第498話 「酔潰」
「――はぁ……」
俺――エルマンは大きな溜息を吐く。
無事とは言えないが何とか生きて辺獄から戻れた安堵はある。
だが、まだまだ問題は山積みだ。
「考え事ですかなエルマン殿」
「……まぁな」
場所は宿から少し離れた所にある酒場。
俺はその片隅でグレゴアと一緒に飲んでいる所だ。
「今は生き残れた事を素直に喜ぼうと言いたい所だが、面倒な拾い物をしちまったな」
「……魔剣の事ですな」
俺はあぁと頷いた。
魔剣――銘をサーマ・アドラメレクと言うらしい。
封印を施しているので扱うだけなら可能だが、ヤバすぎて聖剣に守られている聖女以外には触らせられない。 今は聖女の腰に収まっているが時折、抵抗するようにカタカタと不吉に揺れるらしい。
グノーシスの生き残りに押し付けて持って帰らせる予定ではあったが、マーベリックを筆頭に聖堂騎士が全滅してしまったので預けられる相手が居ないのだ。
連中もそれを自覚しているのか引き渡しを要求してこなかった。
「あぁ、連中の聞き分けが良くて助かったぜ」
「流石に今の戦力ではアープアーバンを越えるのは難しいと判断したのでしょうな」
……だろうな。
恐らく本国と連絡を取って回収の人員の手配でもしているのだろう。
ウルスラグナは気軽に来れる場所じゃないので少しの猶予はあるのだろうが……。
「厄介な代物ではあるので頭が痛い問題ではあるな」
「……ですな」
何処かに押し付けてしまいたいが下手な事をすると碌な事にならないと言う難物なので処分に困るのだ。
「今回は今までで最大と言って良い程、厳しい戦いでしたな」
「……あぁ、俺も正直、辺獄って場所を甘く見ていた」
認識が甘すぎた。 あの変わった鎧を身に着けた化け物を見るまではクリステラと聖女が居れば楽勝とまでは言わないが、どうとでもなると考えていたからだ。
だが、予想に反して結果は散々だった。 聖女は大きく消耗し、俺とクリステラは片腕、片足を失い、グノーシスに至っては聖堂騎士と枢機卿が全滅。
「払った犠牲は大きかったが、この危機を乗り越えた事を素直に喜びましょうぞ」
グレゴアはやや大げさに俺の空いたグラスに酒を注ぐ。
何だかその気遣いが今はありがたかった。 片腕なのが難儀だが、注いで貰った酒を味わう。
「そうだな。 今は余計な事は――と言いたいがそうも言ってられん。 辺獄種の漏出が他でも起こればあの化け物と同格がまだまだ出て来るって考えた方がいい」
「……となると戦力の拡充ですかな?」
「あぁ、そろそろ異邦人の連中を遊ばせている余裕がなくなってきたな」
あの碌に外にも出ない連中に頼るのは業腹だが、潜在能力が極めて高いのは俺も良く分かっている。
最低限、訓練だけでも参加して戦えるようにはしておかないと不味い。
「確か今は聖女殿が説得に当たっていると聞いているが、芳しくないようですな」
「……全く、いつまでもタダ飯喰らって良いご身分だ。 それで都合が悪くなれば、言い訳ばかりして外に出ないと、やる気のない阿呆の集まりだ」
「辛辣――とも言えないのが苦しい所ですな」
転生者だか何だか知らんが、働きもせずにダラダラと引き籠る。
無理に出しても言い訳か適当な事を言って逃げる。 その癖、要求だけは一人前と来た。
「正直、俺はあの連中が好かん。 表に出ている奴はともかく他は完全に性根が腐っているようにしか見えん」
「……確かにあの調子では出て来るのはいつに――と言うよりは出て来る気があるのかすら疑問でしたからな」
異邦人への対応、戦力の拡充、魔剣の処分、教団の運営、国内情勢の正常化、各所拠点の復興作業。
やる事が山積みだ。 グノーシスが狙っていた魔剣を横から掻っ攫った形になっているので、この後に鬱陶しい追及が来るのは目に見えている。
下手すればマーベリックを死なせた責任――場合によっては殺した事にされて、濡れ衣を着せられかねない。
その為に生き残ったグノーシスの連中は客として手厚く持て成しているし、心証を良くする為に治療も優先させたので場合によっては間に入って貰うつもりだ。
「……エルマン殿、性分なのは分かるのだが、余り根を詰めすぎると体を壊しますぞ」
グレゴアが心配そうに見て来るが、俺は内心でもう手遅れだと渇いた笑みを浮かべる。
「まぁ……な。 俺も無理をしない程度に上手くやるさ」
そう言って虚勢を張るが、逃げ出したいと思う反面、思考は教団の今後に関しての事に占められていた。
グレゴアは俺の考えを読んだかのように苦笑。
「なるほど、ではエルマン殿の憂いが一刻も早く晴れるようこのグレゴア力を尽くすとしましょう!」
「ははっ、頼りにしてるぜグレゴア」
こいつは難しい事を考えるのには向かんが、こういう気遣いはできる奴なので付き合っていて気持ちが少し安らぐ。
あのお嬢さん方も少しは見習ってほしい物だと思っているとグレゴアが追加の酒を次々と注文していた。
「ささ、今宵は奢りますぞ! 大事を終えた今ぐらいは酔い潰れて全てを忘れられよ」
「おいおい――」
そう言いかけたが途中で止めた。 たまにはいいかと思ったからだ。
今日ぐらいは吐くぐらいに酔って泥のように眠っちまおう。
俺はそう決めてグレゴアの注文した酒を味わう事にした。
いい気分で深夜まで飲み続け、ふらふらになった所をグレゴアに部屋に送って貰った俺は宿の部屋に戻り寝台に倒れ込む。
ごろりと転がって天井を眺める。 グレゴアも少し酔っていたのか部屋に戻ると早々に帰って行ったので今は一人だ。
時間も遅いので周囲は静かだった。
ぼんやりとしていると次第に眠くなったのでこのまま目を瞑れば気持ちよく眠れそうだと、睡魔に抗わずに身を任せる。 明日の事は目を覚ましてから考えよう。
そう考えて俺は眠りに落ちた。
翌朝。
俺は気怠い感じで目を覚ましたが気分はいい。
昨日の酒が残っている所為か頭痛がするが魔法でどうにでもなる。
久しぶりにぐっすりと眠れた事により、気持ちも上向きだ。
さぁ今日もいっちょ頑張ろ――
――気合を入れようとした所だった。
懐に入れていた通信用の魔石に反応があったのは。
こんな朝っぱらからどこのどいつだと、ややいい気分に水を差された気分になりながらも魔石を取り出して――
「いっ!?」
俺は顔を引き攣らせた。
その魔石は最近手に入れた高級品で、自分で買った物ではなく、ある所で持たされたものだ。
どこで持たされたのかと言うと――
――どうもおはようございます。 エルマン聖堂騎士。
この世で最も関わりたくない女――ファティマの声が聞こえて来た。
――ど、どうも。 何か御用ですかね?
――えぇ、そろそろ落ち着いた頃かと思ったので報告を聞かせて頂ければと思いまして。
どうやってこっちの行動を嗅ぎつけていやがるんだと、頭を抱えたくなるが逆らえない以上無駄な事だ。 心には諦観が満ちる。
俺は自分の血の気が引く音を聞きながら素直に知っている事を吐き出した。
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