5.存在が揺らごうと①
勇者の剣を抜けなかった僕。
それでも各国で魔皇を倒し、ここまで来た僕。
多くの人から、勇者だと認められてきた。
剣がなくとも多くのスキルを駆使して、闇を振り払ってきた。
それなのに――。
――お前は一体何者なんだい。
アランさんの声が蘇る。
僕は勇者だ、誰が何と言おうと勇者なんだ。
そう、声高に叫びたかった。
でも……できなかった。
僕は一体。
この世界で何をするために、やって来たというのだろう……。
「そら、入れ」
兵士に突き飛ばされ、暗く冷たい牢の中へ入れられる。
そのままギイイ、と鉄格子は鎖されて。逃げ出すことは不可能になった。
装備品を丸ごと奪われた僕は、惨めな囚人服に着替えさせられ。
地下牢の寒さと恐怖とに、ぶるりと身を震わせた。
どうして。
そんな言葉ばかりが、頭の中で繰り返される。
これまで信じてきた全ての物事が、音を立てて崩れ去ったかのよう。
剣が抜けなかったのにはちゃんとした理由が必ずある。
だから、心配しなくてもいいのだと思い続けてきたというのに。
最後の国――このライン帝国までやって来て、それが覆されるなんて。
勇者の剣が、無くなっていたなんて……。
「勇者の、剣……」
勇者グレンが次の勇者に残した幾つものメッセージ。
その中には、次の勇者が剣を抜けないということも記されていた。
それもあって、僕は剣が抜けずとも勇者なんだと思えていたのだ。
でも、剣が何者かによって引き抜かれたというのであれば。
「それが、勇者……」
僕は、自分が勇者だと思い込んでいただけの人間なのか。
異世界転移してきたという特異性はあれど、決して主役ではなかったのか……。
「……捕まってしまったようだな」
「……あ」
隣の牢から、ロレンスさんの声が聞こえてきた。
意識していなかったが、どうやらここはロレンスさんの牢の真横らしい。
助けに来たとのたまった僕が、こうして並んで牢の中とは。
情けない限りだ。
「君は……勇者なのか?」
今の呟きだけで、僕の事情をなんとなくでも察したというのか。少し驚いたが、僕は小声でそうだと返事する。
「なるほど。自分の信じた正義のためにここまで来たんだ、只者ではないと思っていた」
ロレンスさんは、鉄格子越しのときよりも幾分砕けた調子で話しかけてくれる。こうして捕まってしまったために、親近感を抱いてくれてるんだろうか。
僕もそれが嬉しくて、一人じゃないと分かったことで安心して、普段よりも早口になっていた。
「しかし、勇者である君ですら捕まってしまうとはな。帝国の暴走はもう、止まらないのだろう」
「……僕は、勇者なんでしょうか」
「何……?」
不安をぶつける対象が現れて。僕はついそんなことを呟いてしまった。
ロレンスさんは当然の如く、困惑した声を上げたのだが、それでもすぐに落ち着いた口調で訊ねてくれた。
「どういうことかな」
僕はロレンスさんに、これまでの事情をほとんど全て打ち明けた。時の止まったような暗い地下空間だ、話す時間だけはたっぷりあった。
異世界からやって来たという部分だけは伏せたが、それ以外は事細かに。コーストン、グランウェール、そしてリューズと、三つの国で魔皇を倒してきた長い旅路。その最後に辿り着いたライン帝国で、自分が勇者でないと否定されてしまったこと、勇者の剣が無くなってしまったこと……話しているうちは涙が出そうなほどだったが、全て吐き出すと少しだけ気分は楽になった。
話せば楽になる、は本当のことのようだ。
「勇者の剣が抜けなかった、か……」
「はい。その剣が無くなっていたと、アランさんが。自然に消えたのか、それとも…‥誰かに抜かれたのか」
「だとすれば自分は勇者でなかったのかと、怖くなったのだな」
「……そうです」
息を吐くのが聞こえる。壁によって隔てられているのでその姿は見えないが、なんとなく想像はできた。
どんな言葉が返ってくるだろう。そうぼんやりと思いながら天井を見つめる。
ただ、僕に返された言葉は慰めや叱咤ではなく、不思議なものだった。
「……グリーンウィッチ・ストーンは知っているね」
「……ええ、知ってます」
「私は幼少期から、あの碑文に心惹かれていた」
「……と言うのは?」
「この世の仕組みを表した神の言葉。そんな風に言うと魅力的に思えるだろう? そういうスケールの大きいものに心を動かされたのだよ。それがきっかけで……魔術士になった」
昔を懐かしむように、ロレンスさんは語る。
「グリーンウィッチという名前からすると、碑文を生み出したのは大魔術士かもしれない。魔術士を極めればこの人物のように、神の言葉を聞けるのだろうか。そんな若い考えだ。しかし、その考えがきっかけになり、今の自分がある」
「そう、だったんですか」
「ああ。そして魔術士としての長き日々の先に――私は一人の男と出会ったのだ」
グリーンウィッチ・ストーンから始まったロレンスさんの思い出話。それと僕の話と、どう繋がるのだろうか。
「名前を、ディア=N=バエルと言った」
「N……」
Nというのはミドルネームだろう。以前も同じミドルネームを聞いた覚えがある。
確か、クリフィア教会のサフィアという少年も、フルネームはサフィア=N=プロケルといったはずだ。
リバンティアではよくある名前なのだろうかと思っていると、ロレンスさんはこう話した。
「世界でもあまり知られてはいないが、『ネイヴァンの民』という者たちがいる」
「ネイヴァンの民、ですか……?」
「そうだ。ミドルネームのNは、正確にはネイヴァンという。彼らは何処で生まれたのかも知られていないが、生まれながらにして特殊な力を有しているそうだ」
「それは……」
僕が問うと、ロレンスさんはやや声を小さくして言う。
「曰く、神との意思疎通ができるのだとか」
「え――じゃあ?」
「R.O.グリーンウィッチと同じだ……私はそう思ったよ」
神の言葉を碑文として残したグリーンウィッチ。神と交信できるネイヴァンの民。話が本当であれば、二つはイコールだ。
だが、それならどうしてネイヴァンの民は有名にならないのだろう。いっそのこと、カノニアの導き手として重要な役職についていてもおかしくない気がする。
「彼らは、歴史の表舞台には登場しない。それは何故かというと、彼らが極端に排他的であるというのが一つ。ディア師匠に聞かされた話によれば、ネイヴァンの民はリバンティアの盛衰を見守るために生きているらしく、神の言葉を人々に伝えて導くというのは、いわば反則技だという」
「世界の未来は、人の手に委ねられなくてはならない……そういうことですかね」
「そう。だから彼らは、世界の片隅でひっそりと暮らしている。……ただ、神と交信できる力が狙われないはずもなかった」
ディアという人物の話通り本物の神から託宣を受けられるなら、それは反則技だろう。神託のレベルがどのようなものであれ、その事実だけで大きな影響力を持てるのは間違いない。力を欲する者が現れるのは当然のことだ。
「カノニア教会。……表向きには人々のために良好な布教活動を続けている。しかし、過去には何度かネイヴァンの民を手中に収めようとしていたことがあるようだ」
「カノニア教会が……」
まあ、驚くほどのことではないはずだ。グリーンウィッチ・ストーンを分かりやすく意訳して正典とし、それを基に世界的な活動を行っている教会なのだから。実際に神と交信できる者の存在は非常に強力なシンボルになる。
そうか、有名にしたい者たちがいる一方で、ネイヴァンの民はそれを拒絶しひっそりと暮らしているわけだ。
……あれ?
じゃあ、サフィアという少年もまたネイヴァンの民なのか。
しかし、彼は外典と非難される書物を基とするクリフィア教会に所属していた。
なら、クリフィア教会とは……。
「ロレンスさん。僕もネイヴァンの民に会ったことがあるんです。Nというミドルネームのつく、不思議な少年に」
「……ほう」
「その少年は異端とされているクリフィア教会に所属していて、僕たち勇者と従士のことも良く知っているようで。その上、謎めいたことばかり仄めかして」
今思えばそれは、まさしく神の言葉だったりしたのだろうか。
「……ネイヴァンの民の中にも、近年は違う考え方を持つ者が現れるようになったという話も聞いた」
「……つまり?」
「世界が衰退し、滅びるのを見守るだけではいけないのだと。世界のため、必要であれば導き手にもなるべきだとする者たちだ」
……では、サフィアという少年は。
「トウマくん」
ロレンスさんは、穏やかな口調で告げる。
「この世界には、隠された構造があるのだよ」
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