10.この思いが届くには


 時は昨夜に遡る。

 抜け道の存在をルエラちゃんに伝えられた僕たちは、多少の違和感を拭えないまま、作戦の続きを聞いていた。


「説明するね。抜け道があるのは――」


 具体的な抜け道の場所について話が移り、彼女が用意していた羊皮紙を広げると、そこには目を疑うようなことが書かれていたのである。


『レジスタンスのメンバー内にスパイがいる。この話は盗み聞きされていると思ってほしい』


 抜け道を図示した絵でも描いてあるものだと早合点していた僕とセリアは、うっかり声を上げてしまうところだったが何とか踏み止まり、ルエラちゃんのお芝居に合わせて相槌を打ちながら、続く文章を読んでいった。


『犯人の目星は付いている。ただ、絶対的な証拠を掴むために犯人に罠を仕掛けたくて二人を呼んだ。今話している抜け道の所在は全くのデタラメで、本物は別のところにある。恐らくあたしたちの話を盗み聞いたスパイは、すぐに帝国軍へ情報を提供するだろう。あたしはそれを逆に利用してやるつもりだ』


 僕たちの演技力にそこまで期待はしていなかったと見え、犯人が誰かまでは書かれていなかったのだが、それ以外のことは事細かに記されていたので僕たちが何をすればいいのかは明白だった。


『まず、明日になったら抜け道の存在がバレたと嘘を吐く。それから、どうしてバレてしまったのかと話し合う中で、部外者である二人が犯人なんじゃないかとあたしが決めつける。当然皆も二人を疑い始めるだろうから、二人は拘束されたフリをして別室で待機してほしい。後はあたしがスパイだけを上手く孤立させるから、そいつが怪しい行動をとるかどうか二人で監視して、現場を押さえる。以上が作戦だ』


 この作戦が上手くいくかは微妙だったが、ルエラちゃんは僕たちを信頼して打ち明けてくれたのだ。ここで断るなんてことはできないと、僕たちはジェスチャーで了解の意思表示をした。そうして朝になり、ルエラちゃんが作戦開始を知らせる大声を上げ――現在に至るというわけだ。

 こんなお芝居は初体験だったから、終始ドキドキしっぱなしだった。

 それは見事、成功裏に終わったわけだが。


「……マット」


 ルエラちゃんの作戦によって炙り出された犯人。

 マットさんは、蒼白な表情を浮かべたまま僕たちを見つめた。


「はは……何もかも、ルエラさんの作戦通りだったというわけですか」

「願わくば、この作戦が空振りに終わって、誰もスパイじゃなかったという答えがあってほしかったんだけどね」


 そんな願いは儚く散って。

 大切な仲間だったはずの男は今、スパイという真っ黒な真実を暴かれた。


「……いつから疑いを?」

「さあ……でも、君は明らかに病弱な体を鞭打って活動を続けていた。そのことが、かえってあたしにはおかしく見えたんだ」

「……なるほど」


 マットさんは観念したように笑い、項垂れる。

 そして咳き込むと……口を押えていた右手には、赤いものが付着していた。

 吐血――。


「マット……!」

「いいんです!」


 体に触れようとするルエラちゃんを、マットさんは制止する。その剣幕には、流石のルエラちゃんも近づくことを止めるしかなかった。


「察しはついたでしょう。僕の命は、もう長くないんです。だから、レジスタンスの活動が実を結ぶまで待つことは、できそうもなかった」

「マットさん……」

「そんな顔しないでください、勇者様。僕のような人はきっと大勢いる。僕が皆を裏切るような行動に走ったのは、単純に僕の弱さのせい……」


 そこでマットさんはまた咳き込む。今までは必死に我慢していたのだろう、激しい咳が続いた。


「ルエラさんには話しましたね。僕には妻と息子がいて、帝都に住んでいること。会社が潰れたせいで、僕がその愛する家族の元へ帰れなくなったこと……」

「……うん」

「甘言でした。あるとき、活動中の僕に帝国軍が接触してきたんです。明らかに僕をターゲットにしていたその兵士はこう言いました。家族ともう一度平和に生活させてやる。代わりに……レジスタンスを捨てろと」


 それは、あまりに卑劣な取引だった。平穏な生活と引き換えに、仲間を裏切れという取引。……いや、恐らく取引と呼べるものでもないだろう。家族という人質は、帝国軍の掌の上にあるのだから……。


「もしも取引を断れば、家族がどうなるかと想像するのが恐ろしかった。僕は死んでも構わない。だけど、家族がどうして犠牲にならなければ? ……答えなんて、決まってましたよ。僕は、軍に従うしかなかった」


 彼に選択肢など、用意されてはいなかった。マットさんは身を裂かれそうな苦しみに耐えながら、今日まで裏切りの日々を送ることを余儀なくされたのだ。

 ある意味では、これは解放だったのかもしれない。

 けれど……。


「私はもうすぐ、死ぬでしょう。でも……げほ、ごほッ! ……家族は、妻と息子だけは何としても守りたい……生きていてほしいんです……!」

「ねえ、ルエラちゃん。私たちの作戦で帝国軍は騙されたって怒るわよね? それって、マズいわよね……」

「……楽観的な見方はしたくないから正直に言うけれど、帝国軍が何らかの行動に出るかもしれないね」

「……そんなことって……」


 結果的に、僕たちの行動は誰かの命を危険に晒すことになった。仕方がなかったと喚いても、事実は変わらない。

 少しばかり、僕たちは事態を甘く捉えていたのだ。


「……でも、僕たちは勇者と従士だ」

「……トウマ」

「罪もない誰かが傷つくのは止めなきゃいけない。ましてやそれが、僕たちの行動ゆえのことなら、絶対に」

「勇者様……」


 そこで、ルエラちゃんが僕の肩をポンと叩く。


「ありがとう、トウマくん。……ま、最初からそう言ってくれるとは思ってたけどね」

「はは……どうも、真っ直ぐ過ぎる性格みたいなんで」


 今回は騙す役だったが、いつもは騙されてばかりいるし。

 ただ、そこがいいところだと評してくれた人もいる。


「トウマくん、セリアちゃん。あたしから一つお願いがあるんだ」

「予想はつくけど、一応聞かせて」

「ん。……リン州に渡ったら、マットの家族を守ってやってほしい」

「ルエラさん、そんな無茶なお願いは……」


 マットさんは止めようとしたけれど、僕は遮るように返答する。


「もちろん、最善を尽くさせてもらうよ。でなきゃ、僕たち自身が許せないから」

「そうね。こうなった以上、必ず守らなきゃ」

「お二人とも……」


 勇者として、一人でも多くの人を救いたい。

 手を伸ばせる限り、全ての人を救い上げたいのだ。


「……ありがとうございます、本当に……ありがとう」


 僕たちの出した答えに、マットさんは涙を流しながら感謝の言葉を繰り返し。

 ルエラちゃんは、慈愛に満ちた表情で以て、それを見つめていた。

 僕たちはと言えば、そんな状況に少しドギマギしながらも。

 温かな気持ちとともに、固い決意を胸に抱くのだった。





 他のメンバーにもマットさんのことは伝えられたが、誰一人として彼を責め立てる者はいなかった。きっと他の人たちも、自分がそういう状況に置かれたらと考えれば、責める気持ちにはなれなかったのだろう。

 同じように傷ついた者たちが反旗を翻すため集まったのが、レジスタンスなのだから。

 マットさんはいよいよ立ち上がれなくなってしまったようで、部屋で絶対安静とルエラちゃんにきつく命令され、今は静かに眠っている。そんな彼は話の最後に、僕たちへ一通の手紙を託した。


「どうか、これを家族の元に送り届けてはもらえないでしょうか。もしものときのために、したためていたのですが……今がそのときみたいですから」


 その言葉に、再会することを諦めちゃいけないとは返しつつも、僕たちは手紙を受け取った。今この瞬間、生きて再会を願っているという彼の思いは、届けてあげたい。

 日が暮れるまでに、ルエラちゃんは本物の抜け道の場所と作戦を僕たちに語った。彼女も帝都には行きたいらしいが、帝国軍がこのアジトに狙いをつけているので離れられないようだ。僕たちとともにリン州へ向かうレジスタンスは、リズさんとディルさんの二人。彼らもリン州への侵入を果たした後は、怪しまれないよう別行動に入るらしい。


「レジスタンスの役割を押し付けるようで悪いけど……よろしく頼むよ、二人とも」

「気にしないでよ。こうして出会ったのも何かの縁だし、ルエラちゃんのおかげでリン州に行けるんだから」

「はは。いい男だなあ、君は」

「そんなことないでしょ」


 せっかくルエラちゃんが褒めてくれるのを、セリアが即座に否定する。調子には乗らせないぞということか。


「あれ、セリアちゃんは何とも思ってないんだ」

「さーてね」


 ……どうなんだろう。

 時間が経つのは早いもので、準備や雑談をしているうちに夜が訪れ、地上はすっかり暗くなる。夕食はしっかりいただいた後、僕たちはアジトを発つことにした。

 出発の見送りに、家の玄関口までレジスタンスの皆が上がって来てくれる。リズさんとディルさんにとっては、長い時間を過ごした仲間との別れだ。込みあがって来る思いも強いだろう。


「ルエラさん、皆。お世話になりました。また必ず、どこかで会いましょう」

「そのとき戦いが終わってるか続いてるかは分からないけど……必ず」


 二人の言葉に、残るメンバーは力強く頷く。ルエラちゃんも、良い部下を持ったとばかりに何度も首を動かした。


「マットの家族、見つかるといいんだけど」

「何とかするよ。……それに、ルエラちゃんのお父さんも」

「え、そこまで気にしてたの? 父さんのことはあたしが何とかするよ」

「でも、どうなるかは分からないじゃない。だったら、私たちもできる限りのことはしたいわ」

「トウマくん、セリアちゃん……」


 そこで初めて、ルエラちゃんの瞳が潤んだ。

 それは、レジスタンスとして仲間を率いてきたリーダーではなく、年相応の少女としての涙だった。


「……はは、それじゃ格好悪いけど……お願いしようかな」

「格好悪くなんてないよ。引き受けさせて」

「……どうか、お願い。あたしの父さんを……助けて……!」


 ルエラちゃんは、深く頭を下げる。

 大切な家族を思って、僕たちに願いを託す。

 そう、僕たちは沢山の思いを繋がなくてはならない。

 あの石壁を越えて、未来への道を穿たなければいけないんだ。


「幸せな未来のため。頑張らせてもらうよ」

「やるっきゃないわね」

「……ありがとう、二人とも」


 僕たちは、固く握手を交わす。

 また一つ、誓いは増えて。


「……じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい!」


 見送られながら、僕たちは家を出る。

 夜闇の町を、歩き去っていく。

 背負うものは増えたけれど、それを苦とは思わない。

 この誓いを力に変えて、僕たちは帝都を往こう。

 乾いた風が、肌を撫でていく。

 その冷たさを感じながら、僕たち四人は荒れ地を進んでいくのだった。


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