第264話 「纏闇」

 教会敷地の外は暗く、先がほとんど見通せない。

 薄暗くて見辛いのではなく、誇張抜きで視界が効かないのだ。

 僕は周囲に気を配りながら慎重に歩を進める。


 人の気配はない。

 あるのは耳が痛い位の静寂のみだ。

 なるべく足音を立てずに進む。


 この辺りは民家らしき物があるが、窓から漏れる筈の明かりがない。

 あるのは血の臭いだけだ。

 気配の類はない。


 本当に静かだ。

 むしろ自分の鼓動がうるさいと感じてしまうぐらいの静けさ。

 少しずつ血の臭いが濃くなる。


 源は運河の近くだ。

 自分では冷静なつもりでも少し怖いな。

 そんな事を考えて自嘲する。


 ローならいつものつまらなさそうな顔で堂々と行くんだろうけど、そんな胆力は逆さに振っても僕からは出てこない。

 出来るのは一歩一歩を確実に歩むだけだ。


 建物の間を抜け運河へ近づ――く前に咄嗟に後ろに跳ぶ。

 少し遅れて運河から飛び出した何かが僕の居た辺りを薙ぐ。

 一瞥したが飛ばしたのは水のような物に見える。 建物や石畳には影響はないようだけど……。


 べしゃりと水っぽい音がして何かが運河から上がって来た。

 それを見て思考を切り替える。

 上がってきたそれはどう見ても人間ではなかった。


 縦長の体躯に四肢、長い尻尾に長く突き出た口。

 形は分かるけど、この暗さの所為で細かい部分は見えない。

 ただ、目だけが爛々と輝いている。


 僕は咄嗟に短剣を投擲。

 狙いを過たずに魔物の額の辺りに突き刺さる。

 低い唸り声のような物が漏れた。


 魔物は僕に怒りの視線を向け、周囲の闇が更に濃くなる。

 闇は僕に纏わり――つこうとしたが不意に光った僕の腕輪と指輪に追い払われるように下がった。

 

 ……これは……。


 光ったのはどちらも精神や肉体に影響を及ぼす魔法に抵抗する為の物だ。

 仕事で様々な魔物と戦う事になるので、備えにと防御や支援系の魔法道具にお金を惜しまなくて正解だった。


 これらが反応したと言う事はこの闇は普通の物じゃなく魔法的な物だろう。

 

 ……後は……。


 僕は腰の物入れから油の入った小瓶を取り出す。

 魔物は僕に効果がないと悟ったのか唸りを上げて突っ込んで来る。

 鈍重そうな見た目とは裏腹にその動きは速い。


 ……でも、対処できない程じゃない!


 引き付けてから小瓶を軽い動作で放り投げ<火球Ⅰ>を瓶に叩き込む。

 爆発。

 瓶が割れて内部の油に引火。 燃えた油が魔物に襲いかかる。


 耳障りな悲鳴が響き渡った。

 魔物は苦痛に身をよじる。 火は効くようだ。

 それに――。


 周囲を見ると、炎の光に闇が押しのけられている。

 単純だけど闇には光が効果的のようだ。

 後はこの魔物を仕留められるなら、この状況も何とかなる。


 魔物は体の一部を焼かれながらも怒りを漲らせて向かって来るが遅い。

 突進攻撃を余裕を持って躱し、油の入った小瓶を投げつける。

 火が燃え広がって魔物が完全に炎に包まれるが、戦意は衰えていない。


 身体全体で旋回し、尻尾での薙ぎ。

 後ろに跳んで建物の間に入る。

 追ってくるが道が狭い所為で、もう尻尾による薙ぎは使えない筈。


 それに直線である以上、こっちの攻撃は躱せないし躱させない。

 後は簡単だった。

 <火球>を真っ直ぐに撃ち込み続けるだけで良かった。


 魔物は強引に突っ込んで来るが、横幅が道と同じぐらいなので体が引っかかって遅い。

 二発目で動きが鈍り、四発目で動きが止まり、七発目で完全に沈黙した。

 油断せずに燃えている魔物を眺めていたが、完全に死んだと確信が持てた所で踵を返す。


 多少ではあるが状況は明らかになった。

 ただ、どれだけの規模でこの闇が広がっているかだけど…。

 あの魔物が運河から上がって来た事を考えると川の上流から来た? それとも人為的?


 この街に来て日が浅い僕じゃ判断が付かない。

 今はリリーゼさん達と合流しよう。

 この街に慣れた彼女達の知恵と経験が必要だ。


 今回は地形が上手く働いたけど――。

 運河から水をかき分けるような音が複数。

 一匹仕留めるのにあれだけの労力を払う必要がある以上、いちいち相手をしていられない。


 僕は踵を返して小走りに教会の方へ戻る。 

 教会へ戻ると建物のあちこちに灯りが灯っているのが見えた。

 敷地に入るとエイデンさんが聖騎士達に指示を出しているのが見えたのでそちらに駆け寄る。


 「ハイディさん! 外はどうでしたか?」

 「外は魔物だらけです」

 「魔物!? この街中に?」


 エイデンさんが小さく目を見開く。

 

 「種類と数は?」

 「少なくとも僕は見た事のない魔物で、運河を移動しているようでした。 一匹は何とか仕留めましたけど運河にまだまだいるみたいでした」

 「……分かった。 もう少ししたら姉さんが戻るから詳しい話を――」

 「それとは別で、外に出る際は魔法効果を弾く類の装備を必ず身に着けるようにしてください」

 「どういう事だ?」


 エイデンさんの表情が訝し気な物に変わる。

 

 「上手く言えないんですが、この闇を防ぐのに必要です」

 「闇?」

 「外が暗いのは恐らく、夜と言う事だけではなく何らかの魔法の効果によるものです。 僕の魔法道具に反応があったので間違いないかと」

 「……一体何が起こっているんだ――いや、考えるのは後でもできるか。 そうなると聖殿騎士以外は外に出さない方がいいか。 ハイディさん、他に何か気が付いた事は?」

 「魔法的な物ではありますが本質的には闇です。 炎などの光である程度は防げましたが、過信はしない方が良いかもしれません」 

 「分かっ――いや、すまないが、今の話をもう少し詳しくしてもらって構わないか?」


 視線が僕から外れている。

 振り返るとちょうどリリーゼさんが小走りでこちらに向かっているのが見える。

 僕は内心で簡潔にまとめる為に考えを整理しながらリリーゼさんの方へ足を向けた。

 



 「……話は分かったわ。 灯りを落とすのは良くないみたいね。 エイデン――」

 「敷地を囲むように松明を設置。 火を絶やさない様に徹底。 後は聖騎士はここに残し、聖殿騎士か魔法道具で防御できる者は外に出て情報を集めつつ魔物の駆除を行います」

 「お願い」


 エイデンさんは頷くと指示を出す為に駆け出した。


 「ありがとうハイディさん。 いい仕事ね。 これが終わったら聖騎士にならない? 貴女なら是非とも部下に欲しいわ」

 「あはは、お気持ちだけで」


 僕は苦笑してやんわりと断るとリリーゼさんは少し笑った後「考えておいて」と付け足すと動き出す。


 「さてと、あたしは魔物の駆除と行きますか」

 「僕も行きます」

 「助かるわ。 頼りにしても大丈夫?」

 「任せてください」

 

 教会の守りはエイデンさんに任せて、僕とリリーゼさん、それに聖殿騎士十数名が各々緊張の面持ちで武器を手に敷地の外へ出る。

 少し歩くだけで僕の魔法道具と聖殿騎士達の白の鎧が薄く光った。

 何らかの魔法効果に抵抗している証だ。


 「……確かにこれは聖騎士達は外に出せないか」


 リリーゼさんは表情を僅かに歪める。


 「リリーゼ聖殿騎士。 我々はこれからどう動くのですか?」 

 「まずは二手に別れるわ。 状況が不透明な以上、単独で動くのは危険だから、まずは味方を増やす。 あたし達は魔物の掃討をしつつ、巡回中の聖騎士達と合流を。残りは冒険者ギルドへ協力を仰ぎに行って。 指揮は――あなたが取りなさい」


 リリーゼさんに名指しされた聖殿騎士は大きく頷く。


 「了解です。 リリーゼ聖殿騎士ご武運を」

 「あなた達も気を付けてね」


 冒険者ギルドへ向かう聖殿騎士達が闇に消えた後、リリーゼさんがこちらに振り返る。

 

 「さ、あたし達も動きましょう。 中央は彼等に任せてあたし達は他を回りましょう」


 彼女の言葉と共に僕達も行動を開始した。

 現在位置は街の中央付近。 移動経路は東側から外周を巡って一周。

 陣形は接近戦に長けた聖殿騎士が前衛を、僕と魔法に長けた者が後衛。


 最後にリリーゼさんが最後尾で背後から奇襲への備えを一手に引き受けてくれる。

 大丈夫かとは言わない。

 後ろを任せろといった彼女の言葉を信じたからだ。


 「……それにしても、光りっぱなしね」

 「そ、そうですね」


 さっきから全員の装備が光りっぱなしだ。

 それは絶えず何かの干渉を妨害し続けている事の証明で、仕組みを動かす為に僕達の魔力が消費され続けている事でもある。


 「適度に休憩を挟みましょう。 体調が優れない者は直ぐに報告を――」


 言葉が途中で止まる。

 僕も少し遅れて気が付く。

 水が跳ねる音。 運河で何かが動いた。


 「全員、運河から下がって」


 リリーゼさんが弓に矢をつがえて構え、前衛が各々剣を抜く。

 同時に運河からさっき戦った魔物が飛び出す。

 しかも数が多い。 五、いや六匹か。


 魔物は僕達の姿を認めると真っ直ぐに向かって――。

 

 ――来る前に小さな風切り音と共に飛来した赤く光る・・・・矢に額を打ち抜かれる。

 

 突き刺さった矢は高熱を発しているようで、瞬時に炎を放ち魔物の頭部を焼く。

 悲鳴が上がり、好機と見た前衛が一斉に斬り込む。

 

 「これで行けそうね」


 リリーゼさんは表情を変えずに弓に新しい矢をつがえる。

 弦が薄く輝き、接触している矢に光が移り真っ赤な光を放つ。


 「右!」


 そう言うと右の魔物と対峙していた聖殿騎士達が即座に動いて射線を確保。

 空いた空間を矢が通り魔物の額を貫く。


 ……凄い。


 正確に射貫く彼女の技量もさることながら、連携も凄い。

 恐らく戦いながら彼女の声で動けるように意識を割いているんだ。

 お互いを信頼していなければできない芸当だ。


 彼女も彼女で、戦闘の状況を広い視野で観察し、どこに攻撃を加えるのが効果的かを判断して撃ち込んでいる。

 僕は改めてグノーシスの聖殿騎士の練度の高さを知った。


 少なくとも冒険者ではここまで見事な連携は難しいだろう。

 そんな事を考えている間にもう四匹目の魔物に矢が撃ち込まれていた。

 

 ……僕も負けてられない。


 連携の邪魔にならない事を意識して僕は魔物へと踏み出した。

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