9.その血が呼び寄せたもの①

 ロレンスさんの血に呼び寄せられたかのように。

 超弩級のモンスター、ドラゴンが広場に降り立つ。

 全長は五十メートル、いやもっとあるだろうか?

 両翼を広げれば更にその巨大さは際立つ。


「ド……ドラゴンだ……本物のドラゴンだ!」


 聴衆は今や恐慌状態で、誰もが我先にと広場から離れていく。

 他人を押し退け踏み付けて。怒号と悲鳴が周囲一帯に満ち満ちていた。


「本部に連絡を! こちらも最大の戦力を以て討伐に当たるのだ!」


 兵士の一人――恐らくはこの中で一番階級の高い男が、下っ端に命じている。その銃でロレンスさんを撃ち殺した兵士たちは、慌てふためきながら宮殿へと走っていった。

 ……彼らに怒りはない、といえば嘘になるが、憎んだところで仕方がなかった。これは、帝国全体の闇だ。

 ロレンスさんはその闇に葬られた。そう思うしかなかった。


「……ロレンスさん。助けられなくて、ごめんなさい」


 僕は彼の体を磔台から下ろし、地面に寝かせる。それから、この世界ではどうするのが正しいか分からなかったが、とりあえずまぶたを閉じさせ、手を組ませた。


「トウマぁッ!」


 セリアと、レジスタンスの二人がやってくる。人だかりがすっかり無くなったので、ここまで来ることができたようだ。三人は眠るように横たわるロレンスさんを見、全てを察してくれた。


「……間に合いませんでした」

「……トウマさんは、よくやってくれました。間に合わなかったことを責める必要はないです」

「ええ。悪いのはトウマさんではなく、処刑を行ったライン帝国軍なんですから」

「……僕は……」


 約束も果たせず。ロレンスさんの遺体の前で涙することしかできなくて。

 あんなに優しい言葉で励ましてくれた彼に、何も返すことができなくて……。


「泣いてる場合じゃないわよ!」


 そのとき、セリアが僕の両肩を掴んだ。

 そして、自分も真っ赤な目をしているのに……僕に叱咤の言葉をかけてくれた。


「私だって悲しいし、悔しいわ! でも……いつまでもぼーっとしてても仕方ないでしょ! 今、また罪のない人たちが傷つきそうになってる! 私たちはそれを助けなくっちゃいけないわ!」

「セリア……」


 眼前には、ドラゴンの姿。

 巨体を揺らし、耳をつんざくほどの咆哮を上げている。

 ……あんな魔物が街中で暴れようものなら。

 夥しい数の死者が出ることは、明らかだ。

 また罪なき人の命が奪われる――。


「……ごめん、セリア」


 肩を掴んでくれていた彼女の手に、そっと手を重ねる。


「悔やむならせめて……この状況を乗り越えてからだよね」

「……ええ。何が何だかさっぱり分からないけど。アレが暴れたら、大変なことになるわ」

「……止めなくちゃ!」


 レジスタンスの二人に、ロレンスさんの遺体を安全な場所まで運ぶようお願いして。

 僕とセリアは、漆黒の龍と対峙する。

 周囲には帝国軍の姿も増え始め、支給品らしき魔道兵器で攻撃を加えていたが、それらは全くといっていいほど効いていなかった。

 並みの戦力では、何人いようが意味はなさそうだ。ゼロにいくらかけてもゼロであるように。


「最強の魔物、なんだよね」

「みたい。私も図鑑で見ただけだけど……世界に五匹しかいない伝説のモンスター、それがドラゴン」


 そんな希少なモンスターが、それもこんな街中に突如として降り立つだなんて。

 人々が怯え惑うのも当然のことだ。


「僕たち二人でも力不足だろうね……軍隊長たちはまだ来ないのかな」

「状況はもう把握してるでしょうけど。増援が来るまでは私たちで何とかするっきゃないわ」


 武器を強く握り、まるで巨岩のようなドラゴンを見据える。

 そして、攻撃を始めようとしたとき。


「――プリズムスノー」


 輝く氷晶の舞。絶対零度の嵐が、ドラゴンを襲った。

 千にも及ぶであろう拳大の氷の礫は、全てが鋭利な刃物でもあり、どんな生物もその生命活動を停止させるほどの冷気の中で、煌めき、踊る。

 ドラゴンの皮膚はとんでもなく強靭なようだが、どこかから発動されたその水魔法は、浅くではあれ傷を残すことに成功していた。


「誰の魔法だろう……ユニスちゃんの?」


 強力な魔法を使いこなす人物というと、彼女くらいしか思い浮かばない。ルエラちゃんが来たとは考えにくいし、やはりユニスちゃんだろう。

 そう思っていたのだが、物陰から現れたのは別の人物だった。


「オリヴィアちゃん!」

「……トウマさん、セリアさん」


 古びた書物を手にしたオリヴィアちゃんは、僕たちの姿を認めると軽く会釈をする。

 どうやら彼女もまた、優れた魔術士のようだ。


「君も、ドラゴンを止めるために?」

「はい。カノニア教会としても、この混乱は何とかしなくてはいけませんから」


 人々の心の安寧のために、か。しかし、これほどの戦闘力を持った子がいるとは思わなかった。

 さっきの上級スキルは、普通にルエラちゃんにも匹敵しそうだ。


「……これは、神の与えた試練です」


 オリヴィアちゃんは、ぼそりとそんな風に呟く。


「僕たちも戦う。……力を合わせて、この街をドラゴンから守ろう」

「……お願いします」


 コクリと頷くと、オリヴィアちゃんは僕たちから距離をとるように反対側へと走っていった。

 双方向から攻めようと、そういうわけだ。


「よし……行こう、セリア」

「やってやるわ!」


 今度こそ、戦闘開始だ。

 ドラゴンの大きさは僕の体の数十倍。どんな攻撃をしたとしても、矮小なダメージしか与えられそうもない。

 なら、分散させるのは非効率だ。同じ場所に何度も攻撃した方が効果的だろう。

 さっきオリヴィアちゃんが発動した魔法で、ドラゴンの皮膚には幾つか傷が生じている。

 そのどれかに狙いを定めるとしようか。


「……!」


 ドラゴンが深紅の双眸をこちらに向ける。気付かれたようだ。その瞬間、胸が僅かに隆起し、大きく口が開かれた。


 ――炎だ。


 ドラゴンは漆黒の炎を吐き出した。超高温のブレスが忽ち街路やビルを炭化させる。

 まるで炎の壁が突然出現したような大き過ぎるブレスだったが、補助スキルを駆使して何とか回避した。


「っく……!」


 当たり前だが、攻撃のレベルが桁違いだ。炎を吐き出すだけで、下手をすれば何百人と人が死ぬ。

 防御や相殺ができる威力とも思えない。


「――エナジーブラスト!」


 セリアの魔法がドラゴンの腹部に直撃する。しかし、爆風の後には火傷一つ残ってはいなかった。

 オリヴィアさんの魔法は、やはり相当の威力だったのか。……後は、相性の問題もあるかもしれない。

 水魔法を活用してみることにしよう。


「――フリーズエッジ」


 弓に番えた矢に水魔法をエンチャントすると、矢じりどころか全体が凍り付き、冷たい氷の矢に変貌を遂げた。

 こいつをお見舞いしてやる。


「――スナイピング!」


 オリヴィアちゃんがつけた、足の付け根あたりの傷めがけて、僕は渾身の一撃を放つ。音速を超えようかという氷の矢は、狙い通りの場所に着弾し、ドラゴンは初めて苦痛に呻いた。

 ……だが。


「うおっ……!」


 ダメージを与えるということは、敵を怒らせるということ。ドラゴンはその巨躯を動かし、力強く大地を踏みしめた。ただそれだけで、地面は振動し、奴の足元にはヒビが入る。

 揺れによろめいている最中、次なる動きがあった。――尻尾だ。魔皇アルフよりも長い尻尾を、勢いよく振り回そうとしていた。

 ゴリゴリと舗装された地面を削りながら、尻尾はドラゴンの前方を扇状に襲った。幸い僕のいた場所はギリギリ範囲外だったが、ちょうどど真ん中にはオリヴィアちゃんがいた。


「オリヴィアちゃんッ!」


 思わず逃げて、と叫ぼうとしたのだが、オリヴィアちゃんはあくまでも冷静に状況を見極め、軽やかに跳んだ。そして空中で魔法を発動させる。


「――フリーズエッジ」


 生じたのは、氷の柱だ。長く伸びた柱は彼女の足場となり、それを蹴って更に高い場所へ。

 くるくると舞いながら、オリヴィアちゃんは難なく巨大な尻尾の攻撃を避け切った。


「素敵……」


 セリアはその技術に、無意識にかそんなコメントを呟いていた。まあ、僕も同感だ。美しき氷の魔術士、と評したくなる戦いぶりだ。きっと彼女の適正が水属性なんだろうな。

 だが、まだまだドラゴンにはかすり傷程度のダメージしか与えられていない。時間を稼ぐことならできても、この人数では優位に立つことすら不可能に違いなかった。

 誰か来てくれないか。そう思いながら周囲を見回すと。

 ようやく、この状況を打開する救援者がやって来るのが見えた。


「すまない、待たせた!」


 広場の南側から走ってくる、三つの人影。

 その先頭にいるのは、フィルさんだ。

 ということは、残りの二人が先日会えなかった、ギルド連合ダグリン支部のメンバー。

 ヘクターさんとルディさんなのだろう。


「怖いですー……でも、頑張ります!」

「ええ、落ち着いて行きましょう」


 オレンジ色の髪をカールさせた、弱腰のお姉さんがルディ=ナヴィアさん。青髪の、モノクルを付けたクールなお兄さんがヘクター=アクランドさんのようだ。二人とも対照的ではあるが、その視線は揺るがずドラゴンに注がれている。

 心強い救援だ。


「さあ、討伐してみせるぞ!」

「おう!」


 フィルさんの発破に、メンバーの二人は大声で請け合った。

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