9.いつか手を取り合えると
時刻は十一時を少し回ったところだった。朝食を慌ててとったこともあり、セリアは既に昼食をご所望だったので、僕たちは街の中心部で食堂を探すことにした。
五分ほど歩いて、セリアが気になったお店を指さす。そこは長い間地域住民に愛されていそうな古い食堂で、こうして見ている間にも、お客さんが一人、二人と店内へ入っていった。
彼女が気になった理由は、ハンナさんの店に似ているからとのことだ。確かに、イストミアでの光景を思い出すような佇まいなのは間違いなかった。
「トウマも懐かしくなる?」
「どっちの話さ」
「元の世界の方よ」
目の前に並ぶリューズ料理に箸を伸ばしながら、セリアは言う。あまり使わないだろうに、器用に箸を操るものだ。
「そりゃね。……でも、ここに元の世界と同じようなものが存在してるのなら、それでもういいじゃんってなるなあ」
「ホームシックとは無縁かー」
「ゲームやスマートフォンがないのは未練だけどね」
「何だっけ。遊び道具?」
「そんな感じ」
セリアには一度説明したことがあったが、どうにも想像のつかないアイテムなようで、ふーんと納得したような素振りをするだけだった。ああいうのは実物がないと、とても説明なんてできやしない。
……オーパーツ。遺物という扱いで、元の世界の道具がリバンティアに流れ着くことがあるようだが、そういうものも実は存在していたりするのだろうか。
料理を美味しく平らげて、勘定を済ませようとすると、店主さんは慌てて支払いは不要だと言ってきた。話によれば、シキさんが事前に各所へ勇者が来ていることを伝えているらしい。トウスイ家から後でお金が出るので、払わなくてもいいそうだ。……何だか申し訳ないな。
とは言え、僕たちの手元資金はそんなに余裕がない。素直に感謝しておくことにしよう。
「食べた食べたー。シキさんも太っ腹よね」
「まあ、無理やり連れてきた負い目もあるんだろうし。甘えすぎるのも良くないけどさ」
「衣食住くらいは許容範囲よね」
「だいたい全部だな……」
僕たちが楽しめるような、お金のかかる娯楽も少なそうだし、セリアの言うことは正しいか。
「……って、あれ?」
宿へ戻る道すがら、ある人物の後姿を見かけた。昨日の夜、突然僕たちの部屋にやって来た彼――コウさんだ。
何をしているのかと思えば、彼は刀を抜いて前方を睨みつけていた。……魔物がいる。
「コウさん!」
「……トウマさん、セリアさん。またお会いしましたね」
「ええ、また魔物ですか」
「そのようです。確か、早朝にも現れたとか」
「はい。ギルドの人たちと僕らで退治しましたが」
「今回のアルフは気が短いようだ。勇者が来たことを察知したのかもしれません」
コウさんは、刀を握る手に力をこめる。心なしか、その手は汗ばんでいるようだった。
彼にはまだ、あまり戦闘経験がないように思える。
「僕たちに任せてください、コウさん」
「ですが……いえ、お願いしてもいいですか?」
「もっちろん!」
僕とセリアがコウさんの前に立ち、魔物と対峙する。道を塞いでいたのは先ほどと同じウルフの亜種と、ビートルの群れだった。その数は五匹。早朝の襲撃よりもかなり少なく、これなら僕たちの障害にはなりそうもなかった。
「――アローレイン!」
「――チェインサンダー!」
降り注ぐ無数の矢。その一つ一つにセリアの雷魔法が伝播し、魔物たちは矢と雷の双方に貫かれていく。断末魔の声とともに一匹、また一匹と黒煙を立ち昇らせながら倒れ、一分としない内に戦い――とも呼べないものが終わる。
「……凄い……」
「ギルドの人たちが言ってましたが、魔物が下りてくるのは魔皇の警告だろうと。多分まだ、弱い魔物しか襲ってきていないんだと思います」
凶暴な魔皇と称されるほどなのだから、従える魔物の全てがこの程度ということはないはずだ。この先も楽ができるとは考えない方がいい。
「それでも、流石です。……実を言えば私は、あまり戦闘の心得がなくて。父上には厳しく指導を受けているのですが、何とも」
「そうなんですか……。無理せずとも、というわけにはいかないんですよね」
「スイジン家の跡取りとして、それ相応の武力は身に着ける必要がある……それも決まりですから」
当主たるもの、文武両道でなくてはならない。コテツさんが話してくれていたが、それも堅苦しい決め事だなと思う。
厄介な決まりが多いところだ、この国は。
「とにかく、ありがとうございました。実は、ちょうどこれからお二人を訪ねようとしていたところだったのです」
「ああ……だからここに」
何の理由があってここにいたのかと疑問だったが、僕たちに会いにきていたのなら納得だ。というか、帰ってきて良かった。寄り道していたら、彼を待たせてしまっていたことになる。
「お二人に、来てほしい場所がありまして。お時間を少しお借りしても?」
「全然構いませんよ。どうせ、宿で休もうと思ってたので」
「じゃあ、すいませんがお願いします。ご案内しますので」
コウさんは軽く頭を下げると、方向を変えて街の方へ歩き始めた。後ろに続きつつ、僕は質問を投げかける。
「来てほしい場所っていうのは?」
「私やキリカにとって大切な場所……というか、大切な人のところなのです。少し遠いですが」
「じゃあ、これからその人に会いに?」
「そんなところですかね」
わざと曖昧にされているような気がしたが、到着すれば分かるかと、あまり突っ込んでは聞かないことにした。答えてはくれなさそうだし。
街の中央を突っ切るように、西から東へ。そのままずうっと進んでいき、景色は最初と同じような木々に囲まれたものに戻る。そこからコウさんは細い枝道を曲がって、その先にある緩やかな階段を上り始めた。
ハレスに到着し、港から街まで上ってきたときのような既視感を抱きつつ、僕たちは階段を上り切る。すると、そこには想像もしていなかった光景が待っていた。
「……お墓……」
そう――ここはハレスの共同墓地だった。
規則的に並ぶ、無数の墓石。
花が供えられたり、食べ物が供えられたり。
大小様々なお墓が、一帯にずらりと並んでいた。
「コウさんの言う、大切な人というのは……」
その問いかけに、寂しげな笑顔だけを返して、コウさんはゆっくりと歩いていった。静かな墓地の中を。
そして……向かう先に、一人の少女がいるのに気付いて、彼女の名を口にした。
「キリカ」
「あ……お兄ちゃん」
キリカ=スイジン。コウさんの妹であり、スイジン家の娘。
生贄として選ばれた、女の子。
年齢は十代後半、僕たちと同じくらいだろう。艶のある黒髪は腰のあたりまで伸び、前髪は赤いかんざしで留められていた。肌は色白で、鮮やかな着物との対比が印象的だった。
「キリカもここに来てたのか」
「うん。ライと……話がしたくて」
「そっか」
キリカちゃんの元へ、コウさんが近づいていく。
「……そちらのお二人は?」
「ああ。トウマさんとセリアさん。この二人が、勇者様と従士様なんだよ」
「お二人が……」
それを聞いて、キリカさんの表情がぱっと明るくなる。やはり、彼女は生贄という役割を受け入れているわけではないのだ。決して声を上げたりはしないけれど、それでも。心の中では叫び続けている。
私を助けて、と。
「ここは、私の親友であり……キリカの恋人だった男の墓なんです」
「じゃあ、その人は……」
「ええ。三年前、患っていた病が悪化して帰らぬ人になりました」
コウさんにとっては親友で、キリカさんにとっては恋人だった人。
なら、年齢は近いはずだ。
最近どこかで、似たような話を聞いたような気もするが……。
「あ……」
「どうしたの、トウマ?」
「いや……。そのライという人は、もしかして」
「お察しの通り。彼の名前は、ライ=トウスイと言います」
「え? トウスイ家の……?」
シキさんと対談したとき、跡取りとなるはずの息子が三年前に病死したというのは聞いた。それがライさんなのか。
しかし、それでは……。
「リューズは昔から、トウスイ家とスイジン家で対立してきたんですよね? それなのに、コウさんにとって親友で、キリカさんの……恋人だったって」
「過去は関係ない。もしも非難されるのなら、この三人で常識を変えてやろう。……私たちは、そう誓い合ったのです」
「ずっと同じことに縛られ続けるのではなく、より良い未来のために変わることも必要だと。ライさんは、口癖のように言っていました」
その光景を思い出すように、キリカさんは瞳を閉じる。
気のせいかもしれないが、その目に光るものが一瞬だけ見えた。
「志半ばで、あいつは病に蝕まれ、そのまま逝ってしまった。けれど……あいつの遺志は決して消えてはいない。いや、消してはいけない。私とキリカは、あの日三人で描いた夢を現実のものにしたいのです」
「コウさん……」
古き悪習を打破しようとする想いは、ひっそりと動き出していたのだ。それも、トウスイ家とスイジン家の子どもたちによって。
一人はその未来を見ることができずに倒れてしまったけれど。コウさんの言うように、それで止まるわけではない。
コウさんと、キリカさんの二人がいれば。ライさんの想いを引き継いで、成し遂げられるはずだ。そう信じたい。
「トウマさんとセリアさんにここへ来てもらいたかったのは、こんな男がいたんだということを、知っておいてほしかったからです。いつかトウスイ家とスイジン家が手を取り合い、リューズのために力を合わせてゆく。そんな未来を共に目指した男がいたことを」
「……ライさんのためにも、負けられませんね」
「ええ。決して立ち止まらず、進んでいかなければ」
コウさんの声は小さかったけれど。
その響きには強い意志が宿っていた。
「僕たちも、ライさんに手を合わせていいですか?」
「していただけるのなら、ぜひ」
コウさんに許可をもらって、僕たちはライさんの墓前に立つ。
そして、静かに手を合わせた。
貴方が果たせなかった想いを遂げるため。
僕たちも、微力ながら手伝います――。
「……誰だ!」
そのとき、コウさんが叫んだ。いつの間にやら木々の間に、何者かの気配がする。それも一人ではなく、複数のようだ。
あまりにも静かだったので、油断してしまっていた。
コウさんの言葉に、隠れることを止めた男たちが出てくる。彼らは全員が黒装束に身を包み、目元だけを露出させていた。
例えるなら、忍者のような格好だ。
「……父上の差し金か」
男たちは何も答えない。代わりに、腰から何かを抜き取った。
短刀だ。
「ちょ、ちょっと! なんかまずい雰囲気なんだけど!」
「明らかに危害を加えるつもりだね……」
僕たちはコウさんとキリカさんを下がらせ、忍者たちを見据える。彼らは全く動じず、無言のまま短刀をこちらへ向けていた。
「恐らく、狙いはお二人です。父上は、お二人に魔皇を倒させないつもりだ……!」
「ちょっと痛い目にあってもらおうってやつかしら?」
「その例えは分かりませんが、そんな感じです!」
しかし、まさか直接潰しにくるとは。こういう人目につかない場所なら襲っても大丈夫と判断したのだろうが、なりふり構っていられないという感じがする。
勇者である僕たちが到着してしまったことは、シュウさんにとって非常に大きなダメージなわけだ。
「――交破斬!」
忍者の一人が、スキルを放ってきた。進路上にコウさんとキリカさんがいたので、僕は剣で攻撃を受け止める。……初級スキルだが、かなりの重みだ。
何とか弾くことに成功したものの、次の瞬間には別の男が背後に回り込んできていた。
「――砕」
「――流水刃!」
男は腕を破壊しようとしてきた。間一髪、僕はカウンタースキルで拳を受け流しつつ反撃する。剣は脇腹を斬り裂き、男は呻き声とともに倒れ伏した。
コウさんの言葉は正しいようだ。彼らは、僕たちを殺すとまではいかなくとも戦えない状態にして、魔皇討伐を遅らせようとしている。
「――ブラストショット」
「なッ?」
飛んできた手裏剣を剣で弾くと、手裏剣が爆発した。弓術士のスキルは手裏剣にも適用できるのか。投擲武器ならなんでも使えるんだなと感心してしまったが、すぐさま意識を切り替える。
「――ナイトメア!」
セリアが闇属性魔法を使い、目潰しをしてくれた。奴らが痛みと暗黒に苦しんでいる間に、カタをつける。
「――レンジショット!」
扇状に放たれた複数の矢が、忍者たちの腕や脚、肩を抉る。彼らは決して悲鳴を上げることをしなかったが、それでも痛みに悶絶し、地面を転がった。
これで四人。襲ってきた忍者は全員、無力化できたはずだ。
ほっと安堵の息をついて、僕は振り返ろうとした。
「ああっ!」
そこで、セリアの慌てた声がした。何があったのだろうと思ったのだが、
「きゃっ!」
キリカさんの悲鳴で全てを察した。
――してやられた。
「お、お兄ちゃん……」
「キリカ!」
身内を襲ったりはしないだろうと油断していたのが間違いだった。彼らは脅迫の材料としてなら、身内すら躊躇なく利用するらしい。
最後に残っていた一人の忍者が、キリカさんの首筋に短刀を突き付けていた。
「なんて、卑怯な……!」
コウさんが怒りに震えながら、男を睨みつける。それでも男は、キリカさんを解放しようとはしなかった。
「……望みは僕だよね。キリカさんには、手を出さないでほしい」
「と、トウマ!」
僕は抵抗しないという証に、武器を地面へ放る。人質をとられてしまっては、こうするしかない。ただ、幸いにもセリアが近くにいたので、僕は彼女に目配せし、隙をついて魔法で攻撃するよう促した。言葉はなくとも僕の考えを読み取ってくれた彼女は、ゆっくりと頷く。
キリカさんを捕まえた男は、短刀を突き付けたまま反対の手で何かを取り出した。
手裏剣のようだが、形状が少し異なる。……あれがクナイだろうか。
先端には何やら液体が塗られていて、刺さると恐ろしいことになることは嫌でも分かる。あれが飛んでこないうちに、セリアの魔法を当てられればいいのだが。
「逃げてッ!」
そのとき、キリカさんが我が身も顧みずに男の腕の中で思い切り暴れた。突然のことに対応しきれなかった男は、キリカさんを押さえようとしてその首筋に短刀を滑らせてしまう。
「あッ……」
つ、と赤いものが流れた。最悪の自体がよぎったが、どうやら傷は浅いようだ。
ただ、危うい均衡状態は今の行動で壊れてしまった。
「死ね……ッ!」
初めて男が口を開いた。そして、クナイを持った左腕が振り上げられた。
セリアの魔法も、これでは間に合わない。
避けきれるか――必死の思いで体をねじろうとしたその瞬間。
「うッ」
腕を振り上げたままの状態で、男はぐらりと傾いで、そのまま地面に沈んでいったのだった。
一体、何が起きたのか。
「……はあ、全く。これだから勇者サマは。心配して来てみたのは正解だったな」
「え……?」
倒れた男の後ろから、ひょっこりと姿を見せた彼女。
懐かしい声と、懐かしいその姿。
相変わらず皮肉っぽい言い回し。
彼女は武器をしまい込むと、僕らを一瞥して面倒臭そうに口を開いた。
「どーも、お久しぶり」
「……ナギちゃん!」
トウスイ家の、残された子。
ナギ=トウスイが、そこに立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます