第三話「こっくりさんの倒し方」

 一ヶ月前から、その奇妙な遊びは始まった。

 誰かが言い出したことだ。もう誰も何も思い出せはしないが。

 遠い昔に忘れ去られた『こっくりさん』なる遊びを、誰かが始めたのだ。

 最初は小さな火のように、ひとつのグループで盛り上がっただけだった。

 こっくりさんに願いを叶えてもらえた、こっくりさんに未来をきいた、こっくりさんに、こっくりさんに……。

 噂は燃え広がり、炎上し、瞬く間に大きな火となった。

 もくもくと、ひとつの中学校の、とある教室であがった火。

 一番最後に炎に巻かれたのは、卒業を間近に控えた、男二名、女三名の五人グループだった。

 水野健吾。

 伊野章吾。

 花村美月。

 月城陽菜。

 北川千鶴子。

 乗り気であった水野に引っ張られる形で、伊野、花村、月城、北川はこっくりさんを行った。

 一回目は成功であった。

 こっくりさんなるものを無事に呼ぶことができ、彼らはきちんとお帰り願った。

 二回目も成功であった。

 呼び出しに成功した彼らは、とある未来を占い、きちんとお帰り願った。

 三回目も成功であった。

 段々と自信をつけたのか、彼らはこっくりさんを行うことに対して抵抗を失っていた。

 未来を占い、過去を尋ね、果てはその先にある高校生活についてもたずねた。

 そうして迎えた──四回目。

 ここで彼らは、致命的なミスを犯す。

 こっくりさんに捧げるお揚げを、忘れてしまったのである。

 こともあろうに、そのことに気がついたのはこっくりさんを行う直前のことだった。

 まだ取りやめることは可能だった。

 けれど、それをしなかった。

「いいよ、大丈夫だよ。次に持ってくるっていって、騙せばいい」

 水野はそういうと、他の四名に遊びを強要した。

 伊野はいつもどおりニコニコとして引き受け、花村も月城も多少戸惑いながら十円に手を置いた。

 最後まで渋ったのは北川だけであった。

「なんだよ北川。お前、裏切るのかよ」

「ち、違う、違うよ」

「お前のために、お前の友達が戻ってくるかどうか聞くっていうから今回集まってるんだぞ!」

「……ご、ごめん、やる、やるよ」

 水野に凄まれて、北川は十円玉に手を置いた。

 ──結果として、五名のこっくりさんは失敗した。

 お揚げがないままに呼び出したことにこっくりさんは大激怒し、彼らがお帰り願っても帰ることはなかった。

 それどころか、こっくりさんは彼らに予告した。

 今晩から、毎日一人。

 五日間かけて、お前たちの魂を奪うと──予告した。

「……これが、俺の知ってる全てです」

 伊野くんは、私とオセの前にうなだれながら、そう呟いた。

「だそうだ」

 喋らせた張本人であるオセは、悪びれもなく、私にそう告げた。

 私は困惑していた。

 いつもニコニコと笑顔で元気ハツラツだった彼に、その面影はもうない。

 憔悴しきっていて、戸惑っていて、──首に、ぐるぐると黒いもやが巻き付いている。

「残り五分。さあ、お前の判断を聞こうか」

「…………」

 鬼の社で、私が願いを告げた直後。

 オセは私に講義を開始した。

 まず、私の願いはどうすれば叶うのか。

 こっくりさんの記述が書いてあるウェブページを開いてみせると、オセはそれに釘付けになった。

 時間もないのに、どうしてそんなことをするのか戸惑っていた私に助言をくれたのはあくまさんだった。

「悪魔への指示は的確でなければならない。その手法を彼ら任せにすることはできるけど、そうなった場合、過程は軽視され、君が意図しない形で結果を得ることもある。猿の手現象というのだけれどね」

「そんな……」

「肩を落とさない。彼らだって、自己流の方がラクに決まってるんだ。むしろ彼だからこそ、ゆっくり、時間をかけて着実に君に手段を講義してくれるんだよ。望まない過程に絶望したくはないだろう?」

「……はい」

「まあ、まだこの建物内だからね。時間は進まない。ゆっくりしていきたまえ」

 あくまさんはそんなふうに呟くと、席を立って別の部屋に消えていった。

 かちゃかちゃと音がしているので、台所か何かに行ったのだろう。

 ほどなくして、オセは私にスマホを返した。

「失敗したから魂をとる。そういう契約のもと行われた遊びということだが、その失敗とやらはきいたのか?」

「え?」

「何をどう間違えたのか。それはきいたのかと尋ねている」

「……いえ、きいてません」

 きかなかったというよりは、きけなかったのだ。

 何一つ詳しいことは聞けなかった。

 伊野くんは私に『関係ないのだから関わるな』と言い捨てて、走り去ってしまったのだから。

「それではまず、それを聞かねばなるまい。それ次第で、選択はいくつかに絞られる」

 オセは指をパチンと鳴らすと、どこからともなくホワイトボードを出現させた。

 もはや魔法だ。

「まず一つ、『失敗』が『向こう側』の誘いによるものだった場合」

 きゅっきゅというボードマーカーの音が、授業を思い出させた。

 もしオセの頭が人間のものだったなら、よりいっそう授業感が出ただろう。

 オセはぐーっと向こう側という部分に赤い線をひいた。

「この場合は、こっくりさんなるものに『誘導』という観点で責めることが出来る。言葉による交渉で、あるいは何とかなるかもしれん」

「交渉……」

 果たして話は通じるのだろうか……。

「次に、『失敗』が取り返しのつくものだった場合」

「取り返し……?」

「もう一度儀式を行うことで、それが取消可能である場合だ。たとえば、同じメンバーで『お帰り願う』ことが可能だった場合、ゲーム内での交渉となる」

「それって、私はメンバーじゃないし、私にできること、あるのかな……。千鶴子は、目を覚まさないし……」

「不可能というほどではない。俺の能力で何とかなる」

 オセはそう言い切った。

 何かよくわからないが、秘策があるようだ。

「それからもう一つ。『失敗』がこちらの一方的な過失であり、『向こう側』には一切非がない場合」

 オセは、ボードマーカーをしまった。

 それから、トントンとボードを叩く。

「この場合はもう二択だ。考えうる最悪のケースであり、言葉での交渉はもう難しい」

「……それって、つまり、こっくりさんを、殺す、てこと?」

 私は、恐る恐る、呟いた。

 オセはゆっくりと頷いた。

 脳裏には、あの綺麗な女性が浮かんでいた。

「でも、でもそれは、こっくりさんには非がなくて、責められる所以がない場合で、つまりは……」

「そう。お前に止められる義理も、殺される義理もない」

「…………」

「……だがお前はそうしたいのだろう? そうまでして、友達とやらを助けたいのではないのか?」

 赤い目が、試すように私を見つめる。

 私は深呼吸した。

 相手を殺してでも、千鶴子を助けたいのか?

 そう聞かれると、迷ってしまう。

 それでは、──それでは。

 この、──この、名前のない苦しい思いは。

 いつまでも、胸に残ったままになるのでは──。

「人というものは身勝手だ。自分の都合で相手を殺す。そういう生き物だ。戸惑う必要もあるまい」

 オセの言葉が、頭から浴びせられる。

 それは嫌というほど知っていた。

 心無い言葉を平然と吐く。大人も子供もみんなそうだ。

 人間の特質なのか、あるいは……。

「せいぜい悩め。しかし、時間はかけてやれない。これから、伊野章吾とやらの元へ行き、隠された真相をきく」

「え、こ、これから? でも、あと十分で、千鶴子が!」

 私は慌てて立ち上がった。

 そうしている合間にも、オセはもう一度パチンと指をはじいて、ボードマーカーを手元から消し去っている。

「調停者。このままでも構わんか?」

「ええ、結構ですよ。こちらで処理させていただきます」

 離れた場所から、あくまさんの声がした。

 どうやらまだ別の場所にいるようだ。

 オセは、私の手を引くと、そのまま、来た廊下ではない、別のドアに向かって歩き出した。

「え、あの、こっちは、外では」

 いや、それよりも千鶴子が、と口に出しかけて、わぶ、とオセの腹あたりに顔をぶつけた。

 彼はいつの間にかコートを羽織っていて、その内側に私をいれると、ドアノブをひいた。

「案ずるな。五分で聴取、五分で勝負に出る」

「えっ!」

「伊野章吾に会ったら、まず俺に『この者の隠された物事を暴け』と命じろ。いいな? 迷うなよ」

 有無を言わさず、オセは私ごとドアをくぐった。

 何、なんていえって? なんて聞き返すことも叶わなかった。

 スーツの内側が見えるばかりで、私の視界にはその向こう側が見えない。

 ほどなくして耳には聞きなれた音が届きはじめた。

 スーツが視界から消えて、景色があらわになる。

「……え、何、何で、黒田が……」

 そこに伊野が立っていた。

 見慣れない教室の真ん中。

 一つのテーブルと、五つの席。

 三つには遺影のような写真が並んでいて、二つ、席が空いている。

「伊野くん……これは、一体……」

 彼の首には、相変わらず黒いもやが巻きついていた。

「関係ないって……お前は関わるなっていったのに」

 彼の顔には、いつもの笑顔が張り付いている。

 私には、それがひどくおぞましく見えた。

「……」

「あっ」

 くい、とオセに服をひかれて、私はハッとした。

 そうだ、確か──

「……オセ。この者の、隠された物事を、暴け」

「了解した」

 オセは短く頷くと、パチン、と指をはじいた。

 ──途端に、伊野くんはおかしくなった。

 青ざめて、苦しそうにうめいて、うごめいて、床にじたばたと転がって、それから、うつぶせになりながら声をあげた。

 そうして、冒頭──あのように、全てを苦しそうに、話した。

「……これが、俺の知ってる全てです」

「全て? 戯言を。では、これはなんだ?」

 驚いた。

 私の声だ。

 私の声で、オセが、伊野くんに話しかけている!

「う、うう、これ、は、これ、は……!」

 伊野くんの様子がおかしい。

 私は慌ててオセを見た。

 けれど彼は何気兼ねなく、手を緩める様子はない。

「……こっくりさんを呼んで、俺だけ、助けてもらおうと、思って」

「えっ……」

 思わず声が漏れた。

 今、なんて?

「み、水野も、花村も、月城も、みんな、死んだ、から、もうお帰り願えない……だから! 俺だけ、俺だけでも、助けてもらおうと思って……!」

 彼は教卓の上を指差した。

 そこには、たくさんのお揚げが乗っていた。

 湯気が出ていて、意識を向ければ、確かによい香りがしている。

 私は、そこで、ようやく気づいた。

 椅子に座らされている写真は、彼の言う、水野くん、花村さん、月城さんであると!

 空いている席は、千鶴子と、伊野くんの分なのだ。

「お揚げをくれたら、俺だけは、その分延命させてくれるって、言ったから……」

 そう呟いたあと、伊野くんは解放されたように荒く呼吸していた。

 誰かに無理矢理喋らされていた、と思わせるような行動だった。

 オセが、何かしたことはわかっているが、彼のしたことといえば、指をはじいたことくらいだ。

 そのほかには、何もない。

「だ、そうだが」

 オセは赤い目を私に向けた。

 私は困惑していた。

 いつもニコニコと笑顔で元気ハツラツだった彼に、その面影はもうない。

 憔悴しきっていて、戸惑っていて、──やはり、まだ首に、ぐるぐると黒いもやが巻き付いている。

 オセは懐から懐中時計を取り出して開くと、ぱちんと閉じた。

「残り五分。さあ、お前の判断を聞こうか」

「…………」

 私は、ぎゅ、と拳を握り締めた。

 考えうる最悪のケース。

 こちらにしか非はなくて、こっくりさんにはまったく非がない。

 オセは拳を鳴らしている。

「……こっくりさんを呼ぼう」





 ひらがなが五十音順に並べられた紙。

 鳥居と、「はい」「いいえ」の文字。

 その上にのった十円玉の上に、伊野くんと、指を置く。

 こっくりさんの最低限のルールは一つ。

 決して一人ではしないこと。

 つまりもし、伊野くんが始めてしまっていて、私たちがここにくるのが遅かったら、彼は助からなかっただろう。

 伊野くんは、ひどく憔悴していたが、オセがそのへんをなんとかしてくれた。

 今、彼にほとんど意識はない。

 半分ほど、オセが操っているような状況である。

「こっくりさん、こっくりさん。どうぞおいでください。もしおいでになられたら、『はい』へお進みください」

 私がそういうと、少し間をおいて、まず冷たい空気が漂ってきた。

 十円玉がゆっくりと動く。

 ……『はい』へと。

「こっくりさん。私と遊んでもらえますか?」

 今度は、十円玉が並んだひらがな方へ動いた。

 ゆっくり、ゆっくりと、ひらがなの上を通っていく。

「……け……、……い、こ、く……し……た、の……に……」

 ふわ、と目に何かが掛かる。

 視界に、何か、黒い──

「!」

「どうして、邪魔しちゃうのかしらねえ」

 上──!

 上から、あの女性が──こっくりさんが、降りてきた……!

 十円玉から手を離しかけるが、ぎりぎりで踏みとどまった。

 彼女は、じろりと我々を見渡した。

「邪魔? 私はただ、貴方のルールに従って、貴方を呼んだだけです」

「あらそう」

 くるくると、私の上を回ったこっくりさんは、すとん、と私たちをまねて、置かれていた三つ目の椅子、空いているそこに座った。

「いいのかしら? こっくりさんは、遊びに本気だっていったでしょう。もうお揚げじゃ、見逃してなんてあげないわよ」

「……こちらこそ本気です。私と、ゲームで遊んでくださいますか?」

 十円玉から手を離さずに、そう告げると、こっくりさんはにっこり笑った。

 す、と十円玉が動く。

 ……はい、の方へと。

「いいわよ。でも貴方が負けたら、貴方の魂はいただく。いいわね?」

「私が勝ったら、千鶴子のことは諦めてもらいます」

「ええ、でもどんなゲームをするのかしら。電子機器類は、どうしても私、相性悪いのよねえ」

 くすくすと笑うこっくりさん。

「それに、その手を外したらルール違反よ。片手で貴方ができることってあるのかしら」

「…………」

 深呼吸する。

 いちかばちかの賭け。

 私ができることは、もう、このくらいしかない。

 ここに賭けるしか、ない。

「これです」

 私は、机の引き出しに隠してあった一つのボードゲームを取り出した。

 開発時期も流行った時期も、偶然にも『こっくりさん』と同じ年代。

 こっくりさんは、目を丸くした。

「白黒、つけましょう」

 そう、いわゆるオセロである。

「……こっくりさんである私と、オセロをしようっていうの?」

「ええ。単純なゲームですから、お互いの『知力』比べになるでしょう。私も不正ができないし、貴方も不正ができない」

「……、……ふうん。まあ、いいけれど」

 彼女の動向を見守りながら、私は震えそうになる体を必死に押さえつける。

 怖い。怖い。怖い。

 本当は、すごく怖い。

 今すぐにでも逃げ出したい。

(……大丈夫、落ち着け。私)

 深呼吸して、私は黒いそれを一枚手に取った。

「私から始めます」

「どうぞ」

 しばらくの間、教室内にはパチ、パチ、という静かな音だけが響いていた。

 たまに日中、テレビをかけると見かける将棋や囲碁の対局のようだ。

 こっくりさんもさほど何かするわけでもなく、盤面をひっくり返すでもない。

 遊びには本気、ルールには従う、というのはあながち嘘ではないようだ。

「…………」

「…………」

 戦況は五分五分だ。

 勝負を受けるだけあって、こっくりさんも下手というわけでも、このゲームに疎いわけでもない。

 ……私には秘策があるが、それも通じるか少し不安だ。

 十円玉に置いたままの指が、冷たくなる。

 静かな空間が、どんどん冷えていくような気がした。

 そうして、そんな静寂を破ったのは、こっくりさんの方だった。

「……それにしても、貴方、最初から思っていたけれど……変な子なのね」

「?」

「普通、助けるために電車には飛び込まないし、こっくりさんとオセロなんてしないわよ」

「……そう、でしょうか」

 ぱちり。

 盤面に、黒を置く。

 ぱちり、ぱちり、と白から黒へ裏返す。

「……きっと結子って名前の女はみんなそうなのね」

「え?」

「いいえ、なんでもないわ。こっちの話よ」

 こっくりさんはそうつぶやくと、白を置いた。

 ぱちり。ぱちり。ぱちり。

 黒が、白に返される。

 気が付けば盤面は白が多くなっていた。

 まだ角こそどちらもとっていないものの、黒が真ん中に少しあるだけで、ぱっと見は黒が少なすぎる。

(本当にこれでいいのだろうか……)

 ぱちり。

 黒を置く。白を黒へ。

 けれど足りない。全然、足りない。

「うふふ。さあ、ここからどうするのかしら?」

 狐のしっぽがゆらゆらと揺れている。

 ──いいや、そうだ。信じるしかない。

 千鶴子は助ける。もう、お前だけ助かったのか、なんて、言わせるものか!

「……いいえ。ここからです」

「? ……!」

 ぱちり。

 黒を置く。白を黒へ返す。

 そこでようやくこっくりさんの目が見開かれた。

「な、うそ、ここしか、置けな……!」

 盤面は白ばかりだ。

 もはや、置く場所は限られている。

 そうして、置く場所は──角の一つ手前。

 つまりは、次手で私に角をとられる場所しか、ない!

「いいえ、いいえ、この数をひっくり返すなんて、そんなことは──」

 ぱちり。

 ぱちり、ぱちり、ぱちり。

「く、ぱ、パスよ」

 ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。

「……パスよ……」

 ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり。

 ぱちり。ぱちり。ぱちり。ぱちり、ぱちり、ぱちり。ぱちり。

「…………!」

 そこから先は私の独壇場だった。

 こっくりさんの置ける場所は限られていて、私は白から黒へ、たくさんの枚数を一度に掃除するように返す。

 ほどなくして盤面は白から黒へと染まり、そこからは数分で決着がついた。

「……嘘……」

「私の勝ちです」

 そう宣言すると、こっくりさんはキッとこちらをにらんだ。

 まだだ。まだ、終わってはいない。

「それでは千鶴子のことは、あきらめてもらいます。……おかえりください、こっくりさん!」

「く、くくく、くくくくくく!」

 こっくりさんは椅子からするりと消えると、私の真後ろに立った。

 それから、私の首元に手をかける。

「誰が帰るものか! まだ三人だ! 三人しか食っていない! あと二人は食えるはずだった! お前のせいで、お前のせいで!」

「──あぐ!」

 ぎゅう。

 ぎゅううううううう。

 力いっぱいに、喉が締められる。

 苦しい。苦しい。苦しい。

 目が霞む。これが、死にかけるということだろうか。

 炎に巻かれるよりは怖くないのだろうが、ああ、それでも。

 足先から、指先から冷えていくのは、少し、怖──

「それは契約違反という」

 有無を言わせなかった。

 次の瞬間には私の首から手は離れていて、ドッという鈍い音がした。

 十円玉から指を離さないように振り返る。

 ──私の背後に、豹頭の男が立っている。

「オセ!」

「よくやった。上出来だ」

 彼の腰には、いつのまにか剣が提げられていた。

 するり、と彼は剣を抜いた。

「……この匂い……、西洋悪魔……!」

 こっくりさんの形相が変わる。

 オセに対して、憎しみをいだいているようだった。

「貴様、悪魔と契約していたのか! あのゲームも、この悪魔の入れ知恵か……!」

 にらみつけられると、身がすくんだ。

 勝ち方は確かに教わったが、発案は私だと胸を張って言う勇気は、今の私にはなかった。

 こっくりさんの全身が逆立っていた。

 今にも襲い掛かってきそうだ。

「無効だこんなもの! ああ、ああ──腹が立つ! 私のことを、ナメやがって!」

「そうは行きませんな」

「!」

 次に現れたのは、あくまさんだった。

 教室のドアから、普通に入ってきた彼女は、にこやかに微笑んでそう言った。

「貴様……!」

「お久しぶりです、キコさん」

 あくまさんは、そういうと恭しく頭を下げた。

 どうやら知り合いのようだが……。

 これは、一体……。

「ただの悪魔使いが、都市伝説面しているかと思えば……自分と同じ名前を持つ娘に同情でもしたか、小娘!」

「いいえ? 私は私の仕事をしているだけ。そんな同情、持つわけもないでしょうに」

 ぽん、とあくまさんは私の肩に手を置いた。

「子供は過ちを犯すもの。反省しない子はまだしも、自ら行動を起こそうとしている子供に手を貸さない、というのもひどい話でしょう」

 ぱちん、とあくまさんは指を弾いた。

 彼女の影から、何かが、何かが這い出てくる……!

「素直に帰っていれば、何の問題もない。貴方に落ち度はなく、非はなかったのに」

 黒いそれは、徐々に形を作っていって、やがて男の形をとった。

「この娘の首を絞めたのは、失敗だったな」

 続きをしゃべったのは、その男だった。

 黒い影が色を得ていき、現れたのはひどく顔の整った男だった。

 身にまとった黒衣は、こうなる前にみていたのならば中二病か何かを疑っただろう。

 ──しかし、今ならばわかる。

 彼は、きっと、ニンゲンじゃない。

 雰囲気が、どちらかというと、そうだ、オセと──。

「お前が無理にでもやるというのなら、不本意ながら、こちらもお前を殺してでも止めなければならない」

「……く、まだそいつに憑いていたのか……!」

「無論。将来を誓い合った仲なのでな」

 自慢げにそういうと、あくまさんは対照的に呆れ顔になった。

「いや誓い合ってはいない」

「誓い合っただろう」

「合ってない」

「……そうか……」

「しょげるな……こんな状況で……」

 オセと、彼は一度だけ視線を交えると、すぐにお互い視線を外した。

 こちらもこちらで、知り合いなのかもしれなかった。

「…………ああくそ! くそ! くそ!」

 こっくりさんはひどくいらだったように、教室の机をぶっ飛ばして回った。

 八つ当たりをする子供のようだった。

 私はオセにアイコンタクトをした。

 オセが、ぱちりと指をはじく。

「あの」

「何よ!」

 声をかけると、こっくりさんはすさまじい形相でにらみつけた。

 この間、記憶も意識もほぼなくただ救われている伊野くんが、一番幸せなのかもしれなかった。

「水野、伊野、月城、花村、北川の五名にかわって、お詫びします。ルールを無視し、お揚げを用意せず呼び出したりして、本当に申し訳ありませんでした」

「…………」

「たくさんお揚げを用意しましたので、どうぞお持ちになっておかえりください」

「…………」

 オセが、どっさりとお揚げを机に置いた。

 ビニールの袋いっぱいにいれられたそれは、熱々で汗をかいている。

 私がオセに頼んで用意してもらったものだ。

 伊野くんの用意したものは冷えていたし、用意した動機がよくなかった。

 こっくりさんは、じとっとした目でこちらを見たが、ほどなくして力なく肩を落として、お揚げのたくさん入った袋をとった。

「……してやられた気分だけれど。まあ、頂いておくわ」

 そうつぶやいて、彼女はいまだ人差し指の置かれた十円玉を、ゆっくりと「はい」へ動かした。

「覚えておきなさい。本当に、次はないのだからね!」

 こっくりさんはそう叫ぶとぽんっと消えてしまった。

 十円玉が鳥居に戻る。

 終わった。これで、ようやくのこと、すべて終わったのだ。

「上出来だった」

「……はい」

 オセはそう呟いて、ふっと姿を消してしまった。

 それと同時に伊野くんが椅子から崩れ落ちる。

 支配がきれたのだろう。

「うん、上出来だったと私も思うよ」

「あくまさん……」

 彼女はスマホを取り出していて、どこかへ連絡しているようだった。

「ああ、ちょっと救急車をね。伊野くんだっけ? 彼を一応病院に運んだ方がいいかなと」

「え、いま、私の心、読みました?」

「さあ、どうでしょう?」

 それより、とあくまさんは言った。

「早くここから立ち去らないとね。何しろ、世間一般にはこっくりさんも心霊現象も悪魔も、架空扱いだ! 下手をすると君も私も精神病扱いされる!」

 あくまさんに手をひかれて、私は学校を後にした。

 私が本来通うはずだった、通うことはなかった中学校。

 そこに伊野くんを置き去りにして、私はあくまさんと、鬼の社に戻った。

 胸がドキドキしていた。

 今度は、生き残った。

 私だけじゃなくて──ほかのみんなと、一緒に。

 そう思ったら、胸のつかえがどこかとれた気がした。

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