第454話 「二刀」

 ラーヒズヤは真っ直ぐに走る。

 向かうは山の奥――本堂だ。 辿り着けないのは分かり切っているが、何とかハリシャを連れ戻さねばと父親としての思いが彼を突き動かしていた。


 ローには話さなかったが、カンチャーナの一件は彼等四方顔の業が生み出した悲劇とも言えると思っているので彼の中にあるのは諦観だった。

 山を捨てる選択に対しては抵抗があったが、捨てる提案を行えたのはその考えがあったからだろう。


 そして何より彼自身もこの滅びに加担しているという自覚があったからだ。

 カンチャーナの母親は奴隷を山に引き入れる際の初期に買われた者だった。

 高級な奴隷で育ちも良く、何より美しかったので引く手数多で、次々と男達の相手をさせられた憐れな娘。


 日に日に表情から生気が消えて行く様は痛ましかったが、ラーヒズヤにそれを言う資格はなかった。

 結婚前とは言え、彼自身も彼女を抱いた一人だったからだ。

 カンチャーナの生まれた時期を考えると父親は彼である可能性もあった。


 だからこそ彼女がああなった事に対して、感情的になれなかったのだ。

 もしかしたら自分の娘ではないかという思いと、その娘をああなるまで放置していたのかもしれないという罪悪感で。


 結果、カンチャーナの討伐にも積極的になれず生き残りを率いて逃げ回ると言った消極的な行動を取った。

 理解はしていたのだ。 動かなければ四方顔は終わると。

 だが、動けなかった。 それがこの現状を招いていると分かっていたのだ。


 分かっていたのに……。


 不意にラーヒズヤは足を止める。

 理由は前方から何かが迫ってきているからだ。

 無言で腰の刀に手を伸ばし、瞬時に思考が剣士のそれへと切り替わる。


 ひたひたと小さな足音が響く。

 音からして素足。 そして――

 背筋が泡立つ感覚が駆け抜ける。 ラーヒズヤの第六感とも呼べるものが囁く。


 逃げろ。 そして見るなと。

 ラーヒズヤの直感は当たる。 彼自身、それは自覚しており、何度も助けられていたので信じている。

 恐らく逃げるのは正しい判断なのだろうと理解はしていた。


 だが、この先は村だ。

 何であれ、脅威であるのならば通す訳にはいかない。

 内から湧き上がる警告に内心で詫びながら戦闘態勢を取る。


 油断はしない。 どんな存在であろうと斬り伏せると前方を睨む。

 足音が近づき――その姿が露わになった。 

 

 「……ハリシャ?」


 それは彼の娘であるハリシャだった。

 衣服のあちこちが破れてあられもない姿だったが紛れもなく彼の娘だ。 間違えようもない。

 駆け寄ろうという考えは起こらなかった。


 ハリシャは何故か両手に刀をぶら下げ腰には鞘が六本分。

 内、四本には刀が収まったままだ。

 明らかにおかしな姿だった。 俯いたまま顔は見えない。


 「戻って来たのか? 何があった?」


 ラーヒズヤの声は掠れた様に小さい。 

 何故か声が上手く出ない。 彼女の声を聞きたいと思ってはいるが何故か聞いてはいけないと何かが囁くのだ。


 「……父上。 私は――そう、私は新たな境地に辿り着きました」


 ハリシャはそう言うと俯いた顔を上げた。


 「っ!?」


 ラーヒズヤは思わず一歩下がる。

 そうしたくなるほど彼女の顔は酷かったからだ。

 造型はそのままだ。 彼の妻に似て美しい顔立ちをしている。


 だが口周りは血塗れで凄まじい事になっていた。

 そしてその顔に張り付いている表情は喜悦に歪んでいる。

 自分の娘と同一人物とはとても思えない程に。

 

 「私はこの家に生まれた事も四方顔の剣士になるべく生まれた事にも後悔はしていません。 ただ、何故女に生まれたのか――それだけが不満でした」


 その目は爛々と異様な輝きを帯びていた。

 

 「その事で父上や母上を恨んだ事もありました。 ……ですがもうそんな事はどうでもよくなりました。 だって、力を手にしたのですから」


 ゆらりと両手の刀を構える。

 応じるようにラーヒズヤも腰を落として抜刀の構えを取る。

 明らかにハリシャの様子はおかしい。 恐らく何かされたとラーヒズヤは見当を付けていたが、どうしても敵とは認識できない。 冷静に考えればカンチャーナの術は女には効かないので、おかしいと言う事が分かるはずだが、今のラーヒズヤにそんな考えを巡らせる余裕はなかった。


 何故なら変わり果てた娘の姿に、彼の思考は混乱の渦に叩き落されていたからだ。

 どうすればいい、どうすればいいと出口のない迷路に放り込まれ、彷徨い続ける。

 

 「正気に戻れ! お前はカンチャーナの妖気に当てられただけだ!」


 説得の言葉を叫ぶが勢いは弱い。 

 正気を失った者はもう戻らないと分かりきっていたからだ。

 だが、彼はそう言わずにはいられなかった。 ラーヒズヤは娘を、家族を愛していたのだから。


 それを聞いてハリシャは笑みを深くする。


 「父上、私は正気ですよ? 力を手に入れて少し気持ちが昂ってはいますがえぇ、正気ですとも。 ですので死んでください」


 瞬間。 ラーヒズヤは抜刀しながら後ろに跳ぶ。

 金属音が二連。 受けた刀が澄んだ音を立てる。

 着地したラーヒズヤはその速さに戦慄した。 明らかに以前までの彼女とは別物だからだ。


 何より扱いの難しい二刀を苦も無く使えている時点で技量はそのままに身体能力が向上しているのは明らかだった。

 四方顔は基本的に刀は一本だけ使う。


 二刀は難点が多く、扱おうとする者がほとんどいない戦い方だ。

 理由はいくつかある。 両の手で刀を扱うと言う事は重量が倍になり、消耗が激しくなるのは勿論、振り回す際に体勢も崩れやすくチャクラを扱う集中にも支障をきたすと、四方顔の戦い方と余り相性が良くなかったのだ。


 扱えれば新たな境地を切り開けると習得に挑む者は多かったが、実った者の話はあまり聞かなかった。

 不完全ながらも扱えた者はいるには居たが、馴染まずに最終的に一本に落ち着いてしまい実戦で扱えるレベルまで昇華できなかったのだ。


 「<拝火はいか>、<七舌しちぜつ>」


 ハリシャの両手の刀が瞬時に赤熱して霞む。

 ラーヒズヤは即座に迎撃を諦めて木々の中に飛び込んで回避行動を取る。

 全ては躱しきれなかったので直撃コースの斬撃だけ切り払って防ぐ。


 手が痺れる。 信じられない程に重い斬撃だった。 

 明らかに女の――いや、人間に出せる膂力じゃない。

 緊張と焦りでラーヒズヤの鼓動が自然と早まる。

 

 不味い。 ラーヒズヤは一度打ち合っただけで戦力比を大雑把だが理解した。

 ハリシャは技量自体はそう変わらないが凄まじい身体能力と何より体幹の安定が凄まじい。

 本来、<拝火はいか>はともかく<七舌しちぜつ>は片手で放てる技ではない。


 それを可能としているのが彼女の不自然なまでに安定した体幹と動きだろう。

 明らかに腕の曲がり方がおかしかった。

 ラーヒズヤはどうすればいいのだと途方に暮れながらも刀を強く握りしめる。

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