第445話 「忍耐」

 結局、二ヶ月近く国境付近で足止めを喰らう羽目になった。

 その間に十三区の奪還も成り、国境まで押し返す事には成功したようだ。

 簡易砦の建設も済み、反攻作戦の準備もほぼ片付いたので数日中に本格的に始まるだろう。


 ……だが妙だな。


 こうなるまでチャリオルト側に全く動きがないのが気になる。

 国境に戦力を展開している風でもないし、防備を固めているようにも見えない。

 何を企んでいる?


 ぱっと思いつくのは誘い込んでの奇襲だが、アラブロストル側もそんな事は百も承知だろう。

 実際、山に入れば地の利は完全に向こうにあるが、同時に後がなくなるとも言える。

 先行しようかとも思ったが、これは連中を先に行かせて安全を確認してからの方が良いかもしれんな。


 それに――


 やはりと言うべきか、微かだが風に乗ってあの臭いが流れ込んで来る。

 純粋な臭いだけではないので、鼻をつまんでも効果がない。

 間違いなく嗅覚以外にも作用しているので防ぎようがないのだ。


 そして最大の問題は目視できるとは言え、国境からそれなりに距離があるにも拘らずにこれだ。

 国境の向こう側はどうなっているか想像もしたくないな。

 正直、臭いがきつすぎて近寄る事に躊躇いを覚えるほどだ。


 そこでふと気になった。

 俺はこの有様だがサベージはどうなのだろうかと。

 聞いてみると臭いと返って来た。 どうやらサベージも俺ほどではないが影響を受けているようだ。

  

 まったく、これでは先が思いやられるな。

 辺獄の時も大概だったが、今回はそれに輪をかけて行く事に抵抗があるが……。

 放置が不味いと言う事は十二分に理解しているので行かないという選択肢がないのだ。


 出来る事といえば山の奥地にいるであろう、カンチャーナとか言う奴をさっさと片づけられるように動くぐらいか。

 状況が動くまであと数日。 待つ事は苦じゃないつもりではあったが、この嫌な臭いに晒され続けるという事を考えると長い待ち時間になりそうだ。

 

 俺はそう考えて小さく溜息を吐いた。




 数日後。

 予定通りに状況が動き出した。

 アラブロストル側は性懲りもなく追加の魔導外骨格を前面に押し出しつつ、随伴する形で冒険者達が移動しているのが見える。


 恐らくいざとなったら魔導外骨格を盾にするつもりなのだろう。

 アラブロストル側も頑なに魔導外骨格を推している理由はここらで戦果を挙げておかないと不味いと考えているからだろう。


 そして最後尾には銃杖装備の歩兵が居た。

 まぁ、分かり易い配置ではあるな。

 俺はちらりとアラブロストルの戦力の左右に別れて布陣しているグノーシスの連中へと目を向ける。


 こちらも随分と分かり易く変化していた。 

 まずは聖騎士が一人もいない。 全員が聖殿騎士だ。

 それを見て俺はなるほどと思った。 誰か知らんが指揮を執っている奴は事態をかなり正確に認識しているようだ。


 チャリオルト側と戦って連中の様子が普通じゃないと判断し、その症状の原因に当たりを付けたのだろう。

 権能は聖殿騎士の白の鎧や魔法道具で抵抗する事は可能だ。

 教団謹製の白の鎧は魔法への防御に関してはその辺の護符などと比較しても優秀なので大抵の魔法は弾くだろう。 それを見越して聖騎士を排除した判断は正しいと言える。


 戦力は減るだろうが無駄死にする人間を大きく減らせるし、役に立たなくなる可能性を考えるのなら始めから連れて行く必要もないと割り切ったのだろう。

 何人か鎧の形状が違う奴が居たが、間違いなく指揮官である聖堂騎士だな。


 ……そうなると……。

 

 恐らく対策を碌にしていないであろうアラブロストルの連中は不味いのではないだろうか?

 一応、ディビルに<交信>で確認を取ると、グノーシス側から忠告されたらしいので、急ぎで用意した護符や魔法道具を配ってはいるようだ。


 急な話だったので即席品や低品質の物も混ざっているらしく、効果があるかは怪しいとの事。

 グノーシスはそれを察しているのか微妙に距離を取っている点も不味いのではないのだろうかという懸念に拍車をかけていた。


 そんな事を考えている内に先鋒が国境を越えて連中の領土へと踏み込む。

 俺は視力を強化して連中の動向に注意を払う。

 しばらくの間は特に問題はなかった。 異変は全軍が国境を越えて完全にチャリオルト側に入った頃に起こった。


 突然、連中が仲間割れを始めたのだ。

 特に驚きはなかった。 正直、そうなるよなといった投げ遣りな感想が脳裏に浮かぶ。

 正気の奴とそうでない奴の違いは明白だ。 前者は体の一部――要は身に着けた魔法道具や護符が光を放っており、後者はそれがない。


 恐らく負荷に耐え切れず壊れたのだろう。

 それで敵の術中に嵌まって仲間を襲い始めたと。

 精々、行動不能になるぐらいと考えていたが、あそこまで直接的な行動を取らせることができるとはすさまじいな。


 ……やはり権能で間違いないのか?


 そう考えるが腑に落ちない点もいくつかある。

 今しがた使ったという感じではなく、明らかに常時使いっぱなしで垂れ流しているようにしか見えない。

 ならどうやって維持しているのかが問題だ。


 頻度はそう多くないが俺自身も使っているから良く分かる。

 権能はトリガーに魂を要求されるがそれ以上に維持に魔力をかなり喰う。

 それを長期間にわたって維持し続けるなんて芸当が果たして可能なのだろうか?


 考えてみたが少なくとも俺には無理だ。

 定期的に何らかの方法で魔力の補充さえできればできなくはないが……。

 はっきり言って現実的じゃない。


 視線の先では盛大な仲間割れが始まっていたが、グノーシスは介入しない。

 そんな事よりももっと警戒すべき事があるからだ。

 そしてその判断は正しかった。 山手から大量の足音。


 少し間を空けて敵の軍勢が――あぁ、なるほどそう来たか。

 向かって来た連中は兵士でも何でもない民や子供、老人等の非戦闘員ばかりだった。

 そいつらが正気を失った様子で手に粗末な武器や農具を携えて進軍してくる。


 やがて充分に近づいた所で先頭の歩調が早まり――全力疾走に変わった。

 聖騎士達は現れた軍勢の姿に動揺を見せたが、即座に立て直すと前に出て迎え撃つ構えを取る。

 各々武器を――おや、剣を抜かずに鞘に収まったまま構えているな。


 どうにかして無力化する気のようだ。

 果たしてそんな甘い考えが通用するのだろうか?

 見ている先で両軍の距離が徐々に縮まり――激突。


 こうして本格的な戦闘は始まった。 

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