には彼に構う心の余裕は――というよりは何かをする気力もない。


 彼女は自分に与えられた役目をよく理解していた。

 聖女の護衛で押し寄せる辺獄種を薙ぎ払い、辺獄への活路を開く事。

 要は露払いだ。 聞けば敵はかなり強力な辺獄種を擁する大軍勢らしい。


 ――死ぬかもしれない。


 そう考えて三波はふっと息を吐く。 それも良いかもしれないと考えていた。

 生きていても何の張り合いもない。 ならいっそ――そんな自暴自棄に似た感情が渦を巻く。

 これも何度も考えた事だ。 そして死にたいなら自殺すればいいじゃないかという自問に行きつく。


 それもそんな度胸はないといった結論に着地する。 馬鹿々々しいと自嘲。

 

 ――もう帰りたい。


 最後に考える事は故郷への郷愁だ。 ここに来て彼女は何もかもを投げ出して逃げ出したいといった思考に囚われている。 今の彼女であるなら葛西の考えが理解できるのかもしれない。

 ただ、三波が彼と決定的に違う部分は思うだけで欠片も行動に移さない点だろう。


 結局の所、自覚はないが彼女は未だに自分に酔っているのだ。 三波はぶらぶらと街を歩く。

 街の雰囲気は山岳地帯にあるだけあってウルスラグナとは全く違う。

 戦時中の為、物々しさこそあるが全体的に高い位置にあり、開けているので強い風が吹く。


 彼女がまともであるならば気持ちのいい風とでも言っていたかもしれないが、今は特に何も感じない。

 道行く人も変わった街並みもただの風景として処理し、三波は無心に街を歩く。

 どれほど歩いたか、天頂にあった太陽が僅かに傾き始めたところで部屋に引っ込むかと踵を返す。


 道と方向は覚えているので問題ない。

 気分も変わるかなといった思いで歩いてはみたが徒労かと溜息を吐――不意に足に衝撃。

 何かがぶつかったようだ。


 視線を落とすと少年が足元で痛みに呻いていた。

 黒髪黒瞳の日本人を思わせる少年で、歳は十代半ばぐらいか。

 

 「痛っつぅ」


 どうやら路地から転がってきたようだ。

 何事だと視線を路地に戻すと転がって来た子と同年代の体格の良い少年達が数名、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。 


 「人間の雑魚が俺様に敵う訳ないだろうが! ちったぁ身の程を知れっつうの!」

 「そんなんで辺獄種を倒すぅ? 笑わせんな!」


 人間? 彼等の言葉に少し引っかかった三波は体格の良い少年達を注視。

 ややあってなるほどと納得した。 耳だ。 少年たちの耳が獣のそれに近い形状をしていたのを見て、獣人かと無感動に思った。


 街まで案内したジャスミナも獣人だったのだが、それすら三波は認識できていなかったようで、ここに来て初めて獣人という存在をまともに認識した。

 そして足元の少年は普通の人間であちこちに痣が出来ている事から暴行を受けているようだ。


 人間の少年は悔しいのか目に薄っすらと涙を浮かべながら立ち上がる。


 「う、うるせぇ! 俺を馬鹿にするんじゃねぇ!」 


 立ち上がろうとするが、かなり手酷くやられたのか足に力が入っていない。

 それを見た彼女の行動は無意識だったのかもしれない。 気が付けば三波は人間の少年を庇うように前に出ていた。

 全身鎧で大柄な三波が前に出た事により獣人の少年達はやや引き気味になる。


 「な、何だよ? 文句でもあるのかよ」

 「――もう少しで日が暮れる。 家に帰れ」

 

 そう言いながら三波は腰の剣に手を乗せる。

 獣人の少年達はその迫力に圧されたのか僅かに表情を引き攣らせた。

 三波は無言。 少しの間、沈黙が場を支配する。

 

 「チッ、命拾いしたなぁ、雑魚のジョシュア! 今度はこんな物じゃ済まさねーからな!」


 場の空気に耐えられなかったのか、少年達はそう吐き捨てるように言葉を残すと早々に逃げて行った。


 「少年、立てるか?」

 

 内心で自分の行動に驚きつつ三波は少年に手を差し伸べた。

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