6.彼の旅路
僕の前に素顔を晒したレオさんは、身に纏っていたローブを脱ぎ捨てる。
本当に、その姿は以前会ったときから変わらない、懐かしいレオさんだ。
でも、彼から感じる気配というか、彼が僕に向ける感情はまるで違っていて。
そこには仲間としての親しみではなく……明確な、敵意があった。
「レオさん……」
「驚いて言葉も出ない、か?」
やはりレオさんは、小馬鹿にするようにくっくと嗤う。
彼らしからぬ、歪んだ表情が浮かぶ。
「魔皇マデル……あなたが?」
「そうだ。俺が倒したよ」
あっさりとレオさんは言ってのける。だが確かに、彼には疲れの色が見えなかった。さほど苦労することなく魔皇マデルを倒すことが出来たと、そういうことなのだろう。
……右手に握られた剣によって。
「どうして――どうしてレオさんが、それを」
「それとは失礼な。……正真正銘、本物の勇者の剣だぜ?」
「どうしてレオさんが、勇者の剣を持ってるんですか!」
直前まで言葉に詰まっていた分、吐き出すように僕は叫んでしまう。レオさんはそんな僕の言動を愉しむように見つめながら、勇者の剣を両手で転がしていた。
「トウマ。勇者の剣を持つことができる理由なんて、一つしかないだろ?」
「でも――だって」
僕の言葉を遮るように、レオさんはグサリと勇者の剣を地面に突き立てた。
そして、彼はおもむろに、右手に巻いていた包帯を外し始めた。
彼の右手は、始まりの町であるイストミアで、魔物の襲撃に立ち向かった際に負った傷が残っていたはずだ。セントグランで再会したときにも巻かれていたので、約一ヶ月も治らないのは重傷だな、と申し訳なく感じた記憶がある。
しかし、よくよく考えてみれば彼がウルフに引っ掛かれたのは主に腕の辺りであって。最後まで治らないのが手の部分だというのは、おかしいのだ。
「……あ……ああ……」
包帯が外されたとき。
その理由がハッキリと分かった。
何故なら、彼が本物の勇者であるならば。
右手には間違いなく、それがあるべきなのだから。
「ウルフに右腕をやられてて助かったよ。……この瞬間まで、誰にも見られるわけにはいかなかったからな」
レオさんの右手には。
僕の右手にあるものと寸分違わぬ、勇者の紋が現れていた。
「そう、お前の右手にあるのと同じ……勇者の紋さ」
「そんなのおかしいですよ! なんで、勇者の紋が二人ともにあるんです!?」
「お前のはそう見えるだけの偽物だったりするのかもな?」
レオさんは軽い調子で言うが、僕にはそれがとても重く圧し掛かる。
だって、僕には剣がない。勇者の剣を手にしているのは、レオさんの方なのだ。
この場でどちらが勇者らしいかと言われれば……それは間違いなく、レオさんの方だった。
「でも、レオさんは最初から勇者の紋があったわけじゃない。僕と初めて出会ったときはその手に何も無かったし、勇者の剣を抜くことだってできなかったのに」
「剣を抜けなかったのはどちらも同じさ。あのときは俺に紋がなく。今はお前に剣がない。……はは、そうさ。今ようやく、俺はお前に追いつき、そして追い越すことができたんだ!」
その優越感に、レオさんは高笑いする。……僕の中での彼のイメージが、虚しく崩れ去っていく。
優しかった彼。僕を信頼してくれた彼。そんな彼が今、僕を見下して嗤っている。
悔しかった。自分の惨めさが? ……違う。彼がそうなってしまったことが、だ。
何故……こんなことになってしまった?
「どうして俺が勇者の剣を抜けたか、知りたいか?」
「……教えてください。あなたが勇者になった理由。あなたが、変わってしまった理由を」
「フ。……いいだろう、教えてやる。二人になるために、この舞台を用意したんだからな」
そう言って、レオさんは話し始める。
彼が勇者になるまでの、旅路を。
「……お前がイストミアを旅立ってから、俺もまた旅の準備を始めていた。勇者の剣を抜けなかった以上、これからは一介の戦士として生きていくしかないと覚悟を決めたからだ。そうして旅立ちの為の道具や資金なんかをせっせと集めているとき。俺の右手に異常が現れ始めたんだ。
痛みじゃあなかった。それは疼きだった。最初はウルフにやられた傷が神経でも傷付けてしまったのかと怖くなったんだが、包帯を取ってみるとどうも違う。右手に、薄っすらと青い痣のようなものが浮かび上がっていた」
レオさんはそこで、僕に右手の甲を見せつけてくる。
薄っすらと浮かぶ剣の痣。
「信じられなかったよ。だって、その形はまさしくトウマの右手にあったものと同じだったんだから。何故? 勇者に選ばれなかったはずの俺に今更その紋が現れたのに、激しく混乱したものだ。実際、紋は中途半端だった。お前ほどしっかりした色が浮かんでいるわけじゃなかったんだ。試しにこっそり、勇者の剣をもう一度抜きに行ったものだが、結局その時点では剣を抜くこともできなかった」
しかし――とレオさんは続けた。
「これはどういうことなんだと一人悩んでいるとき、とある人物が俺の前に現れた。そして俺の右手にある紋を見るなり、こう告げたんだ。君こそが真の勇者なのだ、とね」
「とある人物……?」
「そう。世界の隠された構造を知る者だ」
またしても、その言葉だ。
僕たちの旅で何度も耳にしてきたこと。
ロレンスさんと話をした際には、ネイヴァンの民という、神と対話できる者たちの存在を教わった。
だとすれば、レオさんの前に現れたその人物もまた、ネイヴァンの民だったのだろうか。
「俺はイストミアで起きたことを全て彼に語った。すると彼は改めて、やはり君が勇者に違いないと答えてくれたんだ。そう、思えば明快だったのさ。勇者というのはこれまでの歴史上、全員がイストミアで生まれ育った男だったんだから。どこか他所から迷い込んできた人間が勇者だったなんてことは、過去に一度たりともありはしなかったんだから」
「それは……」
否定のしようがない事実だった。明らかに、僕という存在はイレギュラーなのだ。
僕というよそ者がイストミアに現れることが無かったとしたら。
他に勇者として相応しい人物は、レオさんしかいない。
僕が存在せず、レオさんが後に勇者の紋を発現したのなら……。
間違いなく彼が、勇者として剣を引き抜き、旅立っていたことだろう。
セリアとともに。
「彼曰く、トウマ=アサギはこの世界に有り得てはならない存在だという。世界の構造に反して出現した、エラーのようなものだと。彼がいなければ今頃は俺が、セリアとともに魔王討伐の旅に出ていたに違いないと言われ……全く以てその通りだと感じたよ。俺に起きた変化が、それを裏付けしていたからな」
「……何故、その人物は僕の方がエラーであると? やっぱり、僕がよそ者だったからですか」
「そうだ。あの人は知っていたんだよ……お前が別の世界からやって来た存在だということを」
「……え」
全身が震えそうだった。
レオさんの元に現れた人物は、その時点で僕の素性を完璧に見抜いていたのだ。
別の世界からやって来た存在。……このリバンティアという世界の中で、それを知る人物がいるなんて。
まるで予想外だった。
「本来繋がってはいけない世界。それが僅かな綻びによって揺らぎ、繋がりが生じてしまったために、トウマ=アサギは転移という形でこちら側にやってきてしまった。そのことが原因で勇者の構造にエラーが発生し、誰も勇者の剣を抜けないままになってしまった……」
「つまり……どういうわけか僕にも勇者の資格はあったけれど、本来世界が繋がるはずがないから、何もなければレオさんが勇者になるはずだった。それが僕の転移によって、勇者候補が二人になってしまったせいでおかしくなってしまったと……?」
「分かってるじゃないか。……別の世界があると言われたときはそんな馬鹿なと思ったものだが、お前の反応からしてそれは真実のようだな」
「……確かに、僕は別の世界から転移してきた人間です。地球と呼ばれる世界から、事故で死にかけて……気付けばリバンティアにいた。だから、ずっと右手にあった痣が勇者の紋だと言われたときには驚きました。こんなことが、本当にあるのかって」
「……ああ。本当はあってはならないことだったんだよ、それは」
あってはならなかったこと。
いてはならなかった者。
それが……僕なのか。
「俺に真実を教えてくれたその人物は、俺が勇者の座に戻るために必要なことを教えてくれた。……とても単純だ、強くなればいい。戦って戦って戦い抜いて、成長を遂げて。勇者として相応しい力を備えることができたとき、世界は俺を勇者と認識して、剣を抜くことができるようになる。……そんなの、やるに決まってるだろ」
レオさんはそこで、片手で顔を覆った。
「……俺が勇者だったんだ。それが目の前で奪われたことに気付かされて。仕方ないかと一介の戦士に甘んじて人生を終える。……馬鹿じゃないか。俺は――勇者の資格も、大事な幼馴染も! お前に……全部奪われたんだよ」
それが、彼の本心だった。
幾重にも覆い隠していた、怒り。
あまりにも正当な……恨み。
僕に向けられたもの。
そう、彼にしてみれば。
彼の未来の全てが……奪われたのだ。
他ならぬ、この僕に。
僕が彼の全てを、奪い去ったのだ。
「俺は旅に出た。戦士としてではない、勇者としてだ。誰も俺を勇者とは呼んでくれないけれど……それで良かった。いつか勇者の剣を抜き、お前を偽物だと断じる。そのときまではむしろ、ただの冒険者でなくてはならなかった。俺は戦ったよ。怒りや悔しさを力に変えて、しかしそれをお前の前では決して見せずに、戦い抜いた。魔皇にだって、何度も挑んだ」
コーストフォードで、そしてセントグランで。彼が魔皇討伐に協力したのは、純粋に仲間として手伝いたかったからではないのだ。彼は、自身が勇者であることを証明するために、本気で魔皇を討伐するつもりでいた……。
事実、レオさんは強くなっていた。コーストンの魔皇アギールと戦ったときは呆気なく倒されていたけれど、グランウェールの魔皇テオル戦では、僕と共闘し、深い傷を負わせることに成功していたのだ。
以前ナギちゃんが、善悪の力は光と闇属性の上位版みたいなものだと口にしていた。だとすれば、レオさんは単に強くなったからというだけではなく、勇者としての善き力が増していたから魔皇にダメージが通るようになっていたのではないだろうか。
そして恐らく……成長を感じたレオさんはイストミアへと引き返し。
ブレイブロックで、もう一度勇者の剣を引き抜こうと試みたのだ。
「強くなって故郷へ戻り。誰にも何も告げずに、俺は剣の前に立った。……流石に緊張したよ。これで抜けなきゃあまりにも情けないし、今まで信じてきたことも本当か嘘か分からなくなる。……でも、抜けたんだ。驚くほどにあっさりと、俺は勇者の剣を引き抜くことができた。その瞬間、俺がどれくらい嬉しかったかなんてお前には想像もできないだろ?」
全てを奪われたレオさんが、勇者の剣を引き抜けた瞬間。
きっと喜びとともに抱くのは、たった一つの目的だ。
「お前に奪われたものを、これから全て奪い返してやる。……俺はブレイブロックの頂上で、そう誓ったよ。この、勇者の剣に賭けてな」
地面に突き刺していた勇者の剣を抜き、その切先を容赦なく僕に向ける。
鋭く、美しく……恐ろしい切先だった。
「だから、トウマ。もう分かるだろ? どうして俺が、ここでお前と二人になりたかったのか」
――刹那。
僕の左手から、鮮血が迸った。
「っがあぁ……ッ!」
痛みで視界が明滅する。
咄嗟に回復魔法を唱え、何とか傷口を治癒する。
レオさんは余裕そうな表情で、追撃することなくそれを見つめ。
「……分かるよな?」
突き刺さるように冷たい声で、言った。
「……嫌です……どうして、僕がレオさんと……!」
「どうして? 決まってるさ。この世界に勇者は二人もいらないんだよ」
彼が再び剣を構える。
戦いたくなんて、ないのに。
「僕はあなたと……背中を預けて、一緒に悪と戦いたかった!」
「俺はお前を殺したくて仕方がなかった」
突きが、首のすぐ横を抜ける。
あと数センチ近かったら――死んでいる。
「さあ、トウマ。どちらが勇者として生き残るか、勝負だ」
「……レオ、さん」
僕の声も思いも、もう彼には届かないのか。
「全てを俺に返してここで死ね――トウマ」
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