15.勇者と魔王の物語⑦
勇者ダールがライン連合国へ到着したとき、国内では内乱が勃発していた。
従士であるイーディアとともに、戦地を避けるようにして旅を続けていた二人だが、あるときとうとう対立州の戦闘に巻き込まれてしまった。
魔物退治ならば、何百何千という数をこなしてきた彼らも、人と人の戦いでは勝手が違う。おまけにそれは、自分たちと何ら関係のない戦いだ。向かってくる者を倒して進むなどということは、二人にはとてもできなかった。
「待ってください、私たちは――」
「死ねッ、カークの愚民どもめ!」
幸福を勝ち取るため――いや、奪い取るための戦い。
人々は血眼になって武器を振るっていた。
そんな中で『人違いだ』と訴えたところで、聞き入れてくれる者はほとんどいなかった。
二、三度は危機を潜り抜けられたものの、すぐに絶体絶命の場面が訪れてしまった――。
「……くうッ……」
百人規模の戦場。
戦いは突発的に始まり、二人は抜け出すことが叶わなかった。
何とかイーディアは庇ったものの、ダールは脇腹に矢を受け、まともに動くこともままならなくなっていた。
薬も使い果たしており、イーディアの癒術士スキルも練度は低く、急いで逃げることは困難な状況だった。
「イーディア……君だけでも」
「嫌です! 私は最後まで、あなたと一緒にいます……ダール……」
愛おしい、とダールは思う。
ずっとずっと、ここまで共に戦ってきた最愛の女性。
だから……彼女が無意味に命を散らすことだけは、止めてほしかった。
自分のことなど放っておいて、今すぐに逃げ出し、生き延びてほしかった。
逆の立場なら一緒にいただろうに、ワガママだなとは思う。
それでも……。
「――貴殿ら。ラインの者ではないな?」
ふいに、天からそのような声が聞こえた。
いや、正確には違う。その声は頭上から聞こえただけだった。
顔を上向けると……そこには、馬に乗った男の姿が。
厳めしい装備に身を包んだ、壮年の男の姿があったのだった。
「戦に巻き込まれたか……ふむ、仕方がない。他国の者を傷付けることはあってはならないことだ……貴殿ら、少し狭いが、この馬の背に乗るといい」
「あ……」
予想もしていなかった助け船だった。
ダールとイーディアは弱々しい声ながら、ありがとうと感謝の言葉を述べ、馬の背に乗せてもらった。
男はすぐに、自身が所属する州の首都まで馬を走らせた。
そのおかげで、勇者と従士は事なきを得たのである。
首都に到着し、更に治療も施してもらった後、自分たちを助けてくれた男に二人は改めて礼を言う。
そのとき、まだ彼の名前を聞いていなかったことに思い至り、失礼ですがと名を訊ねた。
「私か。私の名は、オズマンド=エルヴィニオという。ライン統一を目指し、戦っている者だ」
時に、リバンティア歴七一年のことであった。
*
絶対破壊を発動させた上での一撃。
それは魔王の体を見事に貫いた。
ならば、これを繰り返せば勝機はある。
そう考え、僕たちは再び攻撃のチャンスを伺っていたのだが。
「……何だ?」
傷口に手を当てた魔王は、そのまま動かなくなる。
ダメージを与えられたことに困惑しているのかとも思ったが、どうやら違うらしいとすぐに気付いた。
「……え……?」
傷を押さえる手に、黒い霧が集まっていくのが見えた。
そして、霧が集束したとき、スナイピングによって生じたはずの傷は、跡形もなく消えていたのだ。
「か、回復してる……!」
「何だって!?」
苦労の末に与えられた一撃だったというのに。
その傷は、いとも簡単に回復されてしまった。
そう――あの体は魔力の結集体に近い。
多分、奴にはまだまだ悪しき力が十分に蓄えられているのだ……。
「ちょっと待って! 頑張ってダメージを与えても、すぐ回復されちゃうってことなの!?」
反対側で、セリアが表情を歪ませたまま聞いてくる。
その問いに、そんなわけないと返したかったけれど……事実は残酷なものなのだろう。
奴は、回復を繰り返す――。
「――あッ」
呆然としているところに、不意打ちがきた。
魔法ではなく物理攻撃――尻尾による攻撃が向かってきたのだ。
反応が遅れ、セリアも僕も直撃してしまう。高速かつ重量のある振り払いは、衝突したあばらの骨を砕くには十分過ぎる威力だった。
「ッああぁ……がはッ……!」
息もできなくなるほどの激痛。身悶えたくなるけれど、ジタバタと動けば更に痛みが増し、結局は棒のように固まったまま呻くしかなくなる。
何とか手を動かし、回復魔法で応急処置は施すが、骨がくっついても痛み自体は半分もマシにはならなかった。
「ぐう……」
体を起こし、同じように攻撃を受けたセリアを助けに向かう。彼女もまた、痛みに涎を垂らしながら仰向けに倒れていた。声すらも上げられず、ぶるぶると痙攣しながら必死に耐えている。その体にハイリカバーを唱え……最低限の治療は済ませた。
「危ないッ!」
弱っているところを見逃してくれるはずもなく、魔王は追撃を加えてきた。フリーズエッジ。今度は左右ではなく、上空に無数の氷刃が展開されている。
間に合うか――痛みに耐えながら武器を構えようとしていると、僕たちの前にレオさんがやって来た。
「――崩魔尽!」
降り注ぐ氷の刃。そのこちらに向かってくる部分を、レオさんは全て斬り砕いてくれた。
……間一髪だ。
「すいません、助かりました……!」
「謝ることじゃない!」
レオさんはそう言って笑ってくれる。だが、額には汗が滲んでいた。
もしかすると……彼の体はもう、スキルを使って戦うことすら致命的なのかもしれない。
「これが最後なんだ。やれるだけのことは、俺だってやるさ」
「……ありがとう、レオさん」
「もう一発、叩き込むぞ!」
レオさんは僕の手を掴むと、魔王に向かって駆け出した。
僕もすぐに動きを合わせ、魔王の懐に潜り込むような形になる。
防御から一転、反撃にうつったことで、魔王の反応が遅れたようだ。腹部がガラ空き、今なら一発叩き込める……!
「――絶対破壊」
手甲に力を宿し、全力で、打ち抜く。
「――爆ッ!」
魔力の障壁を無効化し、直撃した拳は、魔王の腹部で爆発を生じさせた。
手応えはあった。紛れもなくクリティカルヒットだ。
「っはあ……」
痛みに体勢が崩れたのを、レオさんが支えてくれる。
そして念のため反撃に備え、僕たちはセリアの近くまで後退した。
『……グガア……』
魔王は確実に、痛みに耐えるような苦悶の声を漏らす。
しかし、再び奴の手が腹部に向かうと、黒い霧がその傷を癒していった。
「くそっ……全快なんだったら、癒術士スキルより性質が悪いぞ……!」
「僕たちはダメージが蓄積される分、長期戦になればなるほど不利……ですね」
一撃が強烈だったため、僕はまだあばらが痛んでいるし、それはセリアも同じだ。眉間にしわを寄せながら、脇腹を押さえている。
少しずつ、ダメージが溜まっていけば動きも鈍り……やがては即死級の攻撃を浴びて終わり、ということになりかねなかった。
「……どこまでやれるか分からないけど、とにかく攻撃を通すしか、ない」
「ああ……全力で行け!」
持ち得る限りの力を、一気にぶつける。
それでどうなるかを見極めよう。
「セリア、サポートをお願い」
「うん……頑張る!」
痛みに耐えながらも、セリアは頷いてくれた。
もう一度、攻めに入る。
『――ヴォルテックレイン』
「――ギガフレア!」
雷と炎の応酬。その中を僕とレオさんで駆け抜けていく。
「右から尻尾!」
「うおお――震ッ!」
地面を抉り、柱を生じさせ、尻尾攻撃を防ぎ切る。土埃に塗れながらも減速することなく走り続け、もう一度魔王の懐へ飛び込もうとする。
そこに、頭上から鉄槌が。
「殴りかかって来てる!」
「ふッ……!」
武器を剣に換装し、振り下ろされる拳を流水刃で受け流す。拳が地面にぶつかり、衝撃が起こるよりも前に、僕は強く地面を蹴って、魔王の顔面近くまで跳び上がった。
無茶な動きだったが、レオさんも懸命に僕を追い、魔王の膝を踏み台のようにして、近くまで跳び上がってくれる。勇者の剣を掲げれば、ギリギリスキルの有効範囲内に入り。
「――絶対破壊」
後ろ手に構えながら、スキルを付与し、流れるように剣を振るい。
「――虚空両断ッ!」
魔王の顔に、最上級のスキルをお見舞いした。
『ッガァア……アアァア!』
斬撃により開かれる次元。魔王の上半身がその次元に呑み込まれ、数限りない斬撃を浴びる。浴び続ける。
肉が裂ける音。血の噴き出す音。そして苦痛に悶える悲鳴が十秒以上も辺りを満たし――空間が消失した後、魔王はガックリと両膝をつき、地面に這いつくばった。
「……これだけの、……ダメージなら」
流石に、かなり深い傷を負わせられたはずだ。
そして、魔王は今苦痛に悶えたままでいる。
ここであと一撃、重い追撃を食らわせられれば――。
「……と、トウマ」
「……え」
「ダメだ――」
レオさんが、掠れた声で告げた。
驚愕に開かれた目。僕が再び魔王の方を見ると……奴の体は、霧に包まれていた。
さっきから変わらず、奴はずっと四つん這いのような体勢のまま。決して手を触れてはいないのに……傷が治り始めている。
馬鹿な……そんな馬鹿な……。
「手をかざして、治してたわけじゃなかったんだ」
「そんなことをしなくても、回復する……」
じゃあ……どうすれば?
底無しのようにすら思える悪しき力を枯渇させなければ……魔王を倒すことは、できない……?
『――ビッグ・バン』
微かな声が、耳に届いた。
「しまった――」
世界が真っ白になって、全身が千々に裂かれるような激痛とともに、僕は凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
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