第276話 「愛娘」

 久しぶりに会った修道女サブリナは記憶にある物と変わらず、懐かしさが込み上げて来る。

 私――クリステラは少し嬉しくなって笑みを浮かべた。


 「それにしても急に訪ねて来るなんてどうかしたのですか?」

 

 要件を尋ねられて答えに窮する。

 正直、ここに来た事に理由は余りない、胸の内に渦巻くこの疑問。

 それに何かしらの答えを出しておきたい。


 修道女サブリナならあるいは――などと甘えた事を考えてしまい、ここマルグリット孤児院へ足が向いた。

 彼女は察したのか「少し歩きましょうか?」と促す。

 正直、考えを纏めたいので賛成だ。


 分かりましたと言って席を立つ。

 隣のジョゼが所在なさげにこちらを見ていましたが、今は余り傍にいて欲しくない。

 

 「ジョゼ、申し訳ありませんが外で時間を潰して貰っても構いませんか?」

 

 ジョゼは何か言いたげな顔をしていたけど、小さく頷いて退出。

 部屋から誰も居なくなった所で少し時間を空け、私と修道女サブリナは部屋から出て外へ。

 敷地内を少し歩いた所で声をかけられました。


 「何か悩みでもあるのではないですか?」

 「……分かりますか?」

 「えぇ、貴女は私にとっては娘も同然、子の事は母である私にはお見通しですよ?」


 そう言っていたずらっぽく笑う。

 私はその笑顔に釣られるように少しずつ話す事にした。

 

 「修道女サブリナ。 私には分からなくなってしまったのです。 正義の在り方が……」

 

 切り出すと修道女サブリナの眉がピクリと動いたような気がしましたが私は構わずに続けました。


 「あの時、襲撃を受けたムスリム霊山で私は貴女の言う異邦人エトランゼと思われる存在と遭遇しました」

 「彼等と遭ったのですか?」

 「ええ、恐らくですが……」


 あの異形。 アレは人と呼ぶにはおぞましすぎた。

 確たる証拠はないが、私は半ば以上確信している。

 アレこそが異邦人だと。


 「ダーザインの使徒ですか。 それはとんでもないモノと遭遇しましたね。 無事に済んだのは貴女の実力でしょう。 流石ですクリステラ――いえ、マルグリット聖堂騎士とお呼びするべきでしょうか? この孤児院を預かる身として鼻が高いです。 …参考までに聞いておきたいのですが、どのような姿をしていたのですか?」

 「仮面と外套で姿と体格を隠していたのではっきりと見た訳ではないのですが、形だけは完全に人型だったと……」

 「……完全に人型? それは本当ですか? 人型に近いではなく人型?」

 「ええ、少なくとも私にはそう見えました」


 戦いにおいて相手の体格を見定める事は重要だ。

 間合い、踏み込み、目線と体格から様々な情報を得る事が出来る。

 これでも目にはそれなりに自信があるので、外れてはいない筈だ。


 奇抜な動きや攻撃こそ多かったが、動きは人間のそれに限りなく近かった。

 少なくとも骨格は人間と同じなのは間違いない。

 

 「ダーザインに人型の使徒――なるほど、それは随分と変わり種ですね。 私も何名かの異邦人と会った事がありますが、完全な人型は見た事がありませんね。 どのような力を持っていたのですか?」


 私もその事を話したかったので好都合だ。


 「私自身、あの者の底を見ていないのであまりはっきりした事は言えませんが、まずは体を組み替える能力。 自身の骨格や一部を変化させて攻撃や身体能力の向上を行っていました」


 これは間違いない。

 至近距離で襲いかかってきて、私の首を絞めたのは恐らく骨だ。

 その後、急に攻撃に対する反応が上がったのも、眼球に何かを施した結果だろう。


 後は――。


 「記憶を見ま――いえ、見せられました」

 「……記憶?」


 私は雲のように掴み所のない記憶を手繰ってあの時の事を何とか思い出そうと足掻く。


 「はい、恐らくはあの異形の記憶と思われますが…妙なんです。 内容は夢のようで思い出せませんが、明らかに・・・・複数の人間の・・・・・記憶と思われる・・・・・・・物でした」

 「……もう少し詳しく話せますか?」


 そう言われて更に記憶を手繰る。


 「えぇ、確かあの時、私は剣を心臓に突き刺し内部からあの異形を焼き殺そうとしました」


 追い詰めたという手応えはあったが、私自身にも余裕がなかったので一気に勝負に出た。

 だからこそ、敵の迎撃を無視して捨て身で突っ込んだ。

 剣をその胸に突き刺して――そうだ、あの時……。


 思わず首の後ろに触れる。


 「首に何かを入れられた――と思うのですが……」

 「その直後に記憶が見えた?」

 「はい」

 「錯覚と言う事は?」

 「あり得ません。 音、匂い、感情まで思い出せる・・・・・物を私には否定できません」


 修道女サブリナは小さく息を吐いて納得したかのように頷きました。


 「なるほど。 貴女の愁いの原因が分かりました。 その見せられた記憶が貴女の思想と相反する物であり、結果として貴女の正義が揺らいでしまったのですね」


 的確に私の内心を突いた言葉だった。

 

 「……その通りです」

 「私では貴女に明確な回答を示す事はできません。 ですが、道を示す事はできます」

 「道――ですか? それは……」

 「その異邦人ともう一度相対すべきです。 貴女がその者に何をされたかは分かりません。 その記憶は幻の類かもしれないし貴女の言う通りかもしれない」


 修道女サブリナは足を止めて、真っ直ぐにこちらを見つめてきます。

 

 「その者を捕らえ問い質せばよいのです。 加えてその者に改心を促し、正道へと引き戻すのです」


 改心? あの者を?

 修道女サブリナには申し訳ないが、あの者は強固な意志と独自の哲学を以って行動しているように見える。 改心と言う言葉があの者と結びつかないのだ。

 恐らくだがあの者は私達人間に理解できない思考で動いているのではないのかと思う。


 勘に近いが、大きく外れていないと今でも確信している。

 異邦人。 異邦の人、少なくともあの者が人とは私には思えない。


 ……だが。


 修道女サブリナの言う通り、もう一度あの者と相見える事は私が前に進む上で必要なのかもしれない。

 この胸に渦巻く疑問に何かしらの答えが出る事は確かだろう。

 

 ……だが――。


 孤児院に目を向ける。

 あけ放たれた窓からは中の様子がよく見えた。

 子供達が修道女や神父達にグノーシスの教義について説かれている。


 ――どうしてもグノーシスの正しさの絶対を信じる事ができずにいる。


 疑念が落ちない染みのように消える事はなかった。






 ――素晴らしい。


 クリステラの隣で頬笑みを絶やさない女――サブリナはそう思った。

 彼女の役目は次代のグノーシスを担う若者を育てる事だ。

 中でもクリステラ――彼女がアルベルティーヌという名前を与えた娘は最高傑作と言って良い出来だった。


 主の定めた正義を愚直に守り、執行をする事に何の躊躇も覚えない優秀なだ。

 ――いや、だったと言うべきかと思い直す。

 サブリナは思う、この娘はもう駄目だと。


 久方ぶりに顔を見た瞬間に察した。

 何らかの事情で彼女の信仰に巨大な亀裂が走っており、会話した時点でもう修復は難しいと判断。

 その時点で、彼女の中で愛しい娘優秀な駒ただの娘失敗作に成り下がった。


 笑顔の裏でこの役立たずと冷笑し、適当な事を言って追い払おうと話を切り出そうとした時、失敗作はそれについて語り出したのだ。

 異邦人――彼等は自らを転生者と称する者達。


 それだけなら珍しくはあるがダーザインのお手付きなので処分対象と言うだけの話だ。

 目障りと枢機卿が判断すれば、裏から情報を得て対策を練って刺客が送られるだろう。

 だが、ムスリム霊山の襲撃は予定・・にあったのだろうか?


 そんな疑問が脳裏をよぎるがそれは自分が考える事ではないと思考を破棄。

 考えるべきは失敗作が遭遇したという異邦人だ。

 話を鵜呑みにするのならその者は記憶を見せる――いや、もしかしたら記憶を奪う事が出来るのかもしれない。


 そう考えるのなら失敗作が遭遇した事象にも説明が付く。

 素晴らしい能力だ。 手に入りさえすれば利用価値は計り知れない。

 尋問を始め、知識の完全な保存。 用途はいくらでも思いつく。


 記憶にどこまで干渉できるかも不明だが、干渉という行為が可能な時点で一歩踏み込んだ操作・・ まで可能かもしれない。

 優秀な駒クリステラを失った事は確かに痛手だが、壊れた駒に未練はないので、精々捕獲の役に立って貰おう。


 サブリナはそう考えて内心でほくそ笑む。

 だからこそクリステラに勧めたのだ。 もう一度会いなさいと。

 母を信じていた娘は母の思惑に気付かない。


 娘を見限った母は思う。

 最期ぐらいは役に立って下さいねと。

 血の繋がらない親子はその後しばらくの間、中身のない会話と言う行為に明け暮れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る