1-2 なぜ「性表現」ではなく「性暴力表現」なのか

 本論では、一般に性表現と呼ばれるものを全て「性暴力表現」と呼称している。ここではその理由を述べる。


 ここで好んで「性暴力表現」という呼称を用いる目的の1つは、暴力的ではない性表現と区別をつけるためだ。

 ただし、暴力的ではない性表現と、暴力的な性表現の境界はあいまいである。この点は第4章で述べるが、発展的な議論になり得るため、ここでは深く踏み込まない。


 想像が難しい人は、とりあえず性暴力表現と共通して理解されるであろう、レイプ物のポルノを想定してもらえればいい。


 ちなみに、このようなポルノを製造する際には、被写体となる女性に対する人権侵害が問題となることがある。これは重要な問題だが、本論とは関係がない。被写体への権利侵害があろうがなかろうが、性暴力表現は性暴力表現である。故に、二次元と三次元の区別もない。


 本論で「性暴力表現」という呼称を用いるもう1つの理由は、「暴力」であることが重要な点であるためだ。


 本論は、後で述べるように、性暴力表現が女性への権利侵害であるという点をベースに議論を組み立てている。その際に性暴力表現が暴力表現であることが重要になってくる。裏を返せば、暴力表現ではない性表現は、この議論による批判を免れうる。そのため、性表現と性暴力表現の区別をする必要があった。


 もっとも、前述のように性暴力表現の射程は読者の想定よりも広い。だが、本論の最大の目的は、ゾーニングを肯定する理論を理解してもらうことにある。


 そのため、まず異論の出ない性暴力表現としてレイプ物のポルノを想定した議論を進め、その後、ほかの、より「微妙な」性暴力表現へ範囲を広げるかたちをとる。


 なお、本論では平均的な事例として、女性を被写体とした性暴力表現を想定している。もちろん、本論を進めるうえで女性をほかの性別に置き換えても支障はないだろうが、性暴力表現の問題は被写体が女性であることから端を発している部分も多い。そのため、まずは女性を扱う性暴力表現について議論を理解してから、ほかの性別へ応用するほうがよいだろう。

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