第282話 「巣立」

 孤児院の朝は騒がしく始まる。

 理由は簡単。 元気な子供達が騒ぐからだ。

 早起きをした子達がまだ寝ている子達を起こして、次々と朝食の席へと着くのが見えた。


 それに混ざって私――クリステラも席に着く。

 隣の席にはジョゼが座っており、私に何か言おうとしているが結局、黙り込んでしまった。

 それを見て申し訳ないと思うが、今の私には何も言えない。


 信仰に迷いを抱いてしまった私には。

 修道女サブリナは好きなだけ居てもいいと言ってくださったので少しだけ厚意に甘える事にしたのだ。

 世話役の神父や修道女達が配膳を行い、全員に食事が行き渡った所で皆で祈りを捧げ食事を取る。


 この食事も信徒達からの貴重なお布施で賄われているのだ。

 感謝して頂かねばならない。

 周囲を見ると子供達は綺麗な所作で食事を取っているのが見える。


 この辺りは修道女サブリナの教育方針の賜物だろう。

 どこに出しても恥ずかしくない立派な人間として正しく育てる。

 彼女は常々そう言っていた。


 今も昔もそれを実践しているようだ。

 子供達の様子を見ると、教育者としての彼女には尊敬の念しか浮かばない。

 その後、食事が済むと清掃になるのだが、今日は普段と違った。


 修道女サブリナが立ち上がり、皆に注目するように促した。

 その場の全ての意識が彼女に集まる。

 修道女サブリナは大きく頷くと良く通る声で話し始めた。


 「皆、今日は祝うべき日です。 イヴォンが近日、ここを巣立って行く事が決まりました」


 皆の注目が一ヶ所に集まる。 

 そこには髪を長く伸ばした少女が居た。

 髪で隠れて表情が見えないが体の震えから大きく動揺しているのが分かった。

 

 巣立ち。

 この施設はあくまで孤児院。 孤児を一時的に保護し、育てる場所だ。

 つまりは里親が見つかれば引き取られると言う事もある。


 こういう話はそう多くはないが、稀に話が持ち上がる。

 里親の対象はグノーシスの信徒で一定以上の財力や身分を持つ者で、教団による厳しい審査があるという話も聞く。


 子宝に恵まれなかった商人や跡継ぎを欲しがっている者など、優秀な子供を欲しがる者は少なからずいる。

 実際、私がここに居た頃も何人かが引き取られて行った。


 ……あの子達は今頃どうしているのだろうか……。


 特に親しかったわけでもないので連絡を取ろうという気は起こらなかったが、ふとそんな事を考えてしまった。

 その場の全員がイヴォンと呼ばれた少女に拍手を送っているのに合わせて私も小さく手を叩く。

 イヴォンは表情が見えない所為で何を思っているのか分からないが小さく体を震わせているのが見えた。


 私はその反応に訝しみながらも途切れるまで周りに合わせて拍手をしていた。





 その後は予定通り清掃を行い、昼までの自由時間になった。

 裏庭の開けた場所で活発な子供達が走り回り、隅では大人しい子供達が本を読んでいたりする。

 定期的に語学や算術の授業を行うので識字率は高い。


 窓から中を覗くと一室で昼寝をしている子供達の姿が見えた。

 あどけない寝顔を見て少し心が和む。

 私はそのまま裏庭を通り、巡回の聖騎士に挨拶して一人当てもなく歩く。


 ジョゼは街に買い出しに行くと言っていたので、今は別行動だ。

 しばらくそうしていると視界の端に何かが動くのが見えた。

 植え込みが不自然に動いたのだ。


 ……?


 不審者? 有り得ない。

 塀の周囲に設置されている魔法道具は接近した物を感知する機能がある。

 塀を越えるのは難しい。 そもそもこの領自体が出入りに対して厳しいので怪しい人間はそう簡単に入れない。


 私は訝しみながらも剣に手をかけつつ、植え込みを覗き込む。

 同時に何かが飛び出して、脇をすり抜けようとしたが進路に割り込んで捕縛。

 そのまま抱きかかえる。


 「ヒッ! い、いや!? 放して!」


 捕まえた何かはよく見ると子供で、さっき見たイヴォンと呼ばれていた少女だ。

 彼女は私の手の中で暴れていたが、振りほどけないと悟ったのかぐったりと動かなくなった。

 髪で顔が隠れてしまっているので表情は見えないが、怯えているのは伝わって来る。


 「安心してください。 何に怯えているのかは知りませんが、危害を加える気はありません。 これから下ろしますから逃げないでくださいね?」


 私は警戒を解く為に笑顔でそう伝えると、前髪に隠れた視線がこちらをじっと見つめる。

 しばらくすると頷いたので、彼女をそっと下ろす。

 イヴォンは私の方をじっと見つめたままだ。 表情は分からないが困惑が伝わった。


 「……あなたは誰? ここの人じゃないよ――ですよね?」


 声には探るような色がある。

 その反応に少し首を傾げながらも、特に隠す理由もないので素直に自己紹介をする事にした。


 「私はクリステラ。 クリステラ・アルベルティーヌ・マルグリット。 ここの出身で、今は休養を兼ねて里帰りに来ています。 貴女は?」

 「わたしはイヴォン。 イヴォン・トリエスタ・マルグリット」

 

 自己紹介を済ませると、多少は緩んだが警戒自体は解いていない。

 この安全な孤児院で何が彼女をそうさせるのだろう?


 イヴォンは意識こそ私に向いているが常に周囲を警戒しているようだった。

 それを見てますます妙だなと思い、少し考えてから――。


 「良かったら私の部屋で話をしませんか? 人もいないし静かですよ?」


 暗に周囲を気にしないで済むと言った事を匂わせるとイヴォンは頷いた。

 


 私に宛がわれた部屋は寝台と机があるだけの簡素な一人部屋だが、少し離れた位置にあるので人はあまり来ない。

 イヴォンは大人しく私に付いて来て部屋に入ると寝台に腰掛ける。


 私は机に備え付けられた椅子に座るとそのまま黙る。

 彼女が話を始めるまで何も言わない。

 少しの間、イヴォンは黙っていたが不意にぽつりと話し始めた。


 「お願いがあります。 わたしがあそこに居た事は誰にも言わないでください」

 「……植え込みの影に居た事ですか? そんな事で修道女達は怒ったりしないと思いますが……」

 「お願い、お願いします」


 そう言って彼女は頭を下げる。

 声には切実な物があった。

 分からない。 一体何が彼女にそうさせるのか?


 「見なかった事にするのは構いません。 ただ、事情を話して頂けますか?」


 普段なら分かりましたと返事をした後に内心で貴女の為ですと言って、修道女サブリナに報告していただろうが、今は何故か彼女の話を聞いてみたくなったのだ。

 自分で自分の行動に驚いたが、不思議と間違っているとは思えなかった。


 「……どうしても言わなければだめですか?」

 「できれば聞いておきたいのですが――勿論、貴女の話は私の胸の中だけに留めておきますよ」


 イヴォンは少し迷うような素振りを見せたが、小さく肩を落とす。


 「話す前に確認させてください。 あなたはこの施設の関係者ですか?」

 「……出身と言う意味では関係者ですが運営などには一切関わっていません」

 「出身と言う事は里親に引き取られたと言う事ですか?」

 「いいえ。 一定の年齢を越えたので聖騎士になりました」


 この孤児院には年齢制限がある。

 十五を越えると留まれないのだ。

 その為、引き取り手がなく十五の誕生日を迎えると聖騎士か聖職者への道を進む事が出来る。


 どちらに進むかは十一を越えると授業に盛り込まれる教義についての講義と、戦闘訓練の成績で決まり、優秀な成績を残した物は神学園への入学を許可され、質の高い教育を受ける事が可能となる。

 私は体術を高い成績で修め、神学園への入学を許可された。


 その後、数年で功績を積んで聖堂騎士にまで位を上げたが、学園に入らなければ今の地位には居なかったと断言できる。


 「……聖騎士さまなのですか?」


 イヴォンの表情には驚きと猜疑が混ざっている。 

 半信半疑といった感じだ。 そう考えて内心で苦笑。

 以前なら正しい事を言っているのだから相手は信じて当然などと思ったのかもしれない。


 相手の疑心を感じ取れるとは私も変わったなと自嘲する。

 

 「そうですよ。 こう見えても腕にはそれなりに覚えがあります」


 ぐっと拳を握って見せる。

 イヴォンは私をじっと見つめた後、小さく頷く。


 「これから話す事はあなたの胸に留めておくと主に誓えますか?」

 「勿論。 二言はありません」

 

 私が即答すると意を決したのか話し始めた。


 「私が里親に引き取られるという話はご存知ですか?」

 「ええ。 今朝の事ですね。 私もその場にいたので修道女サブリナの話は聞いていました」

 「恐らくですが、わたしは里親の元へは行かずに殺されてしまうと思います」


 イヴォンの口から出た言葉に私は小さく目を見開いた。

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