9.勇者と魔王の物語①

「……とても素晴らしいことだとぼくは思うよ」


 夕食時も過ぎ、そろそろ客の姿も減り始めた食堂。

 その端の席で、勇者グレンと従士アイリアは一人の青年と話をしていた。

 ボサボサの黒髪に、感情を宿さない瞳。それでも話す言葉の端々に、彼の思いは確かに感じられる。

 ソーマ=オブリヴィオは、そのような青年だった。


「でも、偶然知り合った見ず知らずのぼくなんかに、そんな話をして良かったの?」

「んや、ソーマだからだよ。ちらっと言ってただろ、長く生き過ぎてるって。……お前も俺たちに似てるのかもなって思ってさ」

「……そっか、なるほど」


 あくまでも淡々と、ソーマは相槌を打つ。短気な人なら苛立ってしまいそうな言動だが、グレンは一向気にせず、それどころか彼を気に入っていた。

 従士のアイリアも、どちらかと言えばおっとりとした少女だった。なので、彼女にとってもソーマの印象は悪くないようだった。


「世界にはたった数人、通常考えられる寿命を超えて生き続ける人がいる。あまり有名な話じゃないけれど、とある研究者はそれを『不死病』と呼んだ」

「不死病……病気だって?」

「うん。でも、正しいと思う。死なないことって、ある意味じゃ病気みたいなものだって思うから。……その不死病患者の一人が、ぼく」

「……ソーマさん」


 アイリアが、悲しげな声色で呟いた。ソーマの瞳がどうしてそれほどまでに虚ろなのか、その理由がようやく分かったからだ。

 気の遠くなるような時を、彼は生きてきた。その事実に思い至ったからだ。


「ぼくが知る限り、不死病はあと二人。多分、それで全員じゃないかな。この病気のこともさ、世界の不思議だなって」

「ああ。勇者と従士の仕組みと同じように……それもカミサマか何かが作りやがった、おかしな仕組みなんだろうな」


 グレンの言葉に、少し遅れてソーマは頷いた。


「だから、その仕組みに正面切ってぶつかろうとしているグレンさんとアイリアさんは、素晴らしいと思う。ぼくは、どう生きればいいのかも分からなくなって、ふらふらと彷徨い生きているだけだから」

「……自分で、そう思ってるのか?」

「ユニスもレナルドも、自分のやりたいことを見つけられているみたいだから。それに比べたら、ぼくは目的も定まらず、ぼんやり生きているだけだなって」

「俺は、そうは思わねえよ」


 しかめっ面をしながら、グレンはゆっくりと首を横に振った。


「長く生きる中で、辛いことにも沢山遭遇してきたんだろ? ウルキアの話だってそうだ。お前はそういう経験を重ねて、孤児の面倒を見るようになった。良い話じゃねえか。十分に、意味を持って生きているよ、お前は」

「グレンさん……」

「きっといつかは、お前も自分の運命にぶち当たる日が来るんじゃないかな。だけど、それは本当にいつかの話だ。その日までは、ソーマはこれまでのように生きればいいさ。それで救われる人だっているんだから」


 グレンがかけた言葉で、ソーマの心には久しく忘れていた痛みが生まれた。

 それは痛みには違いないけれど、決して嫌なものではない。

 むしろ、ありがたいもの。

 ありがたくて、胸が締め付けられるような気持ちになるのだ。


「……フフ。いつになったら神様に許してもらえるのかなって思ってたけど。何だか、あなたに許されたような気分だ。……ありがとう、グレンさん」

「はは、それくらいで感謝されちまうか。ま、どういたしまして」


 過酷な旅の道すがら。

 運命に縛られた者同士、その僅かな時間の語らいは、ソーマの胸にずっと残り続けるのだった。






 飛空船がアクアゲートに到着したのは、セントグラン空港を発って約四十分後のことだった。

 やはり空の旅は早いなと実感しつつ、僕たちはさっさとアクアゲートの港へ移動する。


「見えてきた。あれみたいだね」


 港に着くと、ナギちゃんは一隻の船を指し示す。それは小型ながらしっかりと船体を装甲で固めた船だった。

 これくらい小型な方が小回りも利くだろうし、万一海上で魔物と戦闘になったときでも不安は少なそうだ。

 早速乗り込もうとしたところで、視線を感じて振り返ると、そこには結構な人だかりができていた。

 どうやら、飛空船が降り立ったのが気になって、集まってきた人がそれなりにいるようだった。


「もしかして、勇者様ですか?」

「ええ、まあ。……これから魔王城に行ってきます」


 無難に答えると、人々はおお、と歓声を上げる。


「頑張ってきてください、勇者様!」

「魔王討伐、待ってますよ!」


 黄色い声援を受け、人々に手を振りながら、僕たちは船に乗り込む。

 最後のボス……魔王討伐なのだから、それは人々の関心も大きいか。そう思いながら、僕は船室でふう、と溜め息を吐いた。


「では、船を出しますね」


 エリスさんが言い、すぐに船は離岸する。

 ここからは、空路よりも長い船旅だ。





 魔王城は、リバンティアに存在する四つの大陸――コーストン、グランウェール、リューズ、ラインのちょうど真ん中あたりに毎回出現する。それゆえ全速力で船を走らせても、接岸できたのはすっかり陽が暮れた頃だった。

 城がそのまま海上から突き出しているような感じなので、陸地と呼べるような場所はないが、正面入口付近は平坦な床部分があり、僕たちはそこに降り立つことにした。

 魔王城は、僕たちを呑み込もうと大きく口を開いているようにも見えた。扉はなく、ただ黒光りする棘が牙のように垂れ下がっている。


「はー、間近で見るとやっぱりでっかいもんやなあ」

「昔の勇者さんは、これを従士と二人で攻略したって? 丸一日はかかったんじゃねえかこれ」

「ギリーさんの言う通り、実際それくらいはかかってるんじゃないかな。ボクも詳しくは知らないけど」


 城の大きさは、目視でもグランウェール王城の倍くらいはありそうに見える。外壁はほぼ全て黒く染まっていて、天辺の方ではコウモリやカラスか飛んでいるのが見えた。……魔王城というか、悪魔城というか。


「っと。早速歓迎してくれてるみたいだね」


 ナギちゃんが入口の方を示すと、そこから沢山の魔物がうじゃうじゃ押し寄せてくるのが見えた。やはり悪の根源たる場所というだけある、手厚いもてなしだ。


「ふむ。ではありがたく入らせてもらうとしようか」


 ローランドさんはそう言って、自らの得物を抜き放つ。鈍重なソードブレイカー。抉り取るようなその刃先が魔物たちへと向けられる。

 他の者たちも各々の武器を手に取り、戦闘態勢に入った。敵はゆうに三十体以上いそうだが、別に僕たちの障害とはならないだろう。


「参るぞ」


 掛け声とともに、ローランドさんが駆け出した。後のメンバーもそれぞれの間合いから、攻撃の準備にかかる。


「ほい――チェインサンダー!」

「――レインアローっと」


 ニーナさんとギリーさんは、それぞれ範囲攻撃で敵を蹴散らしていく。町の近隣に現れるのとは別格の、それこそ悪魔のような姿をした強靭な魔物たちが、雷と矢の連鎖によって次々と倒れ伏す。

 僅かな逃げ場も残さぬ、最高の協力技だ。


「ぬん!」


 それに対し、ローランドさんは力技で魔物たちの群れを斬って分けていく。

 ソードブレイカーの一振りで、魔物――確かグレイデーモン――の武器を折り、そのままの勢いで肉を断つ。大量の血飛沫とともにグレイデーモンの体は傾ぎ、ドサリと倒れて動かなくなる。

 その繰り返し。

 次第に危険と判断されたのか、ローランドさんをぐるりと取り囲むように魔物たちが集まってくる。しかし、それは計算の上だ。単純な斬り攻撃だけを続けていた彼は、そこでようやくスキルを発動させた。


「――光円陣」


 剣の長さだけでなく、その能力の高さもあって、円陣の範囲は僕なんかよりも明らかに広い。直径五メートルほどはありそうな陣に触れていた魔物たちは忽ちズタズタに斬り裂かれ、物言わぬ骸と化すのだった。

 助っ人に来てくれた彼らだけでも、一騎当千の活躍をしてくれている。僕たちものんびり構えているわけにはいかないな。魔王戦まで体力を温存しておくに越したことはないが、戦えるところではちゃんと戦っておきたい。


「くらえ――ビッグバスター!」


 ヴァリアブルウェポンを構え、強力なレーザー砲を放つ。光線に灼かれた魔物たちは、黒煙を立ち昇らせながら地面に頽れる。

 隣では、セリアが新品の杖をくるくると回し、勢い込んで魔法の行使を宣言する。


「――ギガフレア!」


 超高温の火球。真っ白に燃え滾るその球が魔物たちを呑み込んでいき、後には骨一本も残さない。

 以前ルエラちゃんが使っていたのと同じ、火属性の上位魔法。


「うん、良い感じ!」

「そりゃ良かった!」


 杖をプレゼントしたナギちゃんは誇らしげにそう言いつつ、目にも止まらぬ早業で魔物たちの背後を取り、その首筋を短剣で斬り裂いていく。

 まだ、五分と経っていない。けれど魔物の数はもう、襲い掛かってきたときの三分の一にまで減っていた。


「やっぱり、こうして協力してくれる人がいると凄く助かるよ」

「フフ、まあトウマたちの戦いは、この後だからさ。まずはボクたちが露払いしなくちゃ」


 ナギちゃんはそう言って笑う。


「……というわけで、ギリーさん、敵を集めるからお願い!」

「はいよ」


 素早く後退したナギちゃんは、残った魔物たちのちょうど真ん中あたりに狙いをすます。

 そして、集中した魔力は凄まじいうねりとなっていく。


「――トルネードアロー!」


 放たれた矢が竜巻を生み、魔物たちは否が応でも引き込まれていく。矢が直撃して風穴が開いた魔物もいれば、それを逃れた魔物もいたが、いずれにせよ最後に待っているのは死だ。

 ギリーさんが高らかに弓を掲げる。


「――エクスプロード!」


 降り注ぐ矢の一つ一つが、光を帯びて爆発していく。

 その周辺に吸い寄せられていた魔物たちは、逃げることもできずに一体、また一体と巻き込まれ、砕け散っていった。

 二人の連携技が決まると、そこにはもう魔物の姿など一体も残っておらず。

 あれほどうるさかったこの一帯も、すっかり静けさが戻ってきたのだった。


「……よっしゃ、しまいやな」


 ニーナさんがパンと手を叩きながら言う。ギリーさんやローランドさんも、こくりと頷いた。

 歓迎も終わり、ここからいよいよ城の攻略開始だ。


「じゃ、行きますか――」


 と、ギリーさんが言いかけたところで、背後から不思議な音が響いた。

 これは――汽笛の音?


「あ……」


 予想した通り、それは船の汽笛だった。

 ダグリンからの船が今、到着したのだ。

 僕たちが乗ってきた船よりも小型なその船は明らかに民間のもので、装甲も見当たらない。波もそれなりに高かったが、無理を言ってここまで来てもらったのだろう。

 そして中から、人影が現れる。


「……レオ!」


 それは、セリアにとってはようやくの再会だった。

 久しぶりの彼の姿に、彼女は一目散に駆け寄っていく。

 勢いが良かったので、そのまま抱き着くんじゃないかとも思ったが、彼女はギリギリとのところで失速し、ハグの代わりにその手を握った。

 レオさんの方は抱き着かれるんじゃないかと身構えていたが、ちょっと肩透かしを食らったような感じに見えた。どんまいだ。


「はは……久しぶりだな。ごめん、セリア。君を怖い目に遭わせてしまって」

「ううん、レオのせいじゃないわ。トウマやナギちゃんが全部教えてくれたから、よく分かってる」

「……そうか。ありがとう」


 レオさんは、右手にまた包帯を巻いていた。これまでは勇者紋を隠すためにしていたものだが、恐らく今は違う。

 僕と戦ったとき、彼の手は白く染まり、朽ち始めているようだった。恐らくはその浸食が戻らず、今も痛んでいるのだろう。

 勇者の剣の所有者だから来てもらったが、戦闘は難しそうだ。


「大丈夫?」


 セリアも、握った手のおかしさを感じ取って、心配げにレオさんを見つめる。けれど、好きな子の前で弱さを見せたくないのが男というものだ。彼はふっと微笑み、


「ああ、大丈夫さ」


 と、それだけ告げるのだった。


「……連絡をくれて助かったよ、ナギちゃん。ただ、俺だけじゃ大した助っ人にならないんで、他にも一緒に来てもらった」

「お?」


 レオさんが言うと、背後の船からまた別の人物が降りてきた。ダグリンから来た協力者。軍のサポートは有り得ないから、答えは大体予想がつくけれど。


「……フィルさん、ルディさん!」

「よう。ちょうどレオくんに連絡したところで話を聞いてね。ご一緒させてもらったよ」

「どうもー、よろしくね!」


 ダグリンギルドの二人はそう言い、片や小さく、片や大きく手を振ってきた。全く、レオさんも粋なことをしてくれる。

 この魔王城に、僕たちを含めると九人もの精鋭が終結したわけだ。


「ちなみにヘクターはお留守番でーす」

「まあ、ルディに店番は頼めんからな」

「あ、フィルったら酷い」

「フ。そちらのギルドも相変わらず仲が良いようだな」


 そうコメントしたのはローランドさんだ。ちょっと羨ましそうにも見えるが、セントグラン支部だって素敵な関係ですよと心の中で呟く。

 というか、違う支部の人たちが喋っているところを見る機会があまりなかったから、新鮮だな。


「そんじゃ、ダグリンサイドも合流できたところで、気を取り直して行きますか!」


 ナギちゃんの、改めての号令で、僕たちは今度こそ魔王城へ向かって歩を進めていく。

 もう後戻りはできない。決着のときまで――あと少し。

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