第598話 「道中」

 アープアーバンに足を踏み入れてから早くも数日が経過したが、中々距離が稼げない。

 魔物の襲撃の頻度が多い事もあるが、最大の問題はこの険しい地形だろう。

 荒れた地面は歩みを鈍らせ、密集した木々は方向感覚を狂わせる。


 マネシアもそれは理解しているようで、定期的に私に止まるように促し何度も方角を確認していた。

 その為、本来なら一日で踏破できる距離ですら数日かかる事になってしまう。

 幸いにもこの地に生息する魔物の肉は食用に向いているので、食事に困る事はないが移動に制限がかかるのはあまり歓迎出来る事ではない。


 微かに焦りを滲ませつつも先へ先へと進む。

 そうしている内に更に数日が経過した所で変化があった。 音だ。

 大量の水が流れる音が響く。 恐らく滝が近いのだろう。


 「音が大きい。 恐らくかなり巨大な滝があるわ。 クリステラ、地形が大きく変わるかもしれないから注意して進みましょう」


 マネシアがそっと注意して来たので大きく頷いた後、慎重に進むと不意に視界が開ける。

 

 「これは――」

 「……凄い」

 

 私とマネシアは思わずそう漏らしてしまった。

 それだけ目の前の光景は素晴らしかったからだ。

 木々を抜けた先は崖になっており、その先には広大なアープアーバンの大自然が広がっていた。


 視界一杯に広がる緑とその合間に覗く荒野、長い川、点在する湖。

 その全てが圧倒的な存在感を放って私の胸を打った。

 美しい。 素直にそう表現できる程に生気に満ち溢れた風景だ。 可能であるならイヴォンや聖女ハイデヴューネに見せたいぐらいだった。 自分達だけで見るには勿体ない、とても良い景色だった。


 「いい景色ね」

 「えぇ、私もそう思います」

 

 マネシアも同じ気持ちだったのか、素直に感動の言葉を漏らしていたので、私もそれに同意する。

 少しの間、休憩も兼ねて景色を眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいかない。

 しばらくして移動を再開。 崖沿いに歩き、降りられそうな場所を探しだして降下。


 降りた後に振り返ると随分と高い崖だ。

 ウルスラグナがかなり高い位置にある事が分かった。

 

 「行きましょうクリステラ。 日が出ている内に少し距離を稼いでおきましょう。 上から見た限りだけど、この先は上よりは木々の密度がそう高くないので視界は通り易そうね」

 「えぇ、後は上から見た荒野が少し気になりますが……」

 

 一部、明らかに木々が殆どない荒野があった。 あそこを通れればかなり時間を短縮できる。 

  

 ――だが。


 「……確かにそうね。 距離があった所為で完全には見通せなかったけど、動く物が少なかった所を見ると何かありそうと見た方が無難かしら?」

 

 マネシアの言う通り、開けていると言う事はそれだけ移動がしやすい。

 餌や獲物が少ない以上、魔物が寄り付かないのも分からなくもないが、何も居ないのは少し引っかかる。

 このまま真っ直ぐに行けば荒野に入る事にはなるが――


 「マネシアの考えは?」 

 「……私としてはここを早く抜けるに越した事はないと思う。 ただ、無理をして急ぐ必要もない……と考えているわ」

 「念の為に迂回した方がいいと?」

 「えぇ、迂回したからといって安全とは限らないけど、あそこまで露骨に何も居ないと逆に近寄らない方がいい気がするわ」


 本音を言えば真っ直ぐに行きたい所だが、マネシアの言う事も理解できるのでここは彼女の判断を信じるべきだ。


 「分かりました。 では荒野を迂回して進みましょう」


 そう考えた私は素直に頷いて迂回を選択。

 マネシアはそれを聞いて少しほっとした表情を浮かべる。


 「信じてくれてありがとう。 ここからは私が前に出るわ。 大雑把ではあるけど、移動経路は考えてあるから付いて来て」


 そう言って少し歩調が速くなるマネシアの背を追って私も足を早めた。


 

 

 荒野を迂回しただけあって道は険しかったが、崖を下りる前に比べれば随分と歩き易い。

 お陰で距離も随分と稼ぐ事が出来た。

 やはり崖の上と下では環境が違うのか生息している魔物の種類も違う。

 

 上の魔物は身を潜めての奇襲を得意とする物が多かったが、下の魔物は――


 「来るわ! 押さえるから手筈通りに!」


 マネシアが大盾を地面に叩きつけて障壁を形成。

 少し遅れて無数の魔物が障壁にぶつかって跳ね返る。


 ――そう、数で来るのだ。


 小型の地竜に似た種が数に物を言わせた群れで襲って来る。

 マネシアの障壁にぶつかった事で体勢を崩した所を私が斬り込んで片端から浄化の剣で首を刎ね飛ばしていく。

 全滅させる必要はない。 三割から四割ほど損耗させると逃げて行くからだ。


 「対処に関しては慣れて来たのでそう脅威は感じないけど、流石に気が滅入るわ」


 マネシアのやや疲れた声に同意する。

 襲撃の頻度がとにかく多い。 崖を下りて数日が経過した所で、襲撃された回数は三十を超える。

 グノーシス教団が越える際に少数でも多数でも難しいと言われていた事があったが理由が良く分かった。


 数が多いと容易に捕捉されるが、少なすぎると休む暇もなくなってしまう。 

 狙い澄ましたかのように、こちらが警戒を緩めた所を襲って来ると言う事は、恐らく斥候のような存在が居てこちらの様子を遠巻きに窺っていると見て間違いない。


 実際、襲撃を退けて直ぐに野営の準備に取り掛かろうとしたら即座に襲って来たからだ。

 当然ながら返り討ちにしたが、こうもしつこいと流石に参ってしまう。

 一応ではあるが、疲労の緩和と回復を可能にする魔法道具や魔法薬は持って来てはいるので、問題はないが、今の所はという但し書きが付く。


 この調子で来られると肉体はともかく精神的に疲労が溜まってくる。

 そうなると何処かで思いもよらない失敗に繋がるかもしれない。

 

 「そろそろ、どこかでしっかりと休息を取った方がいいかもしれませんね。 マネシア、案はありますか?」

 「……近くに居るであろう斥候を仕留めた所で次が来るだけだろうし、単純に考えるのなら一方向だけを守っていれば問題ないような場所へ逃げ込むのがいいと思うのだけど……」

 「具体的には?」

 「木の洞や洞窟でもあれば比較的ではあるけれど安全に休めると思う」


 ……なるほど。


 つまり取り囲まれる心配が少ない所へ陣取ればいいと言う事か。

 だがそれには問題がある。


 「ただ、残念ながらこの周囲に人が二人も入れるような洞がある木も洞窟もないわ」


 そう、マネシアの言う通りこの付近の木はそこまで巨大な物もなく、そもそも洞がない。

 洞窟の類も見当たらず、あるとしたら精々岩場ぐらいの物だろう。

 とにかくその場に留まっていても何にもならないので足を動かしながら考える事にする。


 マネシアもそれには同意のようで悩む素振を見せつつ先へ進む。


 「……この先の事もそうだけど、帰りの事を考えると気が重いわ」

 

 ……確かに。


 独り言なのか、小さく呟いたマネシアの呟きに私も全くの同感だったので思わず苦笑した。 

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