17.勇者と魔王の物語⑨
「……あり、がと……」
最期の力を振り絞り、従士アイリアは感謝の言葉を、グレンに遺した。
約三年間に渡った旅――それだけではない。イストミアの町に生まれたときからずっと、二人は幼馴染として人生を共にしてきたのだ。
そして今。
二人の旅は……二人の人生は、幕を閉じようとしていた。
勇者と魔王、その運命の果てに。
「……なあ、アイリア?」
「……うん」
「幸せだったな」
「……幸せ、だったよ」
アイリアの瞳から、少しずつ光が失われていく。
グレンは彼女の手を優しく握り続けていたが……その手の力が抜けていくことを、意識せずにはいられなかった。
それから一分と経たずに。
アイリアは静かに、眠りについた。
もう二度と目覚めることはない。
彼女はもう、グレンの手の届かぬ場所へと、旅立ってしまったのだ。
「……ごめんな。終わりにできなくて」
懸命に答えを探し求めて。
全てに終止符を打てることを、願い続けて。
それでも結局は……駄目だった。
この時代に、勇者と魔王の因果を打ち壊すことはできなかった。
自分の無力さを嘆いた。
残酷な世界の仕組みを恨んだ。
何度も泣き伏して……それから決意した。
せめてこの連鎖を、次の『自分』が止められるようにしなければ、と。
「……はあッ……」
もう間もなく、彼自身の命も尽きる。
従士の命が尽きるのと同じく、それも逃れえぬ運命だ。
けれど彼らは、幾つもの下準備を行っていた。
未来の勇者へと、自分たちの思い……そして力を受け継ぐために。
「……便利なもんだな、絶対封印ってのは」
グレンは、アイリアにとある頼み事をしていた。
それは、絶対封印を使ってもらうことだった。
アイリアが魔王化する直前。彼女はまず、自身の『記憶』に絶対封印を施した。
勇者と魔王の魂は輪廻する――そのシステムの陥穽を突くためだ。
この世界での死後、勇者と魔王の魂はそれまでの経験をリセットされた上で地球へと送られる。
そうして地球で善悪のエネルギーを溜め込む器として機能した後、また経験をリセットされてリバンティアへと送られるのだ。このとき魂はイストミアに存在する勇者・魔王候補者と混ざり合うが、真っ新な魂が入るだけなので当人がそれに気づくことは絶対にない。
この『リセット』を一度防ぐことができれば、リバンティアで得たものを地球に持っていくことは可能なはず。グレンとグリーンウィッチらはそう結論付けた。
つまり記憶を絶対封印によってガードしておくことで、アイリアの記憶は地球に転生しても維持されるのである。
――頼んだぞ、アイリア。
グレンは心の中で願う。
記憶を引き継いだアイリアがあちら側の世界で、あちら側の自分に素養を身に着けさせてくれるよう。
来たるべき日に、あちら側の自分をリバンティアへと『転移』させてくれるよう。
それはアイリアに、二度目の別離を強制してしまうということも意味していたが……彼女はこの計画を受け入れてくれたから。
未来の幸せを、信じてくれたから。
――だから、俺もしっかりやらなきゃな。
意識が薄れゆくのを感じながらも、グレンは行動を始める。
勇者の剣を両手で持ち……ゆっくりと、深呼吸をする。
アイリアに頼んだ絶対封印は、彼女の記憶以外にも二つの対象があった。
その一つはグレンの持つスキル。もう一つは、勇者の剣そのものである。
絶対封印の効果範囲は、正直なところ発動してみなければ分からないところもあり、最低限必要な『コレクト』を中心にという条件でかけてもらっていた。
これで、グレンの魂が地球へ移っても、最低限『コレクト』のスキルは引き継げるのである。
勇者の剣に絶対封印をかけたのは、次の勇者が剣を引き抜けないようにするためだった。
なので『刺さった剣が引き抜けないようにする』という特殊な条件の封印を試し、それが正しく機能することを確かめて実行したのだ。
勇者の剣を抜かない限りは、剣との紐づけは起こらない。気付いたときにはゲームオーバーという状況にはならずに済む。
そこをクリアすることが、運命を乗り越えるためにどうしても必要だった。
「……ふう……」
そしてこれが、準備の総仕上げ。
グレンは覚悟を決めると、両手に持った剣の刃先を自分に向ける。
「……受け取れよ、未来の俺。……これが今の俺にできる、精一杯の贈り物だ」
躊躇うことなく、彼は一息に終わらせた。
鋭い切先を、自らの腹部に深々と突き刺した。
「っぐああぁああ……ッ!」
激痛に体を仰け反らせ、口からは鮮血を溢れさせて。
それでも彼は――最期に不敵な笑みを浮かべたのだった。
――なあ、お願いだ。
霞む視界、消える意識の中で、彼は思う。
――どうか、ハッピーエンドを。
後はもう、全てが闇の中へと沈むのみだった。
≪――条件達成確認、『コレクト』を使用しますか?≫
≪――条件達成確認、『コレクト』を使用しますか?≫
≪――条件達成確認、『コレクト』を…………≫
*
レオさんが、勇者の剣を構える。
僕はそれを止めようと手を伸ばし――けれども、やっぱり掴むことはできなかった。
「……ありがとう」
彼はもう一度微笑んだから、魔王と対峙する。
もう、覚悟は決まっているようだった。
「僕は……」
「何も悔やむことはないさ。元々こういう方法しかなかったわけだから」
「でも! ……僕たちは今日まで、それを変えるために……頑張ってきたんです」
「変えられただろ? だからトウマとセリアは、今もそこにいる」
「そんなこと……!」
違うんだ。
だからといって、誰かが代わりになるなんてことは、あってほしくない。
他の方法が、何かあって然るべきなんだ……!
「……さあ、行くぞ魔王。勇者として、その務めを果たしてやる」
善き者の象徴である勇者は、与えられた劔を振るいて、悪しき魔王を討ち滅ぼす。
善き力の器である勇者は……悪しき力の器である魔王と、その力を相殺させるのだ。
無尽蔵に近い悪しき力は……勇者の善き力によって、無力化される。
即ち、勇者の剣と封魔の杖の対消滅――。
「レオ! 駄目よッ!」
傷の癒えたセリアが、レオさんに向かい絶叫する。
抱きかかえる僕の腕に、彼女が立てた爪が食い込んだ。
「どうしてレオがそんなことしなきゃいけないのよ! もう誰も、この運命の犠牲になるなんて嫌ッ!」
「違うよ、セリア。これは犠牲なんかじゃない」
もう振り返りはせずに、レオさんは言葉を投げかける。
「俺は還るんだ。元より勇者の魂とは、一つの存在なんだから」
「違う! レオはレオよ!」
セリアの悲痛な訴えに。
レオさんの肩が、僅かに震えた気がした。
「……ありがとう、セリア」
彼は、ゆっくりと体を沈め……狙いを定める。
「君にそう言ってもらえるだけで。俺は俺の人生を、良かったと思えるよ」
「……駄目ええぇええッ!」
レオさんが魔王と武器を交えた瞬間。
眩い光が世界を包んだ。
それは――とても眩しくて。
この張り裂けそうな思いとは裏腹な、とても綺麗な光で――。
音。
影。
揺らめくもの。
それらはほんの一瞬だけ世界に焼き付いて、すぐに消えた。
白。
塵。
……灰?
「――ああ」
白い腕。
その白は、彼の体全てを浸食して。
悪しき力との衝突を最後に……崩壊を遂げた。
レオ=ディーンの体は、白き灰となって、散った。
その存在が、初めからなかったかのように。
世界にその形を残すことすら、許されず。
レオさんは、彼に残された善き力とともに。
バラバラ、散り散りに消えていったのだった――。
「……レオ……」
カランと、勇者の剣が主を失って床に転がる。
その刃には深いヒビが生じ、やがて真っ二つに割れた。
それとほぼ同時に、魔王もまた封魔の杖を取り落とす。
杖は黒ずんだオーブが無残に粉砕され、柄の部分もまたポッキリと折れていた。
『……ア……アァ……』
悪しき力が、消えていく。
魔王の体が、見る見るうちに貧弱なものになっていく。
そんな、終焉の光景の中で。
セリアの慟哭が、ただただ響き渡った。
「どうしてなのよ! レオおおぉおッ!」
その問いかけに答えが返ってくることは、なかった。
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