第169話 「商談」

 「ふぅ」


 私――ファティマは小さく息を吐いて片付いた書類を傍に控えていたメイドのエルフに渡しました。

 ロートフェルト様に頂いた配下ですが、賢く、要領もいいので重宝しています。

 書類を持ったエルフが退室し、入れ替わるように別のエルフがノックと共に部屋に入ってきました。


 「お嬢様。お客様がお見えです」

 「分かりました。中庭にご案内して」

 「かしこまりました」


 私は軽く伸びをして頭の中で予定を確認しました。

 今日の来客は二件。

 昼前に果物の売買関係の権力者と、昼以降に武具の売買関係の商人が来るはずです。


 窓から外を見て太陽の位置を確認します。

 まだ登り切っていないそれを見て小さく首を傾げました。

 

 ……少し早いのではないでしょうか?


 せっかちな方ですね。

 そんな感想を漏らした後、私は部屋を出て中庭に向かいました。

 


 

 「おぉ、ファティマ殿。相変わらず美しい」

 「ありがとうございます。マーカス様もお元気そうで何よりですわ」


 心にもない世辞の応酬を挨拶代わりに、私は目の前の男の向かいの席に腰を下ろしました。

 ここは屋敷の中庭に設けられた場所で、簡素な机と椅子が置いてあり、来客は基本的にここに通す事にしています。


 …だって関係のない輩に私とロートフェルト様の愛の巣に土足で入って欲しくありませんし。


 「それにしてもこの庭園は素晴らしいな。見た事も無い花々が多いが、どうやって手にれたのですかな?」

 「それは秘密です」


 庭園の花々は果物と同じ要領で作ったいい香りのする物が多数を占めており、香りと見た目で見る物を楽しませます。


 「なるほど。最近、パトリック商会に卸している果物と同じと言う訳かな?」

 「ご想像にお任せしますわ」

 

 男は笑みを崩さずに話を続ける。

 このマーカスと言う男はメドリームの有力者だ。

 中々の修羅場を潜っているのか、体格は良く、体も引き締まっている。


 冒険者と言われても納得できる体躯と容姿だが、いくつもの商会を抱えてそれなりの成功を収めて居る商売人でもある。


 「さて、私も予定が押していてね。早速だが本題に入らせて貰おうか。例の果物の取引を私とだけして貰いたい」

 

 私は答えずに小さく首を傾げます。


 「言いたい事は分かっている。あのパトリックと言う輩の事を気にしているのだろう?私ならばあの男よりも貴女とより良い関係を築けるはずだ」

 「より良いですか?」

 「あぁ、具体的な実利の話をしよう。まずは、果物、野菜をパトリックの倍の値段で買い取ろう」

 

 これっぽっちも魅力を感じない提案ですが、私は露骨に「まぁ」と驚いて見せます。

 その反応に気を良くしたのかマーカスは続けます。


 「ただし、貴女にはある条件を飲んで貰いたい。対等な関係には対等な条件が必要だからね」

 

 マーカスは気障ったらしい動作で指をパチンと鳴らすと後ろで控えていた護衛らしい男達の一人が大きめの袋を持ってきました。

 それを受け取ると口を開いて机の上に置きます。


 開いた口から覗いているのは大量の金貨。

 

 「これは手付だ。そして、貴女に飲んで貰いたい条件と言うのは、その果物の出所の情報、もしくは苗を一部譲って貰いたい」

 

 あらあら。

 露骨な事を言いますね。

 私は頬に手を当て困ったと言う表情を作ります。


 「流石にそれは困りますわ。この果実は我が領の言わば生命線。簡単に他所に漏らす事はとてもとても……」


 もっとも、知った所で再現は不可能でしょうけど。


 「そうか――だが、こちらも苦しいと言う事も分かってくれるとありがたい。貴女の言いたい事も良く分かっているつもりだ。……そうだな。ならこうしよう、果実の生産に我々も一枚噛ませて貰えないか?収穫等の人手が居る作業もある程度はこちらで負担しよう。これでどうかな?お互いにとって利になる話だと思うのだが……」

 

 私は内心で冷ややかに笑います。

 商売と言うのは建前で、どうにかして果物の製法を入手しようと言う魂胆が透けて見えますね。

 目の前の男はさもお互いの為と言いながら私達を食い物にしようとしています。


 何て浅ましい。


 私は悩み抜きましたと言った口調で丁重にお断りする事にしました。


 「ありがたいお話ではありますが……。申し訳ありませんがお断りさせていただきます」


 マーカスの表情は笑みこそ浮かべているが目が全く笑っておりません。

 

 「……どうしてもかな?」

 「申し訳ありません。あれは我が領の命、やはり他者に明かす事はできません」


 一応、申し訳ないと言った表情を作っておきます。


 「分かった。所で例えばの話なんだがね。私の部下は私に対して厚い忠誠心を持っている」


 マーカスは急に話題を変え始めました。

 おやおや。

 やり方を変えて来ましたね。


 後ろに控えていた、いかにも力自慢と言った輩が数名、前に出てきました。

 

 「彼等は強いよ?冒険者で言うなら青の上位――いや、赤に匹敵するだろう。彼等は良かれと思って私の為に色々とやってくれるんだ。頼もしいと思わないかね?」


 遠回しな恫喝ですか?


 「当然ながら彼等が私の為を想ってする事を止める事なんてとてもとても…」


 マーカスは嘆かわしいとばかりに顔を手で覆いました。

 流石に馬鹿らしくなったので、私は鼻で笑ってやります。

 

 「くだらない。まともな交渉をする気がないのなら最初からそう言って下さらないかしら?」


 言外に「暇じゃないのでつまらない用で尋ねるな」と含んでやります。

 瞬間、空気が変わりました。

 マーカスから笑みが消え、後ろに控えている連中が武器に手をかけます。

 

 「下手に出ていれば随分とつけあがるね。女だからと言って手加減して貰えると?」


 おやおや。

 この場で私相手によく、敵意を向けようなんて気が起きますね。


 「これでも私はここの領主代行ですよ?」

 「その肩書がこの場で役に立つと思っているのか?穏便に済ませようかとも思ったが、気が変わった。貴女自身にも興味があるし、交渉の続きは寝台の上でしようか?」


 マーカスは懐から瓶を取り出しました。


 「これが何だか分かるか?魔法薬だ。当然、回復薬ポーションではない。禁制の品だが媚薬だよ。こいつを服用すると、文字通り天にも昇る気持ちになるそうだ」


 マーカスや周囲の男達は下卑た笑みを浮かべて私ににじり寄ってきます。

 思わず失笑が漏れました。

 私の周囲に護衛は無し、居るのはメイドが数名のみ。


 こうなるのはある意味、当然の流れでしょう。

 現在、オラトリアムが得ている収益は傍から見ても莫大な物でしょうね。

 それを目当てに虫が群がるのは分かり切っています。


 加えて、領主が病床に臥せっているのは調べれば分かる事。

 そして代行は私のような小娘。

 馬鹿には私が金貨の山にでも見えるのでしょうね。


 ……それとも小娘一人なら何をしてもどうとでもなると?

 

 確かにここは我がオラトリアムの屋敷。

 塀で外界と遮断されており、目立った戦力も確認できない。

 傍から見ればいいカモでしょう。


 「エンプーサ」


 私がその子の名を小さく呟きます。

 

 「が……」

 「ご、あ……」


 マーカスの配下達全員の体が浮き上がりました。

 

 「な、何が……」


 全員、必死になって首に手をかけています。

 まるで見えない何かを引き剥がそうとしているかのように。

 彼等の後ろの空間が揺らめき、その子が姿を現しました。


 上半身は黒髪の乙女。

 下半身は巨大な蛇。

 元々は蛇女ラミアだった彼女ですが、ロートフェルト様の処置のお陰で姿を隠す迷彩能力に加え、背中に大量の蛇を生やし、それを自在に操れるようになりました。


 名前も付けて頂きました。

 エンプーサ。良い響きですね。

 彼女は背から生えた蛇を操り、マーカスの配下の首に巻き付けて宙づりにしました。


 「ま、魔物だと!?何故こんな所に――」

 

 驚くマーカスを無視して、私は指示を出します。


 「その方たちは食べてしまっても構いません。ただし、そこの男を殺す事は許可しません」

 「分かりました。お嬢様」


 エンプーサはそう頷くと首に巻き付けた蛇を操作。

 各々の首がマーカスの配下に牙を突き立てます。

 何かを吸い上げるような濁った音が周囲に響き渡り――。


 「あ、が……」

 「す、吸われ――」


 ――あっと言う間に干物になってしまいました。


 配下を失い呆然としているマーカスが私の方を見て何か言おうとしましたが、忍び寄ったメイドに後ろから棍棒で殴り倒され、吐き出しかけた言葉は空に溶けます。

 

 「では、客間にご案内して差し上げなさい」

 「畏まりました。お嬢様」

 「エンプーサもご苦労様。しばらく休んでいて構いませんよ」

 「分かりました。お嬢様」


 メイドはマーカスを引きずり、エンプーサは死体を抱えたまま溶けるように姿を消しました。

 ロートフェルト様に頭を弄って頂き、強制的に賢くなったエンプーサは私の指示をよく聞くとても良い子になり、護衛として重宝しています。


 何だかんだと話している内に結構な時間が経ちましたね。

 次の来客に備えないといけません。

 



 二件目の来客は真っ当に交渉に来たのでパトリックを通してなら取引しますよというと、素直に納得してくださったので紹介状を書いてあげました。

 武器商人は上機嫌で屋敷を後にします。


 ……いつもこうだと楽なのですが……。


 まぁ、愚か者には愚か者なりに使い道はあります。

 予定を片付けた私は、牢とは別で建てられた小さな屋敷――客間に足を向けました。

 門番に扉を開けさせて中に入ります。


 中ではモスマンやシュリガーラが巡回しているので万に一つも逃げられません。

 

 ……えっと、どの部屋だったかしら?


 私は天井に張り付いているモスマンに声をかけます。

 

 「一番滞在期間が長いお客様の部屋は何処だったかしら?」

 「シューシュー」

 「そう。ありがとう」


 彼等は言葉を話せませんが、意思の疎通は可能です。

 何せ、ロートフェルト様を頭に頂く同族ですから。

 

 掃除の行き届いた通路を進み、奥まった場所にある部屋の前で足を止めます。

 すると近くで巡回していたシュリガーラが私の後ろに付きました。

 私が小さく頷くと、彼も頷き返します。


 扉を開いて中へ。

 中は清潔な寝台と男が一人。

 男は私を見ると涎を垂らしながら目を血走らせて飛びかかってきましたが、割り込んだシュリガーラが取り押さえます。


 「ごきげんよう。気分はいかがですか?」

 

 男は荒い息を吐きながら必死に私に手を伸ばします。


 「あ、アレをくれ!た、頼む!もう我慢できないんだ!頼む!頼むううううう!」

 「では、私の言う事に従って頂けますね?」

 「あ、あぁ、何でもする!何でもするから頼む!頼むうううう!」

 「結構。アレを出して差し上げなさい」


 シュリガーラは腰のポーチから果物を取り出すと、男に差し出します。

 受け取った男は貪るように果物を食べ、しばらくすると落ち着きを取り戻しました。


 「落ち着いたようですし、私に全てを譲ると言う文言の誓約書に署名して頂けますね?」


 男は憔悴した顔で私の方を見て、床に散らばった果物の欠片を見て項垂れる。


 「……分かった。署名――する。いや、します」

 「そうですか。では、手続きが終わり次第、お帰り頂いて結構です。お疲れさまでした」


 男は私に何か言いかけましたが、首を振って書類に必要事項を記入して署名、捺印を済ませて私に提出。

 内容を確認して不備がない事を確認。

 問題ありませんね。


 これで、この男の商会は私の物です。

 ここは客間。

 無礼な客に滞在して頂く客間です。


 多少不自由ですが、食事は保証しますとも。

 そう、彼らが欲しがっている果物の中で最も依存度が高い、麻薬と変わらない物とその果汁を濃縮した飲み物を。


 適当に与えて依存させた後、しばらく普通の食事に切り替えると驚く程、素直になって何でも言う事を聞いてくれるようになります。

 それこそ、自分の育てた商会を譲って頂けるほどに。

 

 結果、私達の商会はすくすくと成長しています。

 

 ……ふふ。また、収益が伸びますね。


 私室に戻った私は思索に耽ります。


 とは言ってもやる事はまだまだたくさんあります。

 ティアドラスもそうですが森にも手を入れる必要があるので、その為の資金もまだまだ必要でしょう。

 もっともっと手を広げなければなりませんね。


 進みは遅いですが順調。押しなべて順調です。

 

 ……ですが……。


 一つだけどうしても上手くいかない事があります。

 ロートフェルト様。

 折角帰ってきてくださったのにまた旅立たれてしまわれました。


 快適な生活をご提供できたと思うのですが――お引止めするにはまだ不足と言う訳ですか。

 なら、このオラトリアムを更に大きくして更なる快適な生活空間を作って見せます!

 獣人の領域とやらを見てきた後に一度、戻られると言う事でしたね?


 今度こそ旅に出ようなんて気が起こらない程に骨抜きにして差し上げます!

 並行して私自身も女を磨かなくては。

 それにしても、どうやったらあの方をその気にさせる事が出来るのでしょうか?


 あの方の記憶の断片を掘り起こしてみます。

 理解できない物が多数を占めていましたが、自分なりに解釈しました。

 中から一つ抜き出します。

 

 …………こう言うのはどうでしょう。


 「おかえり!お兄ちゃん!ファティマはずっとずーっと帰りを待ってたよ!約束通り私をお嫁さんにしてね!」


 ……。


 何故か想像の中のロートフェルト様が私に侮蔑の表情を!

 

 こ、これは止めておきましょう。

 やる事はまだあるのです。

 遊んでいる暇はありません!今日も頑張りましょう。

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