16.勇者と魔王の物語⑧
『ファーガス、そしてリリス。そなた等は神に選ばれたのだ』
それは、何の前触れもなく二人に訪れた、啓示のような現象だった。
休日の買い物を終え、同居する小さなアパートメントの一室へ帰ってきた二人。少し休憩をしてから夕食の準備をしようかと考え、寝室で仮眠をとっていたはずなのだが、気付けば辺り一面真っ白な世界の中に放り出されていた。
夢なのだろう――そう結論付けた二人に突如として響いてきた声。
それこそが、今しがたの声だったのだ。
「……リリス。君、今何か聞いたかい」
「ええ……おかしなことを言っていたような」
神の存在については、二人ともどちらかといえば信じている方だったが、流石に状況が非現実的すぎてすぐには受け入れることができない。
しかし、そんなことをしている間に、また新たな声が聞こえてくる。
『ダン=ブラムの召喚に応じ……我らはこの世界に干渉させてもらった』
「ダン……?」
それは、知人の名前だ。
表向きは時計塔の管理人として、裏では宮廷占星術師として活動している、謎めいた知人。
とあるパーティで知り合ってから交流を始め、ごく最近彼の裏事情を知ったのだが……まさか、この異常事態は彼の魔術師としての仕事が関わっているのだろうか。
だとすれば、この声は決して人間のそれではない……。
『世界は争いに満ちている。そなたらも思うであろう?』
声は、突然そんなことを二人に問うてくる。
訝しさを感じながらも、その問いに対して二人は素直な答えを述べた。
争いのない世界が理想だと。
『ダン=ブラムは我々に対し、平和な世を願った。なればその願い、聞き届けようと相成ったもの』
「平和な世……?」
そんなものがもしも実現するなら、それに越したことはないが、どうして声の主は自分たちの元へやって来たのだろう。
超常的な存在に軽々しく質問など畏れ多いとは思いつつも、ファーガスはその点だけ訊ねることにした。
そして、答えは返ってくる。
『そなたらには、平和な世を築くために力添えをしてもらいたいのだ』
「力添え、ですか?」
『そう。そなたらに、平和を司る存在の一部を担ってほしい。代わりとして……永遠の魂を授けよう』
「え……永遠だって?」
あまりの展開に思考が追い付かず、二人はそっくりそのまま聞き返すだけになってしまった。しかし声は考える時間もくれずに話を進めていく。
『どうだ。そなたらにとって悪い話ではなかろう。ただイエスというだけで、そなたらの魂は永遠となる』
『我らとともに、平和を築いていこうではないか』
『さあ、我らとともに』
声は一つではなく、幾重にもなり。
二人を永遠へと誘う。
彼らは少しの間逡巡したが――結局は、声に背を押されたように、或いは耐えられなくなったように、答えてしまった。
つまるところ、彼らはこの選択をそこまで深刻な問題であると捉えられていなかったのだ。
「分かりました。世界が平和になるのですね?」
「ダンさんのお願いなら……」
否、それは決してダン=ブラムから彼らへ向けての願いではなかった。
声の主が、数ある繋がりの中から最も御しやすい人間を選んだだけである。
そして、思惑通りイエスと答えたファーガスとリリスに対して。
その存在たちは、確かに永遠の魂を与えたのである。
ファーガスとリリスは結局、最後まで思い違いをしていた。
声の主は神などではなく――悪魔だったのだから。
*
……少しずつ。
意識が鮮明になってくる。
それと同時に、激痛もまた全身に広がってきた。
「っぐぅ……!」
絶え間無く体中を突き刺されているよう。その苦しみに呻き声が抑えきれず、顔は汗か涙か涎か分からない何かで濡れている。
頭もガンガンと痛んで、耳の奥はキーンという音がこだましている。そう……僕たちは、魔王の爆発魔法によって吹き飛ばされたのだ。
「――ハイリカバー……」
一度の治癒では回復しきれないほど、体は酷い有様だった。むしろ腕の一本くらい、千切れていてもおかしくなかったほどだ。
二度目のハイリカバーで、何とか表面上の傷はほぼ無くなったが、倒れていた床には多量の血が飛び散り、その失った血の分、頭と体の動きは鈍くなっていた。
痛みも消えない。
「セリア……レオ、さん」
二人はそれぞれ別の場所に倒れていた。レオさんはまだ爆心地から離れていたので軽傷のようだったが、セリアはボロボロだ。意識を失っているのはむしろ幸いか。
「すまん、トウマ……」
レオさんは咳き込みながら、申し訳なさそうに謝ってくる。だが、謝るようなことはなにもない。あれは、どうすることもできない攻撃だった。
「セリアを……」
「……はい」
レオさんは、どうやら右足を負傷していた。それで起き上がれずにいたようだ。セリアの回復が優先だが、できれば彼の怪我も治してあげたい。
その余裕が、あればだが。
『……サセヌゾ』
魔王が次なる攻撃の体勢に入った。それを見、レオさんは必死になって体を動かす。ほとんど這うようにしながら、僕とセリアの壁になるような場所まで懸命に移動していった。
「――ハイリカバー……!」
治癒魔法の発動中、魔王は雷魔法を繰り出してきた。ヴォルティックレイン。上級魔法は直撃すれば致命的な威力だ。
「――光円陣!」
レオさんは陣を展開させ、それを防壁としてくれた。一度、二度、三度……激しい雷が襲い掛かるも、それらは円陣に激突して消滅する。
だが、魔法を完全に防ぎ切れているわけではなかった。その高威力に円陣の力が負け、一部がレオさんの体に到達していたのだ。
にも拘わらず、レオさんは歯を食い縛り、円陣を張り続けて僕たちを護ってくれた。
「……レオ……ごめん」
「……っはあ……これくらい、どうってことないさ。お前とトウマのためなら」
言いつつも、彼の体には雷の痕がくっきりと残り、それに右腕の浸食も再び始まっていた。
白い腕……。
やはり、こうなってしまうのか。僕は唇を噛む。
相手が傷つかない以上、どう足掻いても――こちらが消耗していって、最後には死ぬ。それだけだ。
どうすればいい。一体どうすれば魔王に勝てるんだ。
これまでの勇者はどういう風に戦い、あの再生能力を超えて魔王を討ち倒したというんだ。
――悪しき力。
そのとき、あっさりと答えが浮かんだ。
あまりにも当たり前、単純明快な答え。
でも、その答えは今、決して選べない答えなんだと。
だから選択肢から除外していたんだということにも、僕は思い至った。
――なのに。
「……レオさん?」
彼は、立ち上がった。
痛む右足にも構わず、彼は魔王を確と見つめる。
いや、それは違うのかもしれない。
彼が見つめているものは、もしかしたら。
「トウマ」
この場には似つかわしくない、優しい声色だった。
「俺も同じ勇者だ。答えは出てる」
その優しさが、僕には辛過ぎた。
「駄目です」
「いや、これでいいのさ」
そんなことはない。
何か方法はあるはずだと言いたくて。
必死に考えを巡らせ、悩んで――でも、何も閃きはしなかった。
絶望的な答え以外は。
「これは俺の、最初で最後のわがままだ」
それはきっと、様々な思いの果て、最後に残った感情だったのか。
「俺を勇者でいさせてくれ」
穏やかな笑顔を浮かべて、レオさんは僕たちにそう告げた。
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