13.勇者と魔王の物語⑤
リバンティア歴一八六年。
勇者アイルズと従士トリシアがイストミアを旅立ってから二週間。
突如リバンティアを襲った大地震は、コーストンとグランウェールを繋ぐ自然の橋――通称ステップブリッジを崩落させた。
アイルズたちは幸運にも、地震が発生する前日にステップブリッジを越えたため崩落に巻き込まれることはなかったが、やはり唯一の陸路というだけあって人の往来が無い日はなく、崩落によって命を落とした人も数名いたとのことだった。
グランウェール領の小さな町でその事件を耳にしたアイルズとトリシアは、自分たちの幸運を嬉しく思うと同時に、命を落とした人たちがいることに悲しみを抱いた。あくまでも自然現象であり、どうすることもできない事件だったが……もう二度とそんな悲劇が起こらぬよう、心の中で強く願うのだった。
「それ、日記?」
風呂から上がったトリシアは、アイルズが何やら小さな手帳に文章を記しているのを目撃して訊ねる。アイルズは、多少の躊躇いの後にゆっくりと頷き、それからこう返した。
「元々、これは僕の習慣だったんだ。毎日じゃないから、日課とは言えないけれど。その日にあったことを記録しておくことで、未来の自分が思い出して、懐かしめるようにと」
「……そうなんだ」
トリシアは切なげに微笑む。
何故なら、彼女は知っているからだ。
勇者と従士が魔王を倒した後のこと。
未だに生きて帰ってきた者がいないという、歴史の事実を。
当然それは、アイルズも分かっている。
それでも書き続けるのだから、その日記は彼が言った用途には使われないだろう。
未来の彼が、日記を読んで懐かしむことはない。
それは、旅に出るより前の日記についても言えることだった。
「まあ……分かってはいるんだ。それでも、希望はあるかもしれないし」
アイルズは日記を畳みながら言う。
「それに、もしかしたら……僕の書いたこの日記が、勇者の旅日記として皆に読まれる。そういう未来もあるかもしれないでしょう?」
「……確かにね」
たとえ、自分が読めなくても。
自分の旅路を、生きた証を誰かに知ってもらえる。
彼にとって、それはせめてもの望みなのかもしれなかった。
「ちょっと、夜風に当たって来るわ」
アイルズにそう告げて、トリシアは部屋を出ていく。
一人にしてあげようと配慮してくれたのだろう。
彼女がいなくなると、アイルズは再び日記を開いた。
そして、旅日記を付け始めた一番最初のページを再読し……ふう、と溜め息を吐くのだった。
「良い習慣だね」
ふいに、見知らぬ男の声が聞こえた。
何故? アイルズは慌てて扉の方を向く。
そこには、間違いなく初対面の男が立っていた。
この男はノックもせずに、自分たちの部屋に侵入してきたようだ。
「だ、誰です……!?」
「いや、すまない。勇者が宿泊していると聞いたのでね、是非とも一度お会いしたいと」
「……だからと言って、勝手に入って来るのは遠慮してほしいんですが」
勇者に憧れを持つ人だろうか。ここまで過激な人は初めてだったが、まあいないこともないだろう。
これからこういう人が関わってくることもあるのだろうかと、アイルズは不安を抱く。
「本当に申し訳ない。……ただ、一つだけ言っておきたいことがあってね」
「……はあ」
「君が日記をつけていること。それはとても素晴らしいことだと思う」
「……それだけ、ですか?」
「ああ、それだけだ」
勝手に部屋へ入って来て、憧れの勇者に会って……言いたかったことが本当にそれだけなのだろうか。
アイルズはますますもって男のことが分からなくなる。
「あの……貴方は何者です?」
「私はしがない旅人だよ。しかし、そうだな……勇者を応援する旅人、と言っておこうか」
男は謎めいた笑みを浮かべながら、そう言った。
「君の記す日記は、きっと色々な人に読まれることになるだろう。私もそれを願っている。そして、その読者の中には次の勇者もいるはずだ」
「……そうかもしれませんね」
だから、と男は続ける。
「未来の勇者の道標となるよう、君には日記を書き続けてほしい。私はそう思っているんだ」
――この男は、一体何者なんだろう。
申告通りの、しがない旅人だとは流石に思えない。
「……ふ。まあ、年寄りの戯言とでも思っておいてくれ。君たちの旅を、私も応援しているよ」
そう言うと、彼は軽く一礼し、部屋から出ていこうとする。
それをアイルズは慌てて呼び止めた。
「す、すいません! ……その、貴方の名前くらいは聞いておいても?」
問われた男は、振り返ることはしなかったが、彼の望みに応えて自らの名を名乗った。
「私はダン=ブラムという。またいつか、どこかで会おう――勇者よ」
*
「――無影連斬ッ!」
ズズゥン……という衝撃とともに、ガーゴイルの巨体が地に沈む。
戦闘開始からほんの五分ほどで雌雄は決した。
セリアとナギちゃんという優秀な二人のサポートを受けつつ、楽に攻め込むことができたのだ。
この勝利は当然といって差し支えなかった。
「おつかれ!」
セリアが手を掲げるので、僕とナギちゃんは順番にハイタッチする。
もしも怪我をしていたら治療しようかとも思ったが、流石は二人だ、傷一つ負っていないようだった。
「……後は、皆が攻略してくれるのを待つばかりだけど」
僕たちは、結界の左右にある球体に目を向ける。
球体の光は、戦闘中に二つ消え、残るは二つとなっていた。
「誰がクリアしたのかは分からないけど、とりあえずあと二つだね」
「支部長は強いからなー、あとはニーナさんかギリーさん? フィルさんたちはちょっと遅れをとってそうだなあ」
「はは、まあ大体ナギちゃんの予想通りなのかも」
能力的に、僕もナギちゃんの推測に同意だ。とは言え、全員かなりの熟練者なわけだし、大きな差は出ないだろう。
などと考えている間に、また一つ球体から光が消えた。
「後一つだわ」
ここを越えれば、また上に進む階段があるはずだ。尖塔と連動した結界があるのだから、この場所が実質最後の関門と考えられる。
結界が消え、階段を上れば……その先に、魔王の間がある。
「消えたぞ!」
壁際で腰を下ろしていたレオさんが、球体の光の消滅とともに立ち上がりながら叫んだ。同時に、機械的な音を立てて結界が消滅していく。
「皆、ありがとう」
「だね。その頑張りに応えて、一気にゴールまで行っちゃおう」
「ああ!」
結界が張られていた場所をあっさりと通り過ぎ、僕たちは駆ける。
階段はすぐ先にあり、走る勢いそのままに上がっていった。
そして、階段を上り切った先に、広々とした空間が待っていた。
そう――それが最上階、魔王の間だった。
ホールに敷き詰められていたのと同じ深紅のカーペットが奥まで伸び、その終点には人間用ではない大きさの王座がある。
システム的に、決して実際に使われるわけではないのだろうが……雰囲気のある設えだ。
「……ここが、魔王の間」
「誰もいないけど……物々しい雰囲気ね」
静かなのがかえって不気味で寒気がする。
……この場所で、これから最後の戦いが始まるのだ。
「ここで私が……魔王を解放する」
「そう。そして魔王をセリアから切り離し……全員で打ち倒すんだ」
それが、決して簡単なことじゃないのは分かっているけれど。
たとえどれほど困難な道だって、僕たちは辿り着いてみせるのだ。
「どうすればいいの?」
「何となく頭には浮かんでるんじゃない? どうも従士には、そういう反応も植え付けられてるみたいだけど」
「……植え付けられてる、か。まあ、確かに浮かんではいるわ。嫌な話ね」
条件反射というべきか、この場所に来たら何をすべきか、従士は自然に理解できる仕組みになっているらしい。
悪魔たちのムカつくシステムだ。
「じゃあ、儀式を始める前に、準備をしよう。従士と魔王の紐づけを引き剥がすための準備をね」
「ええ。早速やりましょ」
手順はシンプルだ。
魔王召喚の儀式の前に、セリアが自身に絶対封印のスキルをかけるというもの。
絶対封印の防壁により、セリアへ憑依しようとした魔王の精神は弾き返され、宙ぶらりんになる。
そこを今度は僕の絶対破壊で攻撃し、セリアと魔王の繋がりを断つ、という流れだ。
タイミングがひょっとしたらシビアかもしれないが……絶対に、失敗はしない。
上手くやり切ってみせるぞ。
「――絶対封印」
セリアがスキルを発動させる。
対象を自分自身に設定し、恐らくは攻撃や接触を弾き返すような条件をつけたはずだ。
彼女はこちらに向かって頷くと、身を翻して王座へと向かう。
そして、封魔の杖を両手で掲げるようにして――王座の前に立ち尽くした。
「――来たれ」
セリアが宣言した瞬間。
鈍重なる闇が広間全体を満たした。
息が苦しくなるような、張り詰めた空気。その中で、気味の悪いゴロゴロという音が幾重にも響き始める。
ふいに、封魔の杖がセリアの手から離れて浮き上がり始める。杖の先端に取り付けられたオーブは赤から黒に変色していた。
杖が手元から離れ、王座の付近まで達した瞬間――それは起こった。
黒色の稲妻が、一瞬にしてセリアの体を貫いたのだ。
「きゃあぁッ!」
絶対封印をしていても、突如襲い掛かってきたその稲妻にはセリアも驚き、悲鳴を上げた。
しかし、絶対封印は無事に発動しているようで、貫かれたはずのセリアの腹部には、何の痕跡もない。
そして、黒い稲妻は目標を見失ったかのように広間内を駆け巡り――やがてそれ自体が、耳を塞ぎたくなるような咆哮を発した。
「あれが、魔王なのか……ッ!」
「トウマ、ぼうっとしてる暇はないよ!」
そうだ。あれが魔王の精神だというならば、僕の力でセリアと魔王の繋がりを断たねばならない。
ヤツが再びセリアに憑依しようとする前に、斬り離さなければならないのだ。
「レオさん、剣を!」
「ああ、頼むぜ!」
レオさんが、僕に向けて勇者の剣を差し出す。
僕はそれに触れることなく、手だけをかざして力を集中した。
――大丈夫だ、使える。
スキルの力を、確かに感じる。
初めて使うことになるけれど……何の問題も、ない。
「――絶対破壊ッ!」
勇者の剣を発動条件とした特殊スキルは、発動と同時に僕が手にする武器に宿る。
そして僕は高く、速く跳躍し――魔王の精神たる稲妻を、縦に一刀両断してみせた。
「繋がりよ――消え去れッ!」
おぞましい悲鳴が上がり、黒い稲妻は分裂と結合を幾度も繰り返した。
元通りにならないものを必死でくっつけようとするかのように、それは高速で繰り返されたのだった。
それから二十秒ほどで、魔王の魂はようやく動きを止める。最早稲妻の名残はなく、ただの黒い球体のよう。
その球体が、最初に封じられていた場所……つまり封魔の杖を包み始めると、周囲に黒霧が立ち込め始めた。
「これは、さっきの部屋と同じ……!
ナギちゃんが霧の正体に気付く。つまり、この霧から魔物が排出されるということだ。
魔王が怒って配下を召喚したのだと思い、身構えたのだが……本当の理由は別のところにあった。
そう、宿るはずの肉体を奪われた魔王は。
「魔物を寄せ集めて体にする気か!」
この世界に出でし魔物どもは、確かに悪の力により生まれるものだ。
だから、留まれる肉体を見失った魔王が次善策として選ぶことは、自然なことではあった。
霧から現れた魔物どもは、その体が正常な形を保つよりも前にブラックホールへと吸い込まれ……その度に、悲鳴が響き渡った。
「――来る……!」
悪しき力を敏感に察知したレオさんが、声を震わせる。
刹那、黒の球体は弾けるようにその形を変貌させた。
ずるりと、腕や脚が卵の殻を突き破るように這い出て。
最後には巨大なるヒトガタが現れる……。
「こいつが……魔王……」
その姿は、まさに魔王という名称そのままだった。
赤き双眸、太く渦を巻く二本の角、鋭い牙。その口元からは変貌の名残か、黒い霧が絶えず漏れ出ている。
体は先ほど対峙したガーゴイルが二倍ほどに巨大化したくらいの大きさを誇り、皮膚は岩のように硬そうで、そして黒い。
腕は肘から先が黒い毛で覆われ、また鋭い刃のようなものも腕に沿って生えている。右手には、呑み込まれていた封魔の杖が魔王の体つきに合わせたサイズに変化して、握られていた。
脚も、その鈍重な肉体を支えられるよう強靭に形作られ、背後には二本の尻尾も覗いている。リューズの魔皇、アルフを想起させるような長い尻尾は、やはり所々に棘がついていた。
そんな体を覆うように、魔王は藍と黒が絡み合うような色合いのローブを羽織っている。但しそれはボロボロで、半分以上が破れて無くなっていて。それゆえに腕や尻尾はローブからはみ出てしまっていた。魔王を表すためのローブ、というところだろう。ローブ自体にも魔力がこもっているのはハッキリ感じた。
『……ヨクゾココマデ辿リ着イタ……勇者ヨ』
低く、心臓を震わせるような声で、魔王は告げた。
こちらを睨みつける双眸は、ギラギラと燃えるようで――恐ろしい。
『サア……決着ヲ付ケルトシヨウ』
恐らくは、決まり切ったフレーズなのだろう。過去の勇者たちは全員、ここで同じ言葉を聞いたのだ。
ただ、違うとすればこれまでの魔王は全て、従士の肉体を奪った存在で。
「……始まったね。後は頑張ってよ、トウマ、セリア」
協力できないことに申し訳なさそうな顔をしつつも、ナギちゃんはそう言ってくれる。
ありがとう、と答えようとして――けれど次の瞬間、彼女が消えていることに気付いた。
そういう仕組みなのだ。勇者と魔王以外は、居られない空間。戦いが始まるこの瞬間、関係のない人間は存在できなくなる……。
「後はまあ、俺もだな」
「……レオさん」
そう、レオさんは残されていた。イレギュラーな勇者の片割れとして。
恐らく、戦いに参加することは困難かもしれないが……見ていてくれるというなら、それはありがたいかもしれない。
「危ないときに伝えるくらいしかできないかもしれないが、それで許してくれ」
「十分です。……勇者として、一緒に戦いましょう」
「ああ。最後の勝負……必ず勝つぞ」
「はい!」
三人と一体が、暗き世界の中で対峙する。
世界の平和を賭けた、善と悪の最終決戦。
長き旅の果て、遂に辿り着いたこの場所。
これまでを無駄にしないためにも、僕たちは決して負けない。
「行くぞ――魔王!」
戦いの火蓋が、今切られた。
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