11/04「カカオの木」テーマ:チョコレート

 ヨーテは今日もカカオの採取作業をしていた。

 近くに並ぶカカオの木。まだ少年っぽさが抜けないヨーテの身長よりもはるかに高いその木々に黄色い実がなる。一つ一つの実はなんとか手に収まるくらいの大きさだ。


 ヨーテの父親が死に、少年がその農園の主になったのは今年からだ。カカオの他にバナナやキャッサバなども育てている。今はカカオの収穫期だ。

 あまり大きな農園ではなく、家族と数人の手伝いで回している。伝統のおかげか、それとも祖父と父による仕込みのおかげか、皆はヨーテの指示によく従ってくれた。


 黄色い大きな実を採っては、持ってきたかごに放り込む。

 ヨーテにはわからなかった。この作業に何の意味があるのか。


 カカオの実を開けると中から白いぬるぬるとした果肉が出てくる。ヨーテらが売るのはその果肉の中にある豆だ。発酵させ、乾燥させ、ようやく豆を売りに出せる。

 ヨーテがまだまだ小さかった頃、その豆をかじったことがある。苦かった。何のためにこんなものを買うのだろうと思った。


 バナナはまだ美味しい。しかしこのカカオを育て続けることに、ヨーテは疑問を持っていた。違う村から嫁いできた母親の影響か、ヨーテは父や祖父よりも聡明だ。しかしその聡明さは、この仕事においてあまり有用ではなかった。


 自分の仕事の意味を考えてしまうヨーテの動きは、重かった。


   ●


 子供の好奇心に任せて、かつてのヨーテは父に尋ねた。


「どうしてこんな苦い豆を買う人がいるの?」


 問うヨーテの頭を、父の大きくゴツゴツした手が撫でる。その感触が大好きだった。


「遠くの国には『チョコレート』とか言う食べ物があってな。カカオ豆はそのもとになるんだと」


 幼いヨーテはけれど、父の言葉を信じなかった。聡明なヨーテは、大人が子供に嘘を教えることがあるのをよく知っていた。


 『チョコレート』もそんな嘘の一つだと思った。


   ●


「ヨーテ」


 作業を続けていたヨーテの背に声が届く。マ―ヌの声だ。

 振り返るとそこには黒い肌の少女がいた。ヨーテの肌よりもさらに暗い。彼女はヨーテの幼馴染のマ―ヌだ。


 およそ美人とは言えず、またあまり器用でもない彼女は、嫁の貰い手も仕事先もなかった。現在はヨーテの所で手伝いをしている。


「お客さん」


 マ―ヌが短く告げる。彼女は昔から、あまり話すのが得意ではない。

 『お客さん』がこの農園を尋ねてくることなどほとんどない。仕事中である農園の主を呼び出すのであれば、せめて用件を伝えるべきだろう。


 しかしヨーテはマ―ヌにそのような期待をしていなかった。だから、


「わかった」

 短い返事をしながら、帰り支度を整える。

 時期外れの奇妙な『お客さん』の来訪に、少しドキドキしていた。


   ●


 その『お客さん』は珍しい格好をしていた。この村では珍しい格好。色彩もつくりも変だ。

 ヨーテは知っている。この村が属している国は『遅れている国』で、世界には『進んだ国』もあることを。カカオ豆を買ってくれるのは基本的に『進んだ国』の人々だ。


 ヨーテが家に入ると、その『お客さん』は笑顔を散らせながらヨーテに飛びついてきた。


「あなたがカカオ農園の主さん!? わあ! 若いのね! あ、私はカナコです! はじめまして! チョコレート職人をしています! それで今回はカカオ豆の栽培を見てみたくって、ここに来たの! だから見せて!」


 ヨーテの手を握りながらまくし立ててくるカナコ。つばが飛んできた。

 その言葉はどこか不格好で、彼女が異邦の人であることを実感させた。だからヨーテは、いつもよりも丁寧に言葉を並べる。


「わかりました。僕はヨーテです。この農園の主をしています。こちらへどうぞ」


 仕事の邪魔をする『お客さん』・カナコの見学を許すことは、本来ヨーテらにとって得ではない。労働時間を考えると損だ。それでもヨーテはカナコを連れて、再びカカオ農園に向かう。


――『チョコレート職人』。

 彼女は確かに、そう言った。


   ●


「わあすごい! 何度も写真で見てたけど、やっぱり実物は違うわね!」


 ヨーテの前でカナコがはしゃいでいた。彼女は他の『お客さん』と違って、農園の主にしては若すぎるヨーテの年齢に疑問を呈さなかった。異邦人の外見と年齢の関係はわからないが、カナコも同じくらいに若いと思う。チョコレート職人は、若者でもなれるのだろうか。


「今は収穫期なのよね? 収穫した後は発酵させて乾燥? ああ、パルプを取り出す所も見てみたいわ! あ、その前に収穫もやってみたい!」


 本当に声が大きく、元気な少女だ。ヨーテは女性がこのように騒ぐ姿をあまり見たことがなかった。村で女性がこれだけ騒ぐのは出産の時くらいだ。


 カナコに収穫の方法を教えながら、彼女について考える。

 国が違えば、美醜の判断は異なるだろうことはヨーテも理解していた。だから自分の観察が合っているかはわからない。しかし、


――美しい。


 カナコは美しかった。衣服もだが、おそらくそれを除いても輝ける。ついつい衣服を脱いだカナコを想像してしまい、ヨーテは黒い顔を少し赤らめた。代わりにマ―ヌの服を着せてみると、やはり可愛い。


「楽しいわ! ヨーテ!」


 弾けるように笑うカナコが手を差し出してくる。握手の合図だ。おそるおそる手を出すと、カナコは両手でその手を掴んで顔の高さまで上げてくる。その顔はまだ興奮している。


 ふわりと。

 甘い匂いがした。採取時点でカカオの実は匂いを発さない。カカオ豆独特の匂いが出てくるのは発酵の後だ。そしてその匂いはそこまで甘くない。


「…………?」


 眉をひそめるヨーテに、カナコが気づいたように言う。


「あ、ごめん。私の手、チョコレートの匂いが染み付いちゃってて」

「……チョコレート……」

「うん、チョコレート。あなたたちがカカオ豆を栽培してくれるおかげで、私たちはチョコレートを作れるの」


 カナコがそばに置いていたカバンに手を突っ込む。出てきた手のひらには一つの小さな袋が乗っていた。


「ヨーテ。これ、私が作ったチョコレート。食べてみる?」


 うなずく。ゆっくりと、その包みを剥がす。中から茶色のかたまりが出てきた。先程カナコの手から薫った匂いが来る。口に入れた。


「…………!」

 広がった。


「……ど、どうかな? いちおー自信作なんだけど……」

 これまでとは打って変わって、カナコがもじもじとしていた。


「……これまで……こんなに美味しいものを……食べたことがない」

 ヨーテは率直な感想を告げた。カナコの顔がぱあと輝く。


「よかった!!」

 その笑みは、これまで見たどんな笑顔よりも綺麗だった。


   ●


 カカオ豆の発酵作業について教えながら、ヨーテはカナコにいろいろな話を聞いていた。


「私がチョコレート職人を目指すようになったのは、小学生の頃。友達とケンカして、泣きながら公園でブランコしてた」

 話すカナコの横顔を見る。


「そんな私を見た男の人が、チョコをくれたの。スーパーでは見たことないような、宝石みたいな形のチョコ。すごく美味しかった」

 語るカナコは笑顔だ。しかし作業の手は止まっていない。器用だ。


「それで私の人生は決まっちゃった。その男の人にいろいろ聞いて、チョコレート職人を目指した」

 先程、カナコはすでに店を持っていると言っていた。きっとたくさんの努力を積み重ねたのだろうことは、ヨーテにもよくわかった。


「ねえヨーテ」

 作業が終わり立ち上がったヨーテに、カナコはしゃがみながら告げてきた。


「ありがとう」

 感謝の言葉。


「あなたたちが、ここでカカオ豆を作って、私たちに届けてくれるおかげで私たちはチョコレートを作ることができる。たくさんの人を幸せに、笑顔にできる」

 ヨーテの仕事に、意味を与えてくれる言葉。

 カナコの笑顔は綺麗だった。


   ●


 ヨーテは一人でカカオの採取をしていた。


 意味がないと思っていた作業。誰が買うんだと思ったカカオ豆。父の嘘は嘘ではなく、異邦の少女は『チョコレート』は甘かった。

 綺麗な笑顔を持つ少女は、異邦の地でもっとたくさんの笑顔をつくっている。

 ヨーテが作り、届けたカカオ豆を使って、甘い夢を作り上げ、多くの人間に幸せな気持ちにする。


 食事を終え、歯も磨いたヨーテの口。その口にはあの甘い記憶が残っていた。

 瞳には、あの綺麗な笑顔が残っていた。

 黙々と作業を続けた。


――その日の作業は、これまでで最も、味気ない作業となった。


   ●


 きっと意味のある仕事なのだろうと、ヨーテは思う。

 発酵後のカカオ豆を乾燥させるための作業をしながら、ヨーテは考えていた。


 つまらない、無意味だと思っていた作業は、カナコによって意味を与えられた。遠くの誰かの笑顔に繋がっていると教えられた。幸せに繋がっていると教えられた。


 その作業は意味のあるものになったけれど。

 しかし、味気なく感じてしまった。


 土を踏む音が鳴る。マ―ヌだ。無言で作業を手伝う。賑やかなカナコとは対称的な少女。あまり笑ったところを見たことがない。


 カカオ豆の乾燥を、ヨーテらは簀子の上に豆を広げることで行う。父の仕込みのおかげで、ヨーテの豆を広げる手にはムダがない。


 一方、マ―ヌは下手くそだ。均等に豆が広がっていかない。

 自分のエリアの作業を終えたヨーテはしかたなく、マ―ヌの広げた豆を直していく。


 マ―ヌと一瞬、目が合った。しかし何も言うことなく、二人で作業を続ける。

 日が暮れていく。もうすぐ作業はできなくなる。

 できなくなるまで、二人で作業を続けた。


   ●


 ヨーテは今回の収穫期で最後となる、カカオの実の採取をしていた。また一人だ。


 身体が覚えてしまっているいつもどおりの作業。意味がないと思っていたその作業には意味があって、しかし味気なくなってしまった。


 淡々と続けるヨーテの顔に、笑みはない。

 しかしその目には、やりがいがあった。

 なぜ味気なくなってしまったのかを、聡明なヨーテは理解した。


――僕は、遠くの誰かを幸せにするために働いているんじゃない。


 最後の実を採る。

 ちょうどいいタイミングでヨーテの背に声が届く。

 振り向く。  


 その少女は、およそ美人とはいえず、あまり器用でもなく、笑顔も見せない。しかし彼女はヨーテの隣りにいた。

 カカオの入ったかごを背負い、二人一緒に歩いて帰った。

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ただの練習作品(短編集)【月曜更新】 秋瀬ともす @tomosuakise

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