第290話 「決別」

 逃げ切るのは無理か。

 そう悟った私――クリステラは行先を変えた。

 目指す先は広場だ。


 この時間は人も居らず、巻き添えを出す心配もない。

 広場の中心で足を止めて抱えていたイヴォンをそっと下ろす。

 

 「クリステラさま……」

 「大丈夫です。 見ていてください」


 振り返ると間を置かずにエルンスト、ヴィング両聖堂騎士が追いついて来た。

 少し遅れて聖殿騎士、聖騎士達が雪崩れ込んで来る。

 修道女サブリナとアラクラン聖堂騎士の姿はない。

 

 どうやらあの者の相手をしているようだ。

 

 ……だが、何故……。


 この場にあの者が現れたのかが分からない。

 内心で首を振る。 理由は不明だが、好機には違いない筈だ。

 お陰であの場は切り抜けられた。 そして、生き残る目も見えている。


 今はそれで充分だ。


 「クリステラ聖堂騎士! 諦めてください! どうか投降を――」


 エルンスト聖堂騎士の懇願に近いそれを首を振って断り、無言で剣を抜く。

 

 「私には私の事情があります。 そしてそれはどれだけ言葉を重ねてもあなた達には届かない」


 聖堂騎士は背信者を許さない。

 少なくともかつての私はそうだったし、それを当然だと思っていた。

 言葉は意味がない。 背信と定められた者は何をしても許されないからだ。


 「……あくまで押し通ると言う事ですか……」

 

 エルンスト聖堂騎士はやや俯いたが覚悟を決めたように顔を上げ、戦槌を構える。

 完全に迷いは消えたようだ。 恐らく本気で殺しに来る。

 隣のヴィング聖堂騎士は初めから私を許す気は無く、射殺すような殺気が面頬から漏れていた。


 「イフェアス、決して油断はせぬよう」

 「当然だ。 腐っても天才と呼ばれた聖堂騎士、油断はない」


 ヴィング聖堂騎士が弓のように剣を引いたかと思った瞬間、私は横に飛ぶ。

 一瞬で間合いを詰めた彼の突きが通り過ぎた。

 やはり速い。 私も余計な思考を閉ざして敵に集中する。


 ヴィング聖堂騎士は突きが躱された事に動揺せずに更に突きを繰りだす。

 確かに速いが腕の動きを見れば狙いは分かる。 見切るのはそう難しくない。

 

 ――彼が一人の場合はだ。


 回避と攻撃の隙間を縫うようにエルンスト聖堂騎士の戦槌が唸りを上げて襲い掛かってくる。

 数撃躱した所で牽制を兼ねて斬撃、ヴィング聖堂騎士は受けずに回避を選択。

 次にエルンスト聖堂騎士へ突きこむ。


 彼女も後ろへ飛んで回避。

 

 ――受けない。

 

 その事実に内心で頷く。

 頭の中では二人に対する戦力分析と評価が八割がた完了した。

 この二人は連携を用いての戦闘に慣れ過ぎている。


 細かく動いて可能な限り隙を作らない、見た目に寄らず堅実な攻めのヴィング聖堂騎士だが、相方に寄りかかる事で精神的に余裕を作っているのが良く分かる。

 ならば。


 強引に間合いを詰めてエルンスト聖堂騎士の懐に入る。

 ヴィング聖堂騎士が攻撃を躊躇。 私が二人の間に入った事で、攻撃の軌道上にエルンスト聖堂騎士が入ったからだ。


 「……っ!」


 エルンスト聖堂騎士は至近距離の私に対して掴もうと手を伸ば――す前に喉を狙って揃えた指を叩き込む。


 「か、は……」

 

 反射的に腰を折る彼女の兜に手をかけて抜き取り、その動作のまま兜を後ろのヴィング聖堂騎士に投げつける。

 相方の負傷に動揺したヴィング聖堂騎士は躱せずに咄嗟に剣で打ち払う。


 その瞬間には私はもう間合いに彼を納めていた。

 

 「――しまっ……」

 

 一閃。

 反応できたのは流石だが、私の斬撃に対して回避と言う選択肢を取っている時点で、浄化の剣と鍔迫り合いが出来ないと言う事を証明したような物。


 剣ごと彼を切り裂いた。

 光を纏った剣が鎧ごと彼を斜め下から袈裟に線を刻み、半ばから断ち切られた彼の武器が宙に舞う。


 「イフェアス!」

 

 立て直したエルンスト聖堂騎士は相棒の名前を呼びながら向かって来ようとしたが、私は蹴りを一閃。

 狙いは彼女ではない。

 私のつま先は落下中だったヴィング聖堂騎士の折れた刃を捉え、エルンスト聖堂騎士の額を狙って飛ぶ。


 「……なっ!?」

 

 腕で刃を弾く。 だが、遅い。

 一動作分の隙があれば私には充分だ。

 剣を振るう。 狙いは胴体ではなく肩で、顔を庇った彼女に反応もできる筈もなく。


 戦槌が腕をくっつけたまま地に落ちる。


 「あ、が……ぁ、ぐ……」


 傷は焼けているので出血はないがエルンスト聖堂騎士は激痛に残った腕で肩から持って行かれた部分を押さえて蹲る。

 同時に斬られた痛みで意識を失ったヴィング聖堂騎士がどさりと倒れた。


 私はとどめを――刺そうとしたが首を振って否定。

 目的はあくまでイヴォンを助ける事、その為に必要であれば殺生もいとわないと決めたが、しなくて済むのならそれに越した事はない。


 「……とどめを――刺さないのですか……?」


 脂汗をかきながら傷口を押さえて蹲ったエルンスト聖堂騎士がそう言う。

 

 「私はあくまで彼女の命を救う為に動いたまでです。 あそこで行われている事に貴女が関わっていないのなら――何が起こっているのかを知って自らの信仰と正義に問いかけてください。 真に正しい行いとは何かと」

 「……それが、貴女の……事情ですか?」


 私は答えずに剣を鞘に納める。 

 周囲の聖騎士達は遠巻きに囲むだけで動かない――いえ、動けないのか。

 踵を返した私の背に声がかかる。


 「やはり、貴女とは――もっと早くお会いしたかった」

 「私もです」

 「立場上、言ってはいけないのですが、幸運を……」

 「ありがとうございます」

  

 この様子だとエルンスト聖堂騎士は何も知らなかっただろう。

 もしかしたら良き友人になれたかもしれないと考えると残念だ。

 私は呆然としているイヴォンを抱き上げると、走りますよと囁いてその場を後にした。

 


 

 「クリステラさまは聖堂騎士だったのですか?」


 走っていると不意にイヴォンがそう言ったのが聞こえた。

 気が紛れるならばと私は積極的に会話に乗る。


 「そうですよ。 ……とは言ってもこの様子では廃業でしょうけどね」

 「それは――その……」


 イヴォンの声が沈む。

 しまった。 冗談のつもりだったのに落ち込ませてしまった。

 どうすれば――分からない。


 「冗談ですよ」


 笑ってごまかす事にした。

 

 「言っては何ですが、これは私が選択した事であって貴女はただの切っ掛けに過ぎません。 ですから気にする事はありませんよ?」


 そう言うとイヴォンは自嘲とも苦笑とも取れる曖昧な笑みを浮かべた。

 

 「この後は一体……」

 「まずはこの先に厩舎があるので、馬を奪います。 後は……り、領を出てから考えましょうか?」

 「そ、そうですか……」


 イヴォンの目が困ったように泳ぐ。

 なんと言うか疑われているのは良く分かった。


 あの、私だって何の考えもなしに動いては居ませんよ?

 こう見えても当ては――まぁ、ありますから……。

 後ろを振り返る。 追手は来ていない。


 指揮を取っていた聖堂騎士が倒れたので、恐らく指示を仰ぐ為にアラクラン聖堂騎士辺りにでも連絡をしているのだろう。

 崩れている今が好機だ。


 到着した厩舎には馬が数頭繋がれていた。

 出来れば距離を稼ぎたいので体力のありそうなのがいい。

 どれにするかは一目で決めた。


 一番奥に居た、最も巨大な馬だ。

 赤茶色の体毛に、額には角を折った痕が複数。

 鞍は近くに置いてあったのでそれを付けて外に出す。


 しっかりと仕込まれているようでこちらの誘導に素直に従った。

 鞍もそうだけど随分と立派な馬だ。

 もしかして誰かの私的な馬なのかもしれない。


 持ち主に少し心当たりがあったが、今は非常時だ。ありがたく頂こう。

 跨った後にイヴォンを引っ張り上げて乗せる。

 さぁ、出発という所でイヴォンを残して馬を下りた。

 

 「クリステラさま?」

 「動かないで下さい」


 私の視線を追ってイヴォンが小さく息を呑む。

 足音が聞こえたからだ。

 現れたのは――。


 「……クリステラ様」


 ジョゼだ。

 彼女は様々な感情が混ざったような何とも言えない表情で私を見ている。


 「どうしてですか? どうして背信行為なんて――あたし達を裏切るような真似を……」

 

 彼女の言いたい事は良く分かる。逆の立場なら似たような事を言うのかもしれない。

 申し訳ないとは思うが、どうあっても押し通る。


 「グノーシスの在り方に疑問が生まれました。 裏でやっている事を知ってしまった以上、今までのように聖堂騎士として戦う事はできません」

 「疑問!? 主は正しい。 それ以上の何が必要だというのですか!?」

 「その結果、幼い子供達の命が無為に散らされているとしてもですか?」

 

 ジョゼの視線がイヴォンに向く。

 殺意すら籠ったそれを受けてイヴォンが怯えるように身を竦ませる。

 私は視線を遮るように移動。 立ち塞がる。


 「主が死ねと言ったのでしょう!? ならその娘は死ぬ定めだったに決まっています! それを阻む貴女こそ主に背いています! 間違っています!」

 「主が死ねと言えば死ぬ? 私はそうは考えません。 主に殉じた結果の死であれば悲しみはしても受け入れましょう。 だけど、強要された死を押し付けるのを私にはそうですかと言って受け入れる事はできません」

 

 信仰に殉じた者は死を覚悟しているからだ。

 それを無理に助けようとするのは彼等の覚悟に泥を塗る行為だろう。

 だから、聖騎士の死はその結果だと私は今でも信じている。


 後ろで震えているイヴォンの事を考えた。

 覚悟も主に仕えている訳でもない彼女が理不尽に死ぬのは間違っている。

 そう考えたからこそ私は動けた。


 私の意志が固い事が伝わったのか、ジョゼは泣き笑いのような表情になり剣を抜く。


 「止めなさい。 今の貴女では私には勝てない」

 「クリステラ様ぁ……。 あなたはそこの子供に騙されているんですよぉ……。今、あたしが正気に戻して差し上げますからねぇ……。 そうじゃないのなら何のためにサリサが……」


 涙をぼろぼろと零しながら、ぶつぶつと何事かを呟いて剣を構える。

 その痛ましい姿に胸が痛むが、努めて気にしないようにして剣を抜く。


 「あああああああ!」


 意味を成さない叫びを上げながらジョゼが斬りかかって来る。

 勝負は一合で済んだ。

 私の一閃で彼女の剣は半ばから断ち切られ折れた刃が宙に舞う。


 澄んだ音を立てて折れた刃が石畳に当たる。

 同時にジョゼが膝から崩れ落ちた。

 彼女は俯いてぶつぶつと何事か呟いていたが、戦意はなくなったようだ。


 私は踵を返して馬へ向かう。

 

 「――お願いします……。 行かないで下さい……」


 跨った所でか細い声を耳が拾ったが、私はそれに答える術を持たない。

 馬を走らせて脇を通り過ぎる。

 ジョゼは最後まで俯いたまま動く事はなかった。

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