10.繋がる記憶たち

 暗闇の世界に、ぽつりと雫が落ちたように。

 小さな光が一つ、二つと灯っていく。

 やがて目の前の景色がさあっと晴れると。

 そこには――宇宙を思わせるような光と闇の空間と、その中に佇む巨大な塔があった。


「ここは……」


 予期せぬ展開に思考がついていかず、僕はオドオドと周囲を見回す。けれども景色はやはり宇宙以外の何物でもなく、その只中にいることの不可思議さに不安が増すばかりだった。

 足元を見る。……床があるようには見えなかったが、足は地に着いているように感じた。僕は落ち着かないなりにもとりあえずは足を動かし、前方へ――塔の立つ方へと進んでみる。


「……何なんだろう」


 僕は、アクセスを発動させただけのはずだ。

 アクセスは、これまで自身が経験してきた記憶を引き出せるスキル。ナギちゃんはそんな風に説明していた。

 だが、こんな光景は一度も経験したことがない……はずなのだが。

 これは、僕の中の何だというのだろう。


「よう。また来たんだな」

「……え?」


 誰もいなかったはずの空間で、声を掛けられた。

 ああ……その声は、以前にも聞いた覚えのあるものだ。

 レオさんとの戦いで、僕が生死の境をさまよったとき……僕を勇気付けてくれた声。

 ある意味では、僕そのものの声。


「――グレン、さん」

「グレンで構わないよ。俺は君と同じだ」


 勇者グレンは、そこに存在していた。

 あの姿――マギアルの研究所でみた姿と同じ風貌だった。

 彼はいつの間にか僕のすぐそばにいて、僕の肩にポンと手を乗せる。

 そして、快活な笑顔を浮かべた。


「まだ不思議そうな顔をしているな。……どうやら君は、アクセスというスキルを使ったみたいだが」

「ええ。記憶を引き出すスキルと聞いていたんですけど……」

「まあ、大体はそんなところだ。正確には、記憶に接続するスキルと言った方がいいんだろうけどな」

「あ……」


 記憶に接続する。

 ……もしかして、これは僕だから起きた現象ということだろうか?


「何となく察したか。勇者と魔王の魂は酷い運命に縛られててな、転生する度に表面上記憶は失われるが、その存在は全く同質なものなんだ」

「だから……僕とグレンは、連続していると」

「そういうことみたいだな」


 スキルによって記憶に『アクセス』した結果。

 僕は前世であるグレンの記憶とも接続されたということか。


「つまり、アクセスを使えば、お前はこれまでの長い長い物語を全部振り返れるってことさ。お前や、俺や、過去の勇者たちの苦難を、いつでもな」

「……それは、嬉しくもあるでしょうし、辛いことでもあるでしょうね」

「……ああ。どんなに幸せな旅でも、その最後は必ず悲劇で終わってきた、幾つもの物語だ」


 僕の隣に立つこの人の物語も。

 最後には悲劇で、幕を閉じてしまったのだ。


「というわけで、別にそんなところまで思い出すことはない。アクセスは本来の使い方で、便利に活用すればいいさ。……そんで、たまに思い出したくなったときだけは。今のお前にバトンを渡してくれた過去のお前を、見てやったらいい」

「……ええ。そうしますよ」


 あなたの旅も、一度はこの目で見届けたいですし。

 心の中でそう呟いたのだが、もしかすると筒抜けだったのか、グレンは照れ臭そうにへへ、と笑った。


「……ところでグレン。ここは一体?」

「ここか。俺も正直、よくは分かっていないよ。ずっとここにいるわけでもなし、お前と繋がったときだけ何となく俺の意識も上ってくる感じだしな」

「そうなんですか……」

「ただ……そう。多分、これがソロモン・システムってやつだ」


 ――ソロモン・システム。

 ソロモンとは即ち、七十二の悪魔を召喚したという偉大なる魔術師の名前……。


「リバンティアという小さな箱庭の世界を管理するシステム。悪魔たちによって作り上げられた、世界構造の結集」

「それがソロモン・システム……」

「そのシステムに干渉することで、記憶を引き出せているってことだろう」


 この塔に、リバンティアの全てが内包されていて。

 僕は今、精神だけをここへダイブさせているというイメージなのだろうか。

 ひょっとしたら、リバンティアのどこかにこの塔は存在するのかもしれない。

 悪魔たちによって人々が辿り着くことのできぬよう、秘匿されているのかもしれない……。


「……ま、こうしてまたお前と話ができて良かったよ。あともう一息だ、俺たちの悲願を果たすために頑張ってくれ」

「はい。そんなの当然です」

「はは、流石は勇者だ」


 繰り返された歴史の果てに。

 僕は必ず――彼女とともに生きてみせよう。


「見守っているよ」


 その声が、一つではなく二つになり。

 その気配は、二つからそれ以上になった。

 そこには、皆いた。

 何人もの、勇者がいた。

 勇者の門出を祝うように、ずらりと並んで。

 遠のいていく僕を、優しい笑顔で見送ってくれていた。


 ――立ち止まることしかできなかった彼らのために。

 僕は――僕たちは、歩き出すんだ。

 もう、あと少し。

 運命の鎖を打ち砕くときは、すぐそこまで来ているのだから――。





「……マ。トウマ!」

「……ってて」


 意識が戻った瞬間、僕は何故か頬に痛みを感じた。

 ふと気付けば、目の前にはセリアの訝し気な顔があって、僕の頬は彼女にぐいぐいと抓られているのだった。


「ご、ごめんごめん。ちょっと不思議な感覚でさ」

「もう。心配しちゃったじゃない」

「ごめんってば」


 まあ、それだけ顔を近づけるくらいには心配してくれたのだろう。

 ちょっと恥ずかしかったが、もちろん嫌ではなかった。


「慣れれば好きなときに記憶を引っ張ってこれるのかな。スキルの知識とか、魔物の知識とかを覚えておいたりして」

「お、歩く辞書じゃん。セリア、便利になったね」


 ナギちゃんが面白そうに笑う。僕じゃなくてセリアが便利になるって、モノ扱いになっている気がするんですが。


「と、とにかく。こうして無事にセリアも救出できたことだし、そろそろ帰ることにしよう」

「ああ、そだね。いつまでもこんな要塞の中ではしゃいでる場合じゃないや」

「はしゃいでるわけでもないんだけどね……はは」


 セリアに加えてナギちゃんがいたら、どうにも賑やかなパーティになってしまうな。

 心強いパーティではあるけれど。


「でも、どうやって帰るの? というか私、どうやって来たのかも気になってるんだけど……」

「あ、そうだ。僕たち、飛空船に乗ってここまで追跡してきたんだけど……今も後方で待機してたり?」

「いや、攻撃が激しいのは見越してたから、安全のためにグランウェールへ戻ってもらってる。だから飛空船で脱出ってわけじゃないよ」

「そうなんだ?」


 飛空船で脱出しないなら、他にどんな手段があるのだろう。

 もしかして、この飛行要塞を操縦してどこかへ着陸しようという算段だったりするのだろうか。

 ナギちゃんに操縦の技術があるとは思えないのだけれど……。


「ダグリンを出発する前、定員が云々って言ってたじゃない。アレ、ボクが限界だからでね」

「ああ……そう言えば。別の乗り物があるのかなとは思ってたけど」

「移動手段ではあるけど、乗り物じゃないんだよね。さっきも使ってたヤツさ」


 さっきも使っていたと言えば……もしかして。


「ポートを使う予定だったってことか」

「そうそう。ポートは自分が手を触れているモノも一つ、一緒に移動させられるからね。ただ、絶対長距離移動になるから何回も運べないワケ」

「なるほどね……」


 ヒューとの戦闘中、僕を伴って移動してくれたのを思い出す。特殊スキルは便利なものばかりだな。


「記憶できるポイントは二ヶ所までで、グランウェールに記憶しているポイントがあるから、とりあえずこことグランウェールを往復して、トウマとセリア……それからあのオッサンも運ばないと」

「疲れるんだろうけど、お願いするよ、ナギちゃん」

「はいよ。それが仕事だからねー」


 そう言ってナギちゃんは、まずセリアの手をそっと握る。


「じゃ、まずはお姫様をご案内っと」

「え、ええ。よろしくお願いね、ナギちゃん」


 少し戸惑いつつも、セリアはナギちゃんに身を任せる。彼女は静かに目を閉じると、魔力を集中させてスキルを発動した。


「――ポート」


 淡い光がナギちゃんから発せられ、それがセリアまで伝播すると、二人の姿は一瞬で掻き消えた。音も何もない、瞬間的なワープだ。

 往復にはどれくらいかかるのだろうと思っていたら、ナギちゃんはものの一分ほどでこちらへ戻ってくる。移動のタイムラグはどうやら、距離に関係なくほぼないようだ。

 ただ、ものすごく疲れた顔をしているので、やはり魔力消耗は激しいらしい。


「ふー……そんじゃ、次はトウマの番」

「ん、お願い」


 ナギちゃんが僕の手を握る。疲れのせいだろう、その手は少し汗ばんでいて。

 

「……行くよ」

「うん」


 手が、強く握り締められ。

 仄かな光が、じわりと漏れ出す。


「――ポート」


 そうして、僕たちを光が包むと、景色は一瞬にして白へと変わり、そしてまた異なるものへと変わった。

 感じたのは、僅かな浮遊感だけ。その後にはもう、旅は終わっていた。

 僕とナギちゃん、そして先に到着していたセリアを待っていたのは――古びた洋館の、玄関ホール。

 飛行要塞から、グランウェールにあるらしいこの館内まで、僕たちは数秒間の移動で辿り着いたのだった。


「……あー、疲れる!」


 ナギちゃんが僕の手を離し、両手を挙げながら言う。それから、僕たちの前に立つとくるりと身を翻して、また口を開いた。


「というわけで、オツカレサマ。ここがボクたちの基地――」


 リバンティアが創世されるきっかけとなった男、ダン=ブラム。

 彼の意思の下に集いし者たちの、基地。


「――グリーンウィッチ天文台だよ」


 ナギちゃんはその名を告げて、僕たちにフッと笑いかけたのだった。

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