第304話 「心労」

 ここ最近、ただでさえ酷かった胃痛がさらに悪化した。

 ついでに抜け毛も増えて生え際が後退した。

 しくしくとすすり泣くように痛む腹をさすりながら俺――エルマンは頭を抱える。


 ……俺って人生詰んだんじゃないか?


 話は少し遡る。

 俺が教団本部で鬱陶しい聞き取りを終え、帰る途中の事だ。

 クリステラから連絡があった。


 それだけなら珍しい事もある物だと思うだけで済んだだろう。

 問題はその内容だ。

 背信者になったから匿って欲しい。


 正直、聞いた時は耳を疑ったが、話を最後まで聞くと納得すると同時に胃がキリキリと痛みだす。

 聞けばクリステラはあの後、自分を見つめ直す為にゲリーべへ里帰りをして、そこである事件と出くわした。

 簡単に言うと、グノーシスが非合法に行っていた人体実験だ。


 それも引き取った孤児を使っての。

 

 ……有り得ん話ではないな。


 スタニスラスがやった廃棄されたはずの天使召喚なんて技術が裏で使われているんだ。

 何かしら大っぴらにできないような事をやっているんだろうなとは思っていたが、人体実験とは恐れ入る。

 日頃から敵視しているダーザインと全く同じ事をやっているんだからな。


 上の正気を疑いたい所だが、俺には関係ないので知らん顔するのが無難だが、そうもいかなくなってしまった。

 問題はクリステラがそれを知って、殺されかけた子供を救出した事だ。

 そしてその子供をそのまま連れて逃げたらしい。


 ……なるほどと納得する。


 そんな事をすれば色々でっちあげられて背信者扱いされるだろうよ。

 本音を言えばそうかといって適当に相手をした後、全てを忘れて知らん顔をする所だが、そうもいかない。

 クリステラが捕まれば俺の吹いた法螺がバレてしまう。


 そうなれば罰を受けた上でオラトリアムへご案内だ。

 あんな行けば確実に死ぬような魔境に誰が行くか。

 結局、俺に残された選択肢は全力でクリステラの背信行為の片棒を担ぐしかなかった。


 取りあえず、足の付かない個人的な縁故コネクションを使って隠れ家と当面の生活費などを用意して、クリステラとその保護したという子供に便宜を図ったが……。

 いつまでも一所に置いてはおけないので、結局はその場しのぎだ。


 実際、隠れ家の近くを嗅ぎまわっている連中を見たと連絡があった。

 かといって足が付き辛い拠点はそんなに用意もできない。 

 そうなると俺の取れる手段は一つ。


 ――手元に置く事だ。

 同じバレるのならすぐに分かるようにしておきたい。

 最悪、俺もお嬢さん方と仲良く逃亡生活か。


 はははと乾いた笑いが口から零れる。

 路銀を送っておいたので、届くと同時に二人は王都に向かう手筈になっていた。

 移動時間などを考えると後、数日といったところだろう。


 場所も偽造した身分証を添えて教えておいたので、あのお嬢さんなら間違いなく上手くやる。

 そんな事を考えながら帰宅。

 王都のやや外れた場所に建っている、一戸建てで地上二階地下一階の三階建てだ。


 幸か不幸か聖堂騎士なので金だけはある。 その為、こうしてあちこちに家を持っているのだ。

 定期的に人を掃除にやっているのでそこまで荒れてはいない。

 特に王都は訪れる機会が多いので、多めに投資しておいたから俺の持っている家の中でも立派な方だ。


 門扉を通り、中に入ると腰の魔法道具が小刻みに震える。

 俺はやれやれと腰の短槍に手をかけた。

 見た目は装飾品だが、家に侵入者があった場合はこうして反応を示す。


 警戒しようとして――止めた。

 足跡を見れば正面から堂々と入っているからだ。

 それに何故か馬が家の近くで繋がれて庭の草を食んでる。


 何故、馬がいるのかは知らんが、誰が来たのか察しは付いた。


 ……思ったより早かったな。


 家の中に入ると同時に両手を上げる。


 「一応、俺の家なんだがな?」


 そう言うといつの間にか喉の辺りに突き付けられた剣の切っ先が下ろされる。

 

 「失礼しました」

 「気にしてねえよ。 ……ともあれ、元気そうで何よりだ。 久しぶりだなクリステラお嬢さん」

 「お久しぶりです。 エルマン聖堂騎士」


 剣の持ち主――クリステラが鞘に納めながらそう言った。



 

 「到着はついさっきってところか?」

 「はい。 イヴォンを早めに休ませてあげたかったので、少し急ぎました」 


 場所は変わって応接間。

 俺とクリステラは机を挟んで向かい合う形で座っていた。

 一応は客なので茶を出してやったが、口を付ける気配はない。


 「察するにイヴォンっていうのは保護した子供の事か?」

 「はい。 今は上の客間で寝かせています。 勝手に使って申し訳ありません」


 そう言って頭を下げるクリステラに俺は手を振って気にするなと伝える。


 「さて、詳しい事情を聞こうか? 取りあえず、上がゲリーべで人体実験やらかしていて、実験に使われそうになった子供を保護したってところは聞いたが――結局、あそこに居た連中は全員グルだったのか?」

 「……いえ、恐らくですが、エルンスト聖堂騎士とヴィング聖堂騎士は何も知らなかったようです」

 「あの二人はって事は、残りは全員真っ黒か」


 クリステラは小さく頷く。


 「少なくともあの場に居たアラクラン聖堂騎士と修道女サブリナは間違いなく関与しています」

 「……どっちも面識はないが、確かアラクランは"異邦人"だったな」


 俺の記憶によればコルト・アラクランと他の二人もそうだったはずだ。

 異邦人――スタニスラスの話だと、連中は全員が人外の化け物。

 そこでふと思う。 クリステラは連中の正体について知っているのか?


 「聞きたいんだが、異邦人の正体。 どこまで知っている?」

 

 ゲリーべで接触したというのなら少なくともその正体の片鱗に触れているのかもしれない。

 だが、その答えは意外な物だった。


 「異邦人。 異邦から来た異形の人と聞き及んでいます」

 「異邦?」

 

 異形の人? つまり連中は魔物ではなく元々人間だった?


 「はい。 以前、修道女サブリナから聞いた話になるのですが、彼等はこことは別の異なる世界から落ちて来た・・・・・と……」

 

 落ちて来た?

 人が異形と化したのではなく全く異なる場所から現れたと。

 今一つ理解できんが、悪魔や天使なんて異界の存在が幅を利かせているのだ。


 そんな訳の分からん連中が居ても不思議でもないか。

 

 ……というか、このお嬢さん知っていたのか。


 そんな事ならオラトリアムで事情を話していればよかった。

 少なくともこのお嬢さんが協力してくれていればマルスランもあんな事には…。

  

 ……いや、済んだ事だな。


 余計な考えを頭から追いやる。

 

 「なるほど。 そりゃ出自や姿を隠す訳だ」


 胡散臭い所から降って来たのか湧いて来たのか知らんが、執拗に探している理由の一端が垣間見えた気はする。


 「ところでお嬢さんは上が連中の同類を執拗にかき集めている理由は知っているのか?」

 「いえ、私は知らされていません」

 

 サブリナって女については面識がないので良く分からん。

 何を考えてクリステラに異邦人の事情を話したのかは知らんが、少なくとも碌な理由じゃないだろうな。

 

 「こちらから伺っても?」

 「あぁ、なんだ?」

 「ゲリーべについてです。 私達は身を隠す事に精一杯で、情報に疎くて……」

 

 少し迷ったが隠しても意味がないと思い、素直に吐き出す事にした。


 「俺の聞いた話では、ゲリーべは魔物の群れの襲撃を受け壊滅。 駐屯していた聖騎士達は奮戦するも敗走。 聖堂騎士のエルンストは何とか生還したが、ヴィングは死亡。 アラクランと孤児院の責任者だったサブリナは生死不明。 だが、街の様子を見る限りは絶望的だそうだ。 現在は遠巻きに取り囲んでおり、そう遠くない内に奪還作戦――『聖地奪還レコンキスタ』を行うそうだ」

 「被害状況は?」

 「街はほぼ全焼。 何が起こったのかは知らんが、街を切り裂く光を見たと言う話も聞く。 竜が出たなどと騒ぐ奴も居たが、俺も現地を見ていないからその辺は分からん。 ただ、生き残りは全部で十人居るか居ないかと言う話だ。 後はお前も知っているかもしれんが魔物が蔓延る魔窟と化したんだとさ」

 

 正直、その光とやらも眉唾物だ。

 確かに話に聞いた竜の吐息ならそれぐらいやってのけるかもしれんが、連中は希少種で、そう簡単に人前に姿を現さん。


 そもそもウルスラグナでは居るとされている場所は限られている。

 間違ってもあの近辺にはいるはずはない。

 ましてや連中の気位の高さを考えるのなら魔物を連れて――いや、操られているという線もあるか?


 「……だが、現在はそこまでの騒ぎになっていない。 お前さんも道中噂を聞かなかっただろう?」


 クリステラは同意するように小さく頷く。


 「どうも情報に規制をかけているらしくてな。 現地に居る人間以外はあそこで何が起こったのか知っている奴はほとんどいないと言って良いだろう」


 実際、俺も向こうに居る古い友人にこっそり情報を流して貰ってようやくここまで知る事が出来たのだ。

 あの様子だとデトワール領の出入りや情報の漏洩は禁じられ、片が付くまではそれは続くだろう。


 「さて、次は俺が聞く番だ。 逃げる途中――いや、炎上する様もみたんだろう? その辺を聞かせて貰ってもいいか?」


 こちらから出せる情報は一通り出した。

 次は俺が聞く番だな。


 「……あれは私がイヴォンを連れ出そうとした所ですが……」


 クリステラはぽつぽつと語り出した。 疲れてはいるようだが、調子は取り戻したようだ。

 内心で良かったと思いつつ、厄介事を持ってきやがってと嘆息。

 そんな事を考えながら話に耳を傾ける。


 クリステラの話だが、実験に使われそうになった子供を助け出し、戦闘を行いながら外まで逃げると他の連中に包囲されてしまう。

 だが、その時に乱入する者が現れた。


 「……姿は魔法で隠蔽していたのではっきりとは言い切れませんが、恐らくムスリム霊山で戦った敵です」


 ……何?


 唐突な展開に思わず驚く。

 おいおい。 雲行きが怪しくなってきたぞ。

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