10.寂しげな夜風と
レオさんはまだ退院することができないとのことだったので、彼を残して僕たちは病院を出た。
そのすぐ後、サフィアくんも自分の宿に戻るからと、僕とナギちゃんに別れを告げて颯爽とどこかへ去ってしまったのだった。
てっきりナギちゃんはサフィアくんと同じ宿に部屋を取っているものかと思っていたので、二人で残るのは意外だった。が、更に意外だったのは、ナギちゃんに宿の場所を聞くと、偶然にも僕が宿泊しているところと同じだったことだ。
「あの宿はダグリンの中でも有名で、こっちに来たときにはいつも利用してるから」
あくまでも偶然だからと、ナギちゃんはそう説明した。……まあ、念押しされずとも偶然とは思っているけれど。
そんなわけで僕たちは二人で宿へと戻り、一応お互いの部屋番号を伝え合ってから部屋に帰り着いたのだった。
「ふう……」
いつにも増して濃い半日を過ごし、心身ともに疲れた僕は、仰向けでベッドに倒れ込む。魔物との戦闘による疲労も大きかったが、一番の要因は当然、サフィアくんによる壮大な種明かしだった。
「リバンティア……か」
よもや勇者と魔王の関係についてだけではなく、リバンティアと地球の関係についても紐解かれるとは。……しかし、それを抜きにして勇者と魔王の仕組みを語ることもまたできないのだし、必要な説明だったわけだが。
この世界は、中世イギリスから分岐した、言わばパラレルワールド。
僕とセリアは、その世界に縛り付けられた、言わば人柱だった。
……たとえ、僕が不帰の勇者になろうとも、せめてセリアは。
そう思ったことも何度かあったが、無駄な考えだったようだ。
どちらも生きて帰るか、どちらも消滅するか。
僕たちの未来は、二つに一つなのだろう。
――君は、この先。とても辛い運命を知り、苦しむことになる。
それは、グレンさんの遺したメッセージだ。
彼や過去の勇者たちが悟った辛い運命とは、永遠に未来を勝ち取れぬ勇者と従士の、悲劇的な連鎖だった……。
「……逃げることも、できなかったんだよな」
或いは、逃げようとしたのかもしれない。
それも理由になって、勇者と従士の旅路が毎回長期化していたのかもしれない。
けれど……世界が闇に覆われていくことに、結局耐え切れなかった。
自分たちが逃げ続ける限り、世界に満ちる善悪のバランスが崩れていくことを……よしとできなかったのだ、きっと。
「……必ず」
必ず、この連鎖を断ち切る。
僕は、固く誓う。
*
宿に帰ってから二時間ほどが経ち、帝都も夜の闇が近づいてくる。時計も六時を過ぎたころだったので、僕は夕食をとるために部屋を出て食堂へ向かった。
いつもの騒がしい相方が不在なので、メニューをあれこれ悩んだりすることはなく、すぐに店員さんを呼んで注文する。待っている間は落ち着かなかったが、料理が運ばれてきさえすれば後はそれに集中できた。
――と。
「よ、辛気臭い顔してるね」
「……ナギちゃん」
「お邪魔するよ」
そう言って、彼女は僕の向かい側に、料理の入ったプレートを置いて着席する。有無を言わせぬ一瞬の出来事だった。
まあ、一人で食べるよりは二人で食べたい気分かもしれない。
二人に慣れていたから。
「どうだった? サフィアのリバンティア講義は」
「うん。正直この世界にそこまでの事情があるとは思ってなかったから、驚き通しだったよ」
「でしょ。ボクも認めるまでに数週間はかかったからね」
地球からこちらへ転移してきた僕ですら、にわかには信じられなかったのだ。
リバンティア生まれの人なら、もっと時間がかかって当然だろう。
一生かかっても認めない人だって、必ず一定数はいるはずだ。
「……そう言えば」
ナギちゃんのプレートに乗ったリューズの料理を見て、ふいに思う。
「ん?」
「リューズって、僕の住んでた日本に似てるけど……何か理由があるのかな」
「大それた理由はないと思うよ。リューズの位置って、イギリスって国で言うとアウター何とか諸島っていう場所らしくてね。そこだけを別設定にしたかった悪魔たちが、東洋の文化をはめ込んだんじゃないかな」
「ふうん……好き勝手したんだなあ」
「今もなお、だよ」
ナギちゃんはそう言って、根菜の煮物を口に運ぶ。
悪魔たちの設定がなければ、彼女もまた西洋風の顔立ちをしていたということか。
……それはちょっと嫌だな。
「それにしても、ナギちゃんが世界の秘密を知っていて、おまけに盗賊までやってるなんてね」
「盗賊と呼ばれたくはないんだけどねー、盗んでるのは事実だから諦めてるよ」
店内は比較的賑やかなので聞かれる心配はなさそうだったが、念のために小声になって話す。
「ダンさんと親父が続けてきたことだし、ボクもやらなきゃなーとは思えたから」
「ホント、ナギちゃんは偉いよなあ」
「そ、そんなことないからっ」
自然に出た言葉だったが、耐性の少ないナギちゃんは怒ったようにそう言うと、顔を伏せてしまう。そのまま料理を食べ続けているけれど、食べ難そうだ。
ある程度料理が片付いたところで、ナギちゃんはゆっくりこちらを向く。
「……食べ終わったら、ちょっと場所変えよっか」
「ん。そうしようか」
名の知れたホテルとあって、人は多い。
突っ込んだ話をするのに、ここは適切な場所ではないだろう。
それから、食事を終えた僕たちは、宿の屋上まで上がってきた。八階建てのホテル、その天辺から見下ろす景色はやはり壮観で、どこか切ない。
地上の光も、天上の光も、きらきらと輝いて綺麗だった。
「……セリアはこの星を、見れてるのかな」
柵に腕を乗せながら、ナギちゃんはほうと息を吐く。
「分からない。でも絶対、辛い気持ちにはなってる」
まだ、魔王城に連れていかれてはいないだろう。動きがあれば、それはすぐに察知できるはず。
飛行要塞。この空が静かなうちはまだ、きっと。
「明日、必ず助けなくちゃ」
「……んだね」
ナギちゃんは頷く。
「……実を言えば、君たちの旅に関して妨害の動きがあることは、サフィアやボクも勘付いていたんだ。ただ、それが誰なのかを特定できていなかった。あまり踏み込んだ行動をすると君たちに不要な情報を与えかねないし、最適な判断を下すのが難しかったんだよ」
「確かに、早々に勇者と魔王の真実を聞いちゃってたら、今よりもっと怯えていたとは思うな」
グレンさんも気遣ってくれていたようだが、ある程度覚悟を決めてそれを知ることができたのは、大きな違いだと思う。
「トウマは軟弱そうだからねー」
「こら」
僕がツッコミを入れると、ナギちゃんはおかしそうに笑う。
「……ねえ、トウマ」
「うん?」
「いつから、セリアのことを好いてた?」
「って、変なこと聞かないでよ」
世界のことについてもっと語るのかと思っていたので、拍子抜けしてしまう。
「……まあ、多分最初から、なんだろうね」
「ハハ、妬けること言うねー」
「言わせたんでしょ」
でも、ナギちゃんに言われて再確認する。
きっとそれは、魂から惹かれ合っていたんじゃないだろうかと。
たとえ記憶は失くしても、魂の奥底には残滓が残って。
それが常に、思いを通じ合わせたんじゃないだろうかと。
「君たちはね。元々ダンさんの知人だったらしいんだ。彼が魔術師だったことを知っていて、悪魔たちの召喚が成功したことも祝福していたんだって。……だから、悪魔たちの生贄として選ばれてしまったのかもしれない。その指名を、拒絶できなかったのかもしれない。でも、それは古い古い過去のことで、今の君たちには関係がないことなんだ」
風が、ナギちゃんの髪を弄んでいた。
目元は見えなかったけれど、どこか感情的に、彼女は早口で語り続けた。
「君たちは生きたい、幸せになりたいと思えてる。だから、その選択をすればいい。……羨ましいけど、二人の気持ちは何百年も積み重なってきたものだから。……つまり、アレさ。早くくっつけ、バカヤローってことだね」
「……はは、何だそりゃ」
……でも、そうだね。
「応援してくれてありがとう、ナギちゃん」
「……ん」
返事の代わりに、ポカと拳で肩を叩かれる。
僕はとりあえずそれを、照れ隠しなのだと受け取っておいた。
この、寂しげな風の吹く夜が明けたら。
もう一度セリアの笑顔を見るために、武器を取って戦おう。
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