ただの練習作品(短編集)【月曜更新】

秋瀬ともす

10/28「叔父のカメラ」(テーマ:カメラ)

 真也しんやは、父の実家のある田舎に来ていた。

 幼い頃は夏休みのたびに祖父の家に行くのが楽しみだった。しかし高校生になってからは遊びに行くこともなくなり、この六年間でこの地を訪れたのは去年の法事だけ。身体の弱かった叔父が亡くなったのだ。


 自然たっぷりのザ・田舎といった風景が目の前に広がる。絵の上手い人に田舎の絵を描いてくれと頼んだら、資料を見ることもなく、真也の眼前に広がる緑を絵にする気がする。


 母親がここに来ることを真也に奨めた。

 真也は大学三年生。真也の通う大学は去年辺りからやたらと就職支援に力を入れ始めた。真也もすでに就活セミナーを受けている。

 自己分析というものがある。自分はどのような人間なのか。何をやりたくて、何に向いているのか。何をやってきたのか。

 真也も就活生の例にもれず、自己分析をやった。そして堕ちた。


――自分が、何もない人間だということだけがわかった。


 やりたいことも、特別に得意なこともない。過去を遡っていくとその人生の無意味さに打ちのめされた。子供の頃ならともかく、高校生以来、何かにハマったこともない。人並みに部活には打ち込んだが、それだけだ。

 同じように感じる人もいるのだろう。それでも彼らはそれなりに進路を選んでいく。とりあえず説明会に参加し、セミナーに参加し、なんとなく進路を選んでいく。


 真也はそれが苦手だった。そのような選択に意味を感じることができなかった。

 だから堕ちた。

 何も手につかなくなった。


 そんな真也に母親が提案したのが、今回。自然たっぷりの田舎でしばらく生活して、リフレッシュしてこいと、そういうことだ。


――何もないところだと、その分、自分のこと考えちゃうんだけどな……。


 それでも真也は来た。


   ●


 祖父に頼まれ、真也は小屋に向かっていた。

 祖父が持っているその小屋は、彼らの家から離れた林の中にある。昔、その林に木を取りに行っては、その小屋で休憩していたらしい。その小屋から斧を撮ってきてほしいとのことだった。


 マイナスイオンが真也を満たしていく。視界に広がる木々と風が吹くたびに揺れる木の葉は、真也に異世界を感じさせた。東京でこのような体験をすることは稀だ。土の匂いさえも真也を落ち着かせてくる。


 小屋には鍵がかかっていない。そもそも鍵がない。

 木でできた扉を開けると、音が鳴った。

 斧を探しているとカメラを見つけた。古いカメラだ。ガタガタの作業机にはホコリを被ったアルバムもあった。アルバムの下は日記だ。


――叔父さんのか……。


 去年亡くなった叔父は父親の弟だ。子供の頃から身体が弱く、一度上京して仕事をしていたが一昨年に帰郷。その一年後、病床で息を引き取った。

 死ぬ間際、ベッドで寝たきりになるまでは叔父がこの小屋を使っていたらしい。


 なんとなく、真也はアルバムをめくる。

 田舎の風景が並んでいた。叔父はプロではないので、腕前はあまりよくもない。同じく真也も写真に詳しくはない。しかし、並ぶ写真になにか、違和感のようなものを感じた。


  ●


 斧を持って帰った真也は、祖父に小屋で見たものについて聞いてみた。

 老体ながらもしっかりした姿勢で斧を振っていた祖父は、真也の質問に少し顔をしかめる。しかし斧を追いて縁側、真也の隣に座って話してくれた。


 帰郷してからの叔父は、不思議な行動を繰り返していたらしい。カメラを持っては何でもないような場所の写真を撮って回っていた。一人でカメラを構えながらブツブツと話している叔父の姿が何度も目撃されているらしい。

 もしかして息子は天才だったりするのではと考えた祖父は、知り合いの写真家に頼んで叔父の画像を見てもらった。その写真家いわく「風景写真の体をなしていない」らしい。天才どころか、むしろ最低限のレベルにすら達していないようだ。


 夕食を食べながら、真也は叔父の行動について考え続けた。彼の写真はデタラメで、レベルの低いものばかり。真也の過去と同じように、それは無意味なものだ。しかし真也は小屋で見たあの写真が忘れられなかった。叔父の行動について知りたくなってしまった。


 現実逃避の意味もあったかもしれない。

 しかし真也は叔父の謎を追うことに決めた。


   ●


 翌日、真也はまた小屋に来ていた。

 カメラを見てもよくわからないので、まずはアルバムの写真を一通り見てみた。「風景写真の体をなしていない」という言葉の意味がわかってくる。


「風景を写した写真って感じがしないな」


 今いる場所をなんとなく撮ったと言われた方が納得できる。存在証明のようなものだろうか。


 つづいて日記を開いてみる。

 どうやら日記はアルバムよりもっと古いものらしかった。叔父の子供時代のものだ。子供っぽい字で中の良かった友人との思い出が綴ってある。書き方から相手が女の子らしいことがわかった。


 日記は途中で終わり、しばらく白紙のページが続いた後に、今度は大人の文字が現れた。


――「あの人に再会できた」


 文字から喜びが伝わってくる。『あの人』はどう考えても、日記に出てきていた少女だろう。『あの子』と書きそうなものだが、叔父は真也から見て変わっていたのであまり気にはならない。

 幼い頃に仲の良かった友人と、故郷で再会できた。それは素晴らしい物語に思える。まもなく叔父は亡くなってしまうが、きっと最後の一年間は非常に意味のあるものだったのだろう。


 その日記はホコリまみれだったけれど。

 その毎日は真也の無意味な毎日よりはるかに輝いて見えた。


   ●


 真也が写真が撮られた場所を順番に訪れてみることにした。

 カメラは重い上に、真也には扱えないので置いてきた。アルバムと日記だけ手提げ袋に入れて持っていく。


 アルバムの最初の写真の場所はすぐわかった。小学生の時、真也もよく遊んだ神社だ。神社と言っても寂れていて、人もいない。いろいろな所に苔が生えている。


 なんとなしに目の前の風景をスマホで撮ってみる。正直、叔父の写真より真也の撮ったものの方が『ぽい』写真だ。しかし、なぜか叔父の写真の方が、輝いて見えた。


   ●


 真也が次に訪れたのは小川。

 ザリガニを釣って遊んだ場所だ。叔父と一緒にやっていたこともある。叔父は一匹も釣れずに笑っていた。


 ここでもスマホで写真を撮る。叔父の写真にはまともに小川が写っていない。下部に添えられているだけだ。真也は川のせせらぎをきっちりと表現した。しかしやはり、叔父の写真のほうが、綺麗に見えた。


   ●


 真也は次々とアルバムに収められている場所を訪れていった。


 下手くそな写真であるにも関わらず、真也は簡単にそれぞれの場所を特定できた。その場所はどれも、真也が小学生時代に遊んだ場所だったからだ。こちらに住んでいる友達に連れて行かれては遊んでいた。


 都会は一年もすれば変わる。去年はあった公園が、今年には駐車場やコンビニになっている。

 しかし田舎は変わらない。いや、自然と同じスピードでゆっくりと変わっていく。人の人並みを無視している。そのことを真也はひしひしと感じていた。


   ●


 アルバムの最後の場所は、小さな祠のある森だった。森と言ってもたいして深くもない。しかし子供の頃はその森に不気味さと神秘を感じていた。

 大人になってみると、あのとき感じた気持ちは現れない。思い出すが、感情として現れない。あの頃とは視点も大きく異なる。昔はもっと地面に近かった。


 祠のある場所にやってくる。小さな小さな祠。何の意味があるのか、今でもわからない。またスマホで写真を撮る。今回も技術的には真也が上で、しかし叔父のものが輝いて見えた。


 ふと、叔父と同じ構図で撮ってみようと思った。

 しかしスマホを構えて違和感に襲われる。ひたすらにずれた感じ。叔父は気持ち悪さを感じなかったのだろうか。せめて、そこに誰かを立たせたくなる。

 スマホを下げ、自分の身長よりはるかに低い祠を撫でてみた。ざらりとした感触が、手に馴染んだ。


 その時、祠の裏に何かが落ちているのを見つけた。

 薄汚れた紙。手紙だった。

 叔父の字だった。


   ●


――君ともう一度会えて、本当に嬉しかった。

――また一緒に遊べて、本当に楽しかった。

――ごめん。なんで君に会えなかったんだろう。

――僕の瞳は、大人になって曇っていたんだ。

――身体が弱くて、友達のいない僕と遊んでくれた君を忘れて。

――僕は自分の将来ばかり悲観していた。

――結局、僕は何もできずに帰ってきた。

――このまま何の意味もなく、死んでいくんだと思った。

――だから、君ともう一度会えた時は嬉しかった。

――僕の瞳は曇ってしまったけれど。

――また君を見ることができて、本当に嬉しかった。

――ごめん。僕はもうすぐいなくなる。

――ありがとう。

――僕に生きた意味をくれて。

――さよなら。

――大好きだった。


   ●


 それは別れの手紙だった。

 唐突に、真也は理解した。叔父と同じ場所を巡り、同じように自分の無意味さに苦悩し、同じようにカメラを構えたから。


 もう一度、スマホを構える。叔父と同じ構図で。

 やはりその構図は気持ち悪かった。何かが足りない気がした。


 アルバムをめくる。

 そこに並んだ写真は風景写真としては最低の出来。それは当たり前だった。

 叔父のカメラは風景など写していない。

 写していたのはたった一つ。

 ただ一人。


――愛した人。


 叔父はカメラを通して、愛する友人と会っていたのだ。


   ●


 大人になるにつれて考えることは増えていく。

 子供のとき見えていたものが見えなくなっていく。


 その思い出に、立派な意義などない。それは何の力もない子供の、何の変哲もない、とても意味のある日常でしかないのだ。


――そういえば、大好きなおもちゃがあったな……。


 東京の家の押入れにしまっていたはずのおもちゃ。ほとんど捨ててしまったけれど、なぜか捨てられないおもちゃがあったことを、真也は思い出した。

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