第651話 「■■」
私は後悔していない。
これは彼女の最期の思いであり、微かに残った残滓とも呼べる物だ。
――何故なら希望を繋げたからだ。
魔剣を従え、その憎悪と憤怒に寄り添える男。
彼を送り出す事が出来た事により、彼女は自分の役目を終えたと考える。
だから躊躇いはなかった。 男を取り込もうとする
その結果、彼女自身がそれに取り込まれる事になろうとも後悔はない。
無数の枝に貫かれ、自分の存在が希薄になり、魔剣を奪われようとしている。
それが何を意味しているのか理解した彼女は決断をする事にした。 たとえ自分がどうなろうとも魔剣を奪われる事だけはあってはならない。 悔いがないかと聞かれれば嘘にはなるが、躊躇いはなかった。
――いいだろう。 私達はくれてやる。
だが、魔剣だけは絶対に渡さない。
聖剣が健在にもかかわらず強引に現れたと言う事はこの近く――恐らく第九が落ちたか、
自分達を失えば魔剣はその能力の大半を喪失するが、第十に穴が開く事は防げる。
恐らくこれは些細な抵抗で、時間稼ぎ以上の意味はないのかもしれない。
だが、可能性は残る。 かつて自分と仲間達が、立ち向かった時のように。
敵がどんなに強大だったとしても、どんなに絶望が深かったとしても、彼女も彼女の仲間達も最後の最期までその胸に希望を抱いて戦い抜いた。
少なくとも彼女自身は最後までそう在り、他もそうであると彼女は固く信じていたのだ。
そして彼女は自らが救った男へと視線を向ける。
枝を破壊した男は彼女へと駆け寄ろうとしていたが、それを手で制した。
物理的な拘束は解けたが、もう彼女は枝に絡め取られている。 間もなく、取り込まれて自我も消失する事になるだろう。 そうなれば
その未来に凄まじい屈辱と不快感を感じるが、諦観と共に受け入れる運命に比べれば遥かにましだろう。
――願わくば……。
もし許されるのなら、もう一度――あの仲間達と共に戦場を駆けたかった。
彼女は最期に会いに来てくれた二人の仲間を想う。
一人は飛蝗の転生者。
武器は合わないと最後の最期まで拳一つで戦い抜いた青臭いが気骨のある男だ。
もう一人は少年。 気弱なのを最後まで押し殺しながらも立派に立ち続けた尊敬に値する強い子だった。
峻厳の柱を守っていた最後の一人――刀使いの剣士を想う。
頭こそ固かったが、一度認めれば愚直なまでに戦友を信じる熱い男だった。
そして――
霞む視界に嫌でも入って来る闇色の柱を見る。
第九が崩れた。 そこを守っていたであろう男の事を想う。
全てを悟ったあの日、誰よりも絶望し、皆の前でこんな事になって本当に申し訳ないと泣きながら詫びていた。 誰も彼を責めるような事などする訳がないのだが、自身が許せないのだろう。
誰よりも運命とあの結末を呪っていた。
あの現象が勝利によって引き起こされたのか、敗北によって引き起こされたのかはもう彼女には知る術はないが――
――どうか彼にほんの少しの救いを――
もう彼女が出来る事はそう祈る事だけだった。
最後に目の前の男に小さく微笑みかける。 男は無表情だったが、微かに驚きのような物をその顔に滲ませていた。
それが何だか可笑しくて彼女は小さく笑った。
可能であれば力の一つも貸してやりたかったが、それも叶わないだろう。
「……助けられたようだな。 借りを返したい、俺に何かして欲しい事はないか?」
男がそう言ったので彼女は残された力を振り絞って言葉を紡ぐ。
何故その言語を選択したのかは彼女自身にも分からなかったが、転生者達の故郷の言葉でそれを口にした。
最後は言葉にできた自信はなかったが男は――
「……分かった。 どこまで期待に沿えるかは分からんが、やれる事はやるとしよう」
――そう言った。
他所の言語だったが、意味は伝わる。 請け負ってはくれたようだ。 それを聞いた彼女は満足して力を抜く。
これでいい。 無念は残るが、希望は残せた。 どうかこの世界の理不尽な結末を――
それを最後に彼女の最期の思考は虚無へと消えて行った。
同時に街が消滅。 その場に残ったのは彼女を看取った男と、少し離れた所に居た騎獣のみとなった。
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