第263話 「嫉妬」

 妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい。

 羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい。

 

 自分にない若さや才能を持っているアスピザルが羨ましい。

 何故、自分はこんなにも無能で老いさらばえているのだ?


 遥かに頑丈な肉体を持つ転生者達が羨ましい。

 何故、自分の肉体は吹けば飛ぶような脆さなのだ?


 プレタハングと呼ばれた男は濁った瞳で街を見下ろしていた。

 彼の今いる場所はミスチフ水運の本部――その最上階だ。

 この街の中では最も背の高い建物で、一望とは行かないがかなり広い範囲を見る事が出来る。


 胸に渦巻く不快感が少しは薄れると思い、ここに足を向けてみたがどす黒い嫉妬心は薄れるどころか更に濃度を増す。

 全身から漏れる煙のようなオーラがそれに呼応するように濃度を濃くしていく。


 道を歩く男が羨ましい、女が羨ましい。

 自分より若い全ての人間が羨ましい。

 自分より幸せそうな連中全てが羨ましい。

 

 そして妬ましい。

 

 あぁ、不快だ。 どうなっている? そんな事よりも、不快だ。

 何はともあれ不快だ。

 プレタハングは街を見下ろしているがその視線は何も捉えておらず、視界はぐにゃりと歪む。


 思考の大半は妬み嫉みで満たされており、まともに物を考えられる機能はほとんど残されていなかった。

 何故なら妬みの思考に混ざってどこからともなく囁きが聞こえるのだ。

 

 ――妬ましいだろう? ――と。


 最初は力の副作用と無視していたが、段々とその声に逆らえなくなっていき、今では正しいとさえ思い始めている。

 プレタハングの中では声に従えという声と、跳ねのけろという思いがせめぎ合っていたが、後者の思いは時と共に少しずつ弱まっていくのを感じていた。


 このままではいけない、自分の存在に賭けてこの誘惑を断ち切らんと言う数十年にも渡る思いは――


 ――あっさりと嫉妬の海に溶けて消えた。


 残ったのはプレタハングと言う名の肉体のみで、その中身は呼び出された何かの衝動を満たす為の捌け口でしかなく、彼だった者はその衝動に身を任せて行動を開始する。

 部屋を出て目的の場所を目指す。 そう遠くはない。 何せ建物を出てすぐそこだ。


 廊下を無言で歩く。 少しすると近づく者が一人。

 彼の腹心だったアルグリーニという男だ。

 

 「首領、今後の方針を――」


 アルグリーニが言いかけた所で雰囲気の変化を察して足を止める。

 

 ――が反応が一手遅れた。


 プレタハングの影から伸びた細長い何かがアルグリーニの足に噛み付き、瞬く間にその体を同色の闇に染める。

 目を見開いたアルグリーニは悲鳴を上げる暇さえなかった。


 プレタハングはその脇を通って先へ進む。

 歩きながらその影からは細長い何かが千切れてはどこかに向かって行く。

 影でできた細長い何かは意思があるかの様に施設内を進み、生き物へと喰らいつくか、叶わずに空間に溶けるように消え去って行った。


 影の主は自らが放った物の成果に関心を示さず、ひたすらに外へ向けて歩を進める。

 建物から外に出ると、そのまま真っ直ぐに運河に向かう。

 プレタハングは流れる水面を少し見つめた後、そのまま運河へと身を投げた。


 着水。

 水柱が立ち、その姿が水中に消える。

 少しすると水面は落ち着きを取り戻す。


 ――そして水底から黒い何かがじわりと広がっていった。


 



 「どうか話を聞かせて頂けませんか?」

 「……まぁ、何と言うか、話は良く分かりましたよ」

 

 僕――ハイディは出された飲み物に口を付けながら目の前の聖殿騎士に目を向ける。

 あの後、僕はギルドに問い合わせてローが受けた依頼を教えて貰い、急いで現場に向かったけど流石に時間が経ちすぎており、話を聞いたがやはり彼は依頼を片付けて去った後だった。


 僕が今いるのはその現場。 グノーシスの教会、その一室だ。

 依頼人のエイデンさんはいきなり訪ねてきた僕に訝しみながらも対応してくれた。


 「えーと? ハイディさんはローのパーティメンバーで現在行方を追っていると?」

 「はい。 正直、少し前まで行方不明で、死んだとまで思われていました」

 「……それが少し前に王都にひょっこり戻って来た…か。 貴女はその足取りを追ってこちらまで来た」

 

 僕は大きく頷く。

 エイデンさんは考え込むようにうーむと低く唸る。

 

 「真面目な話、どう答えた物かと迷っています。 まず、貴女の身元ははっきりしている。 数がそう多くない赤の冒険者。 ギルドが保証している以上、それは絶対だ。 ローがここへ立ち寄った事を知ったのもギルドで聞いたから。 これも納得できる。 だけど、何故ロー自身が貴女に接触しようとしないのかが引っかかるんだ。 彼とはほんの僅かな付き合いだが、義理もあるのでね。 貴女が彼にとって害のある存在である可能性がある以上、簡単に話せないと言う事も理解してほしいのですよ」


 エイデンさんの言う事は簡単だ。

 納得する理由を話せと言う事だろう。

 逆の立場でも似たような事を言うかもしれないから、特に不満には思わない。

 

 ……とは言っても、僕が彼を探す事にやましい事情なんてない。


 なら、包み隠さずに正直に話す事が大事だ。


 「分かりました。 事情をお話しします」


 僕は包み隠さずに全て話した。

 王都で起こった事件、ローがそれに巻き込まれたらしくそれ以降、姿が見えなかった事。

 待つために王都に留まった事、待つ事に少し疲れを感じてた頃にギルドに彼が現れた事。


 ローに姿を消した事を尋ねたいだけの一心でここまで来た事。

 全てを話し終えた頃には随分と時間が経ってしまった。

 黙って聞いていたエイデンさんは小さく頷く。


 「少し質問しても?」

 

 僕はどうぞ頷く。


 「聞いた限りではローの正確な行先は把握していなかった。 そうですね?」


 頷く。


 「何故ここだと?」

 

 質問の意図が分かったので、自分の考えを素直に伝える。

 彼の行動が依頼かそうでないかの両面で考え、先回りした事を。

 南下している事は分かっていたので最南端の目を引く場所で待てば来るかもしれないと。

 

 ……まさか、先に到着されているとは思わなかったけど……。


 「なるほど。 それでここを目指したと――一応、筋は通るか」

  

 エイデンさんは少し考え込むように俯いて、顔を上げる。


 「分かりました。 お話ししましょう。 ただ、少し時間を頂くが構いませんか?」

 「時間?」

 「ええ。 今日――は少し遅いようだし、明日の朝にでも彼が宿泊している宿に向かい貴女の事を話します。 その際に彼が伝えても構わないと言えばお教えしましょう」

 「……お願いします」


 僕に異論はない。

 彼の本心を聞きたい気持ちは勿論ある。

 ただ、彼が僕を避けているのなら――いや、それでも……。


 どちらにせよ情報を出す出さないはエイデンさんとローの交渉次第だ。

 

 「話し中にごめんね。 飲み物――って話し終わった?」


 唐突に入って来たのは部分的に改造した白の鎧を身に着けた女の人だ。

 わ、凄い美人さんだ。

 

 「冒険者のお客さんなんて珍しいね。 それともまた、エイデンに依頼されて来たの?」

 「ちょ、ちょっと、今回はローの時と違って依頼じゃないよ――」

 

 彼女が入ってきた途端、エイデンさんの表情が緩む。

 何だか気安い感じと雰囲気で何となく察した。

 彼女さんか何かなのかな?


 「――姉さん」


 ……ん?


 今、何か予想外の単語が耳に入ったような……。

 確かによく見れば顔つきに似た感じが見受けられるけど、僕の気にし過ぎかな?

 仲が良いのは良い事だよ。 うん。


 お姉さんは持って来た飲み物を応接机に置くと僕の方をじっとみる。

 僕は少し気恥しくなって少し俯くと慌てた感じになった。

 

 「あ、やだ、ごめんなさいね。 不躾な真似しちゃって……」

 

 意図が今一つ良く分からなかったので曖昧に頷いておく。

 

 「私はリリーゼ・キアラ・サンチェス聖殿騎士これの姉で、ここの責任者をしています」

 「ちょっとこれは酷いんじゃない?」

 「いいから。 それで、こちらは?」

 「僕はハイディと言います。 冒険者で、こちらには人を探しに来ました」

 「人?」

 「ローの事だよ」


 それを聞いてリリーゼさんは得心が言ったような表情を浮かべる。


 「あぁ、この間の彼? な~にぃ? 貴女って彼の良い人なの?」

 「いえ、そういうのとはちょっと違って……」

 「訳ありな感じ?」


 僕が小さく頷くのを見て、何かを察したのかリリーゼさんはそれ以上の追及はしてこなかった。


 「でも少し意外かな? 彼って何か天涯孤独みたいな感じがしてたから――」


 話題を変えようとしたリリーゼさんが言いかけて止まり、弾かれたように部屋の窓へ走る。

 少し遅れて、僕とエイデンさんも気が付いた。

 理由は微かに感じる臭いだ。 血の臭い。


 僕達も窓へ向かうとリリーゼさんの肩越しに外へ視線を飛ばす。

 外は日が落ちて暗く、見え辛い。

 この街は王都程、街の公共物に力を入れていないので、街灯の類はない。


 目を凝らすが建物の輪郭が見えるだけで、ほとんど見通す事が出来ない。

 

 ……いや。


 闇の中で何かが蠢くのが微かに分かった。

 輪郭も定かではない闇の中でも分かる。 どう見ても人間じゃない。

 リリーゼさんはちらりと空を仰ぐ。


 僕も釣られるように視線を上げる。

 街を照らす筈の月明かりは、分厚い雲に遮られて大地に届かない。

 

 「エイデン」

 「聖騎士達に招集をかけます。 それと神父や修道女達には孤児院の方へ向かわせ施錠を徹底させます」

 「お願い」


 エイデンさんはさっきまでとはまるで違う態度で、リリーゼさんにそう言うと早足に部屋を出て行く。

 

 「ハイディさん。 悪いんだけど手を貸して貰えない? 報酬は後払いになるけど……」

 「構いません。 僕にできる事であれば協力は惜しみません」

 

 状況を見れば考える必要のない事だ。

 

 「ありがとう。 まずはこの敷地の防備を固めて情報収集に努めます」

 「分かりました。 僕は外に出て様子を見て来ます」

 「お願い。 こっちも終わり次第、外に出るわ」


 僕達はお互い小さく頷いて行動を開始した。

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