エピローグ

「ゆーちゃん! 一緒にかえろ!」

「……千鶴子」

 高校の入学式を終えると、千鶴子が昔みたいに走ってきた。

 三年ぶりに会ったあの日とは比べ物にならない笑顔で、私の元へダイブしてくる。

「うわっ、と、千鶴子、走ったら危ないよ」

「だって、みた? クラス、一緒だった!」

「うん、みた。一緒だったね」

「よかったあ。せっかく戻ってきてくれたのに、一緒じゃなかったらいやになっちゃう!」

 私は無事に高校生活を迎えることができた。

 千鶴子はあの後病院のベッドで目を覚まして、なんてことはなく起き上がった。

 もう彼女の背中に黒いもやはなく、そもそも彼女は『一連の事件』を覚えていなかった。

(まあ、それはそれで幸せなのかもしれないけど)

 私はハッキリと覚えている。

 千鶴子の赤い目も、あの日迫ってきた電車も、伊野くんの笑顔も、伊野くんの苦しげな顔も、こっくりさんの顔も。

 これから先、きっと忘れることはできないだろう。

 ここから逃れるすべもないのだ。当然だ。

「アパート暮らしは慣れた?」

「ん、まあ。それなりには」

 胸元で花かざりが揺れていた。

 花かざりは嫌いだ。

 これをつけて帰ると、必ず、よくないことが起こるし、嫌な思い出の傍らにはいつもこれがいる。

 だから今回は最初から外した。

 今は、ポケットの中だ。

「わたし、遊びにいくからね。ちゃんと家、教えてね!」

 分かれ道で千鶴子と別れると、ほどなくしてアパートが見えてきた。

 こっくりさんに荒れに荒らされたものだが、今ではきちんと片付けられている。

 かん、かん、かん、と階段をあがって、二階へ。

 奥の扉へ向かい、ドアノブを回す。

 薄暗い、いつもの殺風景な景色が開かれる。

 入居時と比べて、だいぶ物が減った。

 壊れたものを捨てたからというのもあるが、それ以前に、ここにものを置かないということも原因にあるだろう。

 中に入ってすぐ、内側からドアノブに鍵をいれて回す。

 がちゃり。

 そんな音がしたのを確認してから、私は入ってきたばかりのそのドアを、もう一度開いた。

「おや、お帰り」

「……ただいま戻りました」

 そこにあったのは、アパートの前から見えるのどかな住宅街ではなく。

 あの日と同様、フローリングが反射して光る、鬼の社だった。

 奥から、あくまさんがするすると滑るように歩いてくる。

「なんだ。オセは一緒じゃないのか」

 彼女は私を一瞥すると、そんなことを呟いた。

「呼べば来ますけど、呼びますか?」

「いいや。とくに用はない。……いいなあ。私のときは、四六時中べったりと憑かれたものだったが」

「?」

「ああ、気にしないでくれ」

 そもそも事情が違うしなあ、とあくまさんは何か呟きながら奥へと消えてしまった。

 私もつられてそちらへ向かう。

 途中の台所で、黒髪の整った顔立ちの男と擦れ違った。

「バアルさん」

「ああ、お帰り」

 あの日みかけた彼は、名をバアルというそうだ。

 あくまさんと一生を誓い合った仲だとか、あくまさんに一生憑くのだとか、よく私には理解できない関係である。

 そのうちわかるようになるのかもしれない。

 彼は台所の戸棚をごそごそと漁っていた。悪魔も飲み食いをするものらしい。

 ただ、オセはさほど重要視していないようだが。

「なあ、この前の紅茶はどこにしまったんだ?」

 バアルが、あくまさんの方に向かって呟いた。

 どうやら紅茶の缶を探しているらしい。

「オルカさんから貰ったやつ? そこになかった?」

「ない。飲んでしまったか?」

「いや、全部は飲んでない」

 あくまさんがしびれをきらして歩いてきた。

 手にはカップを持っている。

「私は今の今までココアを飲んでたからな。今日はそれに触れてない」

「ふうむ。……さしずめ、紅茶紛失事件、といったところか……」

「そんな事件あってたまるか。同僚でも魔法でも使って、探し出せ!」

 ……賑やかな喧騒から少し離れて、私は、この社内で、私に割り当てられた部屋に入った。

 あの夜、私はあくまさんからとある申し出を受けた。

 今後、悪魔と契約したものとしてレクチャーや、手ほどきを受けるかわりに、彼女の仕事を手伝うというものだった。

 住み込みで、三食きっちりついている。

 給料的にも危険は伴うものの、まあ、悪くない。

 そもそも悪魔と契約した者として、二度とこの事実が消せないのだから、こういう方向に進んでいくほうがいいのかもしれないと思った。

「……ふう」

 ぼふっ。

 貰ったベッドに体を投げる。

 不意に、ずるりと、影からオセが這い出てきた。

「名前が出ていたように思えたが」

「え、こっちの会話聞こえてるんです……?」

「それなりには。ただよくは聞こえないものでな。事件、という単語が聞こえたような」

「ああ、それは大丈夫です。痴話げんかみたいなものの延長なので」

「? そうか」

 オセは、スーツの襟をただすと、私の椅子に腰掛けた。

 手には読みかけらしき本がある。

「きいたところによると、『高校』というものはテストというものが定期的にあり、ソレが悪いと留年したりするそうだな」

「まあ、そんなところですけど」

「仮にも俺と契約しているものが、そのような失態は絶対に許さない。これから定期的に貴様へ教養学の教授を行う」

「……はい?」

「この世でどのように生きるか、で魂の質は変わっていき、死ぬ間際にその価値は決まる。どうせ得るのならば、宝石のような輝きを持つ魂がよいに決まっているだろう」

 私は固まった。

 今、私の耳に聞こえた単語を要約していくと、オセがこれから私に勉強を教える、といっているように聞こえた。

 それも、私のためというよりは、最終的には自分のために。

 魂がどうのこうの言っていたが、もうそれは理解の範疇を超えている。

「お前は原石だ。磨けば輝く宝石だ。俺は、それを磨く術を知っている」

 豹頭が近い。

 どことなくかっこいいのがずるい。

 そうではないと知っているけれど、まるで──そうだ、まるで、口説かれているみたいだ。

「であれば磨かない選択肢はない。覚悟しろ、お前は俺の宝石だ」

 いい逃げるように、オセはまた影に沈んでいった。

 私は膝を抱えた。

 顔を膝にうずめて、必死に頬を冷やす。

「……他意はないんだろうけど……、照れる……」

 ほどなくしてあくまさんの声がした。

 夕飯は外に食べにいくそうだ。

 私が慌てて出て行くと、珍しく影から再びオセも出てきた。

 これから始まっていく高校生活は、私の最初に望んだものではないけれど。

 千鶴子が生きていて、伊野くん、は引っ越してしまったけど生きていて、こっくりさんもどこかで生きている。

 たったそれだけの要因だったけれど、私は満たされていた。

「……あれ。待ってください。オセ、そのままで行くんですか?」

「? ああ。他者に俺の顔は人間のように見えている。問題ない」

「ええ……便利……」

 すたすた歩くオセの背中をしばし呆然と見つめたあと、私は慌てて彼らを追いかけた。

 そうしてそのすぐあとを、聞き覚えのある声も追いかけてきた。

「ちょっとー! 誘っておいて、おいていくとか、そういうのひどいじゃないー!」

 こっくりさんである!

 嘘、と目を見開いたのもつかの間、彼女はニタリと怪しげに微笑んだ。

「大丈夫よ、別に、もう恨んだりしていないわ。盗って食ったりしないから、安心なさいな」

 ぽんぽんと尻尾が私の頭を撫でた。 

 それから、しゅるりと尻尾は私に巻きついて、そのまま宙へとあげられてしまった。

「えっ、えっ」

 私、あせる。

「ほうら、貴方たちのだぁーいじなルーキーちゃん! 貰っちゃうわよー!」

 そんなふうに声を上げながら、こっくりさんは私ごと前を歩くあくまさんたちを追いかけた。

 それをみたオセがこっくりさんに蹴りをかまし、私を救出したのはおおよそ数秒間のことだった。

 賑やかな声に囲まれて、私は、──久方ぶりに、頬を緩めた。

 

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鬼の社のあくまさん 黒谷恭也 @hixfi

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