7.これまで、そしてこれからのこと

 グリーンウィッチ天文台を後にして、僕たちはホテルに帰還した。残された時間はあと半日ほど、その時間はセリアと共に過ごしたかった。

 夕食を済ませ、交代でゆっくりお風呂に入る。セリアが入っている間は、僕は日記をつけておくことにした。

 これまで度々書いていた日記だけれど、世界の真実を知った今では、何となくこの伝統が続いてきた理由も理解できる。別に過去の勇者は、自分の旅を多くの人に知ってもらいたかったわけじゃない。いつか旅立つ次の勇者に、知ってほしかっただけなのだ。


「……よし、と」


 僕の日記も、別に知ってほしいわけじゃない。

 それに、次の勇者に残そうとしているわけでもない。

 ただ、僕の日記は……この旅を忘れずにいたいから、残している。

 次に繋ぐのは、もう終わりだ。


「……まあ、アクセスがあればいつでも思い出せるんだろうけどね」


 シャワーの音でセリアには聞こえないだろうと、僕は独り言ちる。偶然にも手にした特殊スキルだったが、何度考えても便利過ぎるスキルだ。おまけに勇者の魂は輪廻するという特殊な設定がプラスに働いて、過去の勇者の知識も引っ張り出すことができる。

 恐らく、記憶量が膨大過ぎて引き出すコツのようなものを覚えるのには時間がかかるだろうが……コレクトと合わせて、アクセスは非常に役立っていくだろう。

 戦闘面に限らず、日常生活でも役立つ場面は多そうだなあ……生活力の向上も期待できそうだ。


「上がったぞー」

「あ、おかえり」


 濡れた髪をタオルで拭きながら、セリアがこちらに寄ってくる。もう見慣れたとはいえ、そういう姿はドキドキするものだ。

 ……こういうのを思い出せるのも便利そうだけど、あんまり悪用はしないでおこう。


「なに変な顔してるのよ」

「いや、何でもございません」

「ふーん……?」


 疑いの目で見ないでください、すいません。


「じゃ、じゃあ僕もお風呂入って来るよ」

「ん、ゆっくりねー」


 というわけで、逃げるようにそそくさとバスルームへ向かう僕なのだった。





 セリアが浴槽にお湯を張ってくれていたので、僕もゆっくりと体を温める。

 疲れを癒して風呂から上がると、セリアが冷たいアイスを用意してくれていた。


「はい、どーぞ」

「ありがと。……ふふ、最初の頃を思い出すね」

「ウェルフーズね。コーストン出身だから自慢になっちゃうけど、あそこで採れるものは何でも美味しいから」

「料理も全部美味しかったもんなあ。あのときは異世界にきたばっかりでドギマギしてたけど、とりあえず勇者として頑張っていかなきゃなーって思ってたや」

「なんか気合入ってたもんねー。今がないってわけじゃないけど」

「まあ、そのときはちょっと空回ってたかな?」


 あのときは、二度目の人生では主役になってみせようと意気込んでいた。自分が囚われている運命など、知る由もなく。

 明日花があの後どうなったのか、或いはそれまでどう生きてきたのかさえ、知る由もなく。


「……でも、最初の町で僕が地球から来たことを素直に話したのは良かったなって思う。早く話しておいたから、その後の展開も受け入れられていっただろうしさ」

「確かに、ずっと嘘吐かれてたら私たちの関係性もどうなってたか分かんないし、地球とリバンティアの話もすんなりとは受け入れられてなかっただろうしねえ」


 世界の話を受け入れられないことよりも、セリアとの関係がギクシャクしてしまう方が嫌だったなと思ってしまう。まあ、それは仕方のないことだよね。


「二ヶ月くらいの旅ではあったけど。セリアと色んな思い出ができたこと、本当に幸せだと思うよ」

「ふえっ、と、突然変なこと言わないでよ! ……そりゃ、私だって」

「……ふふ」


 分かってて言わせるのはちょっと酷いかな。

 何だかこちらに来てから、性格が若干変わってしまった気がするぞ。


「ここまでずっと、ありがとうね。セリア」

「トウマ、それ死ぬ前の台詞っぽいから止めましょ?」

「あはは、そうかも」


 セリアの言う通り、これじゃ死亡フラグというやつだ。

 生きるか死ぬかの戦いに臨む前夜。あまりフラグを立てるようなことはしたくないな。

 でも、意識しなくてもしてしまうものなんだろう、こういう日は。

 なら、立ったフラグをへし折ってやるしかないんだろうけど。

 照れ臭い気持ちを誤魔化すように、明日に備えて早めに寝ようという流れになる。実際、お風呂から上がっていい感じの眠気も襲ってきていたし、ベッドに潜ればすぐに眠れそうだった。

 緊張がないわけではなかったが、圧し潰されそうなものではない。やってやるぞという気持ちの方が強いから、不安が沸いたりはしてこなかった。

 

「じゃあ、消すね」

「ん。お願い」


 各々ベッドに入り、電気を消す。後は暗闇と静寂が部屋を満たして。

 ゆっくりと、快い温かさが、僕を眠りへと引き込んでいった。


 ――と。

 夢か現かも分からなくなった辺りで、ふいに衣擦れのような音が聞こえた。

 始めは気のせいだと無視していたけれど……もぞもぞと何かが動く気配はずっと続いていた。

 一体何だろうと、寝返りを打って後ろを確認すると。

 僕のベッドに潜り込んでいるセリアと目が合った。


「ふぇ……?」


 眠気がまだあったことと、予想外過ぎたことで、思わず変な声を発してしまう。それでも、セリアはこちらをじいっと見つめたまま、僕のすぐ隣から動こうとはしなかった。

 むしろ、少しずつ近づいてきていて。


「せ、セリアさん?」

「……何よ」

「何と言いたいのはこちらというか……」


 まあ、どういう状況かは分かるのだけど……頭がついていかなくて。

 何一つの耐性もなくて。


「だって。明日で全てが決まるんだもの。……そんなことはないって信じてるけど、今日が最後の夜になるかもしれない」

「……ん」

「怖いからじゃないの。そうじゃなくって……勇気が欲しくって」


 長い前髪の合間から見え隠れする瞳は、少し潤んでいる。

 内に秘めた思いに同調して、揺らいでいるような。

 怖さを忘れるためじゃなく、前に進んでいくために。

 彼女は僕の腕を掴む。


「勇者と従士の運命とか、信じられないことは沢山聞いた。私とトウマの関係は、ちゃんと理解した」

「……うん」

「でも、これはハッキリ言わせてね。運命だからっていう考え方もいいけど、私は私の思いも、ちゃんと乗せたいから」


 遥か昔から決まっていた繋がり。

 それゆえに近しくなったというのでなく。

 そう――僕も君と同じように。

 芽生えた思いはちゃんとあるんだよ。


「好きよ、トウマ」

「僕も好きだよ、セリア」


 一つ前へ進む勇気を示して。

 互いの思いを確かめ合って。

 そして僕たちは、確かな未来のために戦う。

 ようやく、そんな決意が固まった気がした。


「ふふ、これで安心。明日は全力で戦えるわ」

「だね。精一杯戦って、一緒に帰ろう」

「当然。……じゃ、今日は寝ましょっか」

「このまま?」

「このまま!」


 言わせないでよとばかりに、セリアは僕の頬を突いてくる。

 ごめんと笑いながら、僕はそんな彼女の手を握った。


「……それじゃ、おやすみだね」

「うん。おやすみなさい」


 次の夜もまた、迎えられるように。

 繰り返しの歴史を越え、幸せな日々が繰り返されるように。

 祈りを結び、僕たちは眠る。

 それは、生まれて初めてなくらいの、穏やかな眠りだった。

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