第597話 「踏出」

 「あの時の私には何をおいても守るべきものがありました。 ですから、振り返っている余裕がなかっただけです」


 そう、あの時の私はイヴォンを守る事しか考えられなかった。

 だからあんな――涙を流して私を引き留めようとするジョゼの事を思い出す。

 彼女の事を振り返るどころか、顧みる事さえできなかった。


 「マネシア。 貴女は私を強いと言いますが、そんな事はありません。 結局、私は前に進む事しかできないだけです」


 そう、それしかできないからこそ、ジョゼを切り捨て、サリサを顧みる事が出来なかった。

 マネシアは何と言ったらいいかと言葉に迷うような複雑な表情を浮かべる。

 その目を真っ直ぐに見つめて、思った事を言葉にして紡ぐ。


 「……貴女は折れたと言っていましたがこの場に居る以上、もう踏み出しているように見えます。 恐怖を押して旅に出たその覚悟こそ尊い物と私は思います」


 心の底からの言葉だった。 少なくともマネシアは前に進もうとしており、今回の旅も彼女なりに現状を何とかしようと動いた結果なのだろう。

 私はそれをとても素晴らしい事だと思っていた。 少なくとも過去を引き摺ってずるずると悩んでいる私と違ってしっかりと前に進めているからだ。


 「そう……かしら? そうかもしれないわね」


 マネシアは自分に言い聞かせるかのように曖昧な笑みを浮かべる。

 

 「――つまらない話をしちゃったかしら? さぁ、クリステラ。 そろそろ肉が焼けそうよ」


 焼いていた肉がそろそろ食べられそうだとマネシアが串刺しにした肉を差し出す。

 確か地中から襲って来た魔物の肉だったはず。

 正直、私では魔物の肉を食べるという発想が出てこなかったので、こういう点でも居てくれてよかったと思う。 そしてもう一点。


 一応、私達は冒険者として身分を偽ってアープアーバンを越えるので、それ相応の振る舞いが求められるとマネシアは魔物の皮などの比較的嵩張らない素材を集めていた。 肉は放っておいても消えるが皮は剥いでしまえば長持ちする上、加工してしまえば防具などの素材として扱えるので売却して路銀の足しにできる。

 ちなみに私もマネシアも冒険者ギルドで登録を済ませ、危険度の高い依頼を消化して早々に青の一級まで位を上げておいた。


 流石に赤は時間が足りなかったので無理だったが、青の最上位なのである程度の融通は利くだろう。

 冒険者という存在は知ってはいたがそこまで身近ではなかったので、今一つ勝手が良く分からなかった。 取りあえず魔物を仕留めて回っていただけなので、冒険者になり切れているかは自分でも少し怪しいと思う。


 やはりエルマン聖堂騎士の判断は正しかったようだ。

 私一人では聖剣の入手どころか情報収集すら難しかっただろう。

 

 ……いや、もしかしたら辿り着く事すら無理かもしれ――いや、そんな馬鹿な。 いくら私でも……。


 完全に否定しきれず愕然とする。

 もしかして私は当初の予定通り一人で行っていたら道に迷って野垂れ死んでいたのでは?


 「あ、あの? クリステラ? 口に合わなかった?」

 「い、いえ、美味しいですよ?」

  

 いけない。 どうにも慣れない環境の所為か色々と余計な事を考えてしまう。 

 こうしてアープアーバンでの夜は更けて行った。




 翌日。

 私達は準備を整えてアープアーバンの道なき道を進む。

 この地はウルスラグナと隣国フォンターナ王国の間にある魔物の領域だ。


 人の手が入っていないので道は険しく、環境は過酷なだけあって生息する魔物はウルスラグナで戦った物とは比較にならない程に狂暴な個体が多い。

 その為、グノーシス教団では大人数での行軍には向かず、通行の際には少人数かつ精鋭で臨む事を推奨されるほどだ。


 実際に足を踏み入れてみるとなるほどと思う。

 確かに危険な場所ではある。 過酷な環境もそれに拍車をかけている。

 だが、バラルフラームでの戦いに――あの辺獄種に比べれば温いと言わざるを得ないだろう。


 隠形に長けているような個体が多く、深い木々が多いこの地形も彼等に力を貸している。

 恐らくは獲物を仕留める際にしっかりと観察を行って安全と判断したら仕掛けているのだろう。

 同時に同じ獲物を狙っている者への牽制などを並行して行っているようで、時折気配が漏れる。


 お陰で捕捉は難しくない。 その上、仕掛ける直前には油断するのか必ず殺気を漏らすので、私にとってはやり易い相手が多い。

 正直、ここまで露骨だと鎌かけではないのかと勘繰ったが、魔物である以上、本能には逆らえないようで仕掛ける段階になると一直線に喰らいつかんと襲いかかって来る。


 後は間合いに入った所を浄化の剣で一撃。

 この剣は甲殻を持った魔物であろうと関係なく両断する。

 最近は良く防がれたり効果がない敵と当たる事も多かったが、この剣は強力な物だ。


 当たりさえすれば勝敗を決する事が出来ると言うのは戦闘においてかなりの利点でもある。

 それを踏まえれば浄化の剣は最上級の武器とも言えるだろう。

 

 ――だが。


 あの辺獄種には全く通用しなかった。

 効かなかったのではない。 純粋な技量のみで上回られたのだ。

 自分こそが最強と自惚れるつもりはないが、剣の腕にそれなりではあるが自信はあったので衝撃は大きかった。


 今思い出しても凄まじい剣の冴え。 こちらの剣の軌跡を完全に読み切って、最適な防御方法を選択。

 一対一では絶対に敵わないと確信できる程の隔絶した技量差を感じた。

 あれは身体能力などではなくたゆまぬ研鑽の果てに辿り着く事が出来る境地。 高みと言い換えてもいい。


 可能であれば教えを乞いたいほどに素晴らしい剣技だった。

 それ故に今の自分では届かないと嫌でも痛感させられる。

 だからこそエルマン聖堂騎士の提案に一も二もなく頷いた。


 本来なら私も時間かけて研鑽を積むべきなのだろうが、状況がそれを許してくれない。

 確かに国内の情勢は落ち着いてはいる。

 だが、その平和がいつまでも続く保証もない以上、悠長に強くなるのを待ってはいられない。


 辺獄では聖女ハイデヴューネに頼りきりだったが、次の戦いではそうはいかない――いや、あってはならないのだ。

 彼女は強い。 技ではなく心が。 しかし、彼女もまた人なのだ

 聖女という重い責務がその背に圧し掛かり、身を蝕む。


 聖女ハイデヴューネ・ライン・アイオーンはアイオーン教団の象徴ではある。

 だからといってその全てを彼女に押し付けるのは違う。

 少なくとも彼女に並び立ち、貴女は一人ではないと伝える事の出来、背に圧し掛かった重圧をほんの少しでも軽くする者が必要だ。 少なくとも私はそう在りたい。


 だからこそ私は迷わずに行ける。

 そして意地でも聖剣を手に入れると決意を新たにした。

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