第559話 「変色」
――馬鹿な。
エイブラハムは刻一刻と悪くなっていく状況に内心でそんな言葉を漏らす。
敵の雑兵と思われる魔物に聖騎士達が押されているのはともかく、聖堂騎士が全員抑えられるどころか圧倒されているのはどういう事だ?
フニャディとバーリントはそれぞれ撹乱と守勢に長けており、正面切っての戦闘と言う点では聖堂騎士の中でもそこまで技量が高い方ではないので相手によっては苦戦もあるかもしれないと思っていたが、エーベトが押されている事が理解できなかった。
彼女はこのオフルマズドに駐留している聖堂騎士の中でも上位に位置する実力者だ。
残しておけば自治区の守りは問題ないと踏んでいたのだが、甘かったと言わざるを得ない。
天使像を戻すか?
エイブラハムはちらりと空を見やる。
敵の魔物相手に戦闘を繰り広げており、こちらは見たところ優勢のようだ。
だが、圧倒している訳ではないので片付くまでまだまだ時間がかかる。
悪魔の討伐に行かせた聖堂騎士を戻すか?
北の外門へ視線を向けると霧に包まれて分かり難いが奥で光が瞬く。
戦闘が始まったようだ。 こうなれば戻すのは難しいだろう。
まだ霧の侵食は自治区まで達していないが、あのペースでは時間の問題なのは目に見えていた。
迎撃の為に戦力を割き過ぎたとエイブラハムは内心で歯噛みする。
手はなくはない。 まだ切ってはいない札が三つ程残ってはいる。 だが、どれも使うのは躊躇われる代物だ。
一つはエイブラハム自身。 胸にぶら下がった首飾りを服越しに握る。
もう一つは聖堂内に居る彼女。
最後の一つはできればオフルマズドの者達に見せたくない代物だったのだが――
「仕方がないか」
数に限りがある神父や修道女を更に使い潰す事になるが、状況がそれを許してくれない。
ここを陥落されるわけにはいかないからだ。
終われば本国から補充の交渉をする必要があると考えながらエイブラハムは魔石で部下に指示を出した。
――信仰を見せる時です、と。
レブナントはその数を減らしつつも、高い戦闘能力で聖騎士や聖殿騎士を次々と仕留めて回っていた。
このまま行けばグノーシス教団の敗北は避けられないだろう。
だが――戦況に変化が現れる。
民と共に避難していた非戦闘員である神父や修道女達が次々と戦場に現れた。
彼等は異様な兜を被り、手には薄青の細長く先が尖った魔石。
兜の形状は頭頂部に穴が開いており、防具の体を成していないがそれには意味があった。
彼等はお互いに向かい合うと小さく祈りを捧げ、目の前の相手の兜に開いた穴に魔石を突き立てる。
次の瞬間、魔石が発光。 彼等の肉体に変化が訪れる。
ガクガクと痙攣し、背が盛り上がって服を突き破り血に塗れた羽が生え、頭には光の環。
ほぼ全員が同様の姿になったが、一部の者は羽の枚数が多い。
二対四枚の羽根が入る者も混ざっているのを見て、エイブラハムは内心で小さく頷く。
羽の光量で大雑把な階級は分かる。 大半が最下級のΑνγελ級だが、その上位のΑρψηανγελ級とΠρινψιπαλιτυ級もおり、僥倖だったのは少ないとはいえ四枚羽――中級三位のΠοςερ級に至った者が居た事だった。
下級と中級では出せる力に差がある。
特に中級は並の人間では太刀打ちできない程の力を誇り、この場においてはかなりの戦力になる筈だ。
エイブラハムは自らの体内に移植された魔石に魔力を通す。
これは変異させた天使を操る為の物で
天使達はギクシャクとした動きで敵――レブナント達を見ると一気に襲いかかった。
「……よし、これで流れをこちらに――」
神父や修道女達には気の毒な事をしたが、これも災厄を退ける為、延いては世界を守る為に必要な事。 彼等の殉教にエイブラハムは小さく祈りを捧げる。
次々と空へ上がる天使達を見て聖騎士達から歓声が上がった。
天使の参戦はこの絶望的な状況に光と活路を見出し、傷ついた者や心の折れかかった者を再び立ち上がらせる。
「今こそ反撃の時です! 恐れる事はありません! 我々には天使様が付いています! さぁ、共に戦いこの戦いに勝利しましょう! 正義は我々にあります!」
ここぞとばかりにエイブラハムは声を張り上げる。
戦意を高揚させるにはこれ以上のタイミングはないだろう。
そうする事によって相手の戦意を削ぎ落す事もできる。
このまま流れを傾けて一気に決める。
そう考えたエイブラハムの表情が不意に固まった。
理由は視線の先に居たサブリナだ。 彼女は裂ける様な愉悦に満ち満ちた笑みを浮かべていたからだ。
その壮絶な笑顔に警戒心が持ち上がり、不安が募る。
何だ? 一体、何故あのような表情をする? もしや自分は何か失敗でもしたのだろうか?
その不安はほんの数秒後に現実のものとなった。
サブリナと一部のレブナント達の背から
それを見たエイブラハムが馬鹿なと驚愕に目を見開く。
サブリナ達が羽を震わせると何かを引っ掻くような甲高い音が響き渡る。
咄嗟にエイブラハムが耳を塞ぐ。 音自体はすぐに止んだが、今のは一体……。
彼は疑問の答えを目の当たりにした。
空を飛び、今にもレブナント達に襲いかかろうとしていた天使の大半が動きを止めていたのだ。
それを見て、彼の背筋が氷柱でも突き刺されたかのように冷える。
何が起こったかに察しがついたからだ。
「さぁ、我が神の敵を打ち滅ぼしなさい子供達」
異様なほどに良く通るサブリナの声が響いた瞬間、動きを止めていた天使達の羽が灰色に染まり聖騎士達に襲いかかり始めたのだ。
幸か不幸か全てではなく、比較的上位の個体はサブリナの影響を受けなかったのでエイブラハムの指揮下のままだったが、状況は信じられない程悪くなってしまった。
希望を見せられて立て直した聖騎士達は一気に絶望に突き落とされ、士気どころか戦意まで萎えてしまった者が出てきてしまったのだ。
エイブラハムはこの状況を見て悟った。 サブリナは恐らくこの時を待っていたのだ。
グノーシス教団が天使を繰り出し、聖騎士達が増援に希望を抱いた所でそれを奪い去って絶望させる。
「……あの女は悪魔か何かなのか……」
見た目こそ四枚羽の天使――Ποςερ級の筈なのだが、ここまで人を絶望させるような真似を行える者が天使である筈がない。 そう確信できる程、彼女の行いはエイブラハムにとっては恐ろしい事だった。
そして更に恐ろしい事にサブリナの口振りから、彼女ですら使役されている存在という事だ。
あんな恐ろしい女を使役できる化け物の存在を認めたくはなかったが、現実である以上は受け入れざるを得ない。
エイブラハムは覚悟を決めた。 もう一つの切り札を切ると。
懐から別の魔石を取り出すと「彼女」に連絡を取った。
――エドゥルネ殿。 申し訳ありません。 どうか力をお貸しください。
出来れば戦場に出すような真似はしたくなかった。
文字通り替えの利かない人材で、彼のたった二人しかいない
本来なら戦闘は自分の役目で彼女は祈りを捧げる事こそがその役目だった。
自らの不甲斐無さにエイブラハムは歯噛みする。
もう、彼女を出すしか手がない以上、彼には選択肢がなかった。
「構いません。 エイブラハム殿。 この苦難を共に乗り越えましょう」
エイブラハムを労わるような声が響き、彼女が現れた。
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